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宇宙開発成功のカギは大航海時代のポルトガルにある

By cookelma

火星の地表下に氷が存在する」という発表や、再び月に人類を送る「アルテミス計画」の構想など、アメリカ航空宇宙局(NASA)を始めとするさまざまな組織によって宇宙の探索や技術開発が進められています。しかし、情報科学者でありフランシスコマロキン大学で名誉教授を務めるニック・ザボ氏は、2019年時点の宇宙開発の方針は「失敗である」とし、大航海時代の中国とポルトガルを例に挙げてNASAなどの組織が抱える問題点についてを語っています。

Unenumerated: How to succeed or fail on a frontier
https://unenumerated.blogspot.com/2006/10/how-to-succeed-or-fail-on-frontier.html

◆大航海時代の明の失敗
15世紀初頭、中国の歴代王朝の一つ、の第3代皇帝であった永楽帝の命令により、鄭和が指揮する大規模な船団が海外に派遣されました。鄭和の船団の主な目的は、貿易の発展や他国の征服ではなく、明が世界で最も輝かしく強力な帝国であることを誇示することであったとされています。

15世紀に鄭和が指揮した最大の船「大明宝船」と、クリストファー・コロンブスが指揮した大西洋横断航海で最大の帆船「サンタ・マリア号(十字架の描かれた帆船)」を比較したのが以下の図です。船の大きさからも、明が造船に関して優れた技術を持っていたことが分かります。


鄭和の船団が派遣された頃と同じ時期、明で活動していた民間の商船隊は、日本・韓国・フィリピン・インドネシア・インドシナ・インド・アフリカなど、幅広い国々と交易をしていました。しかし、鄭和の船団は、商船隊とは別に独立した活動を行っていました。鄭和は船団を率いてアフリカまで赴き、皇帝の栄光をひけらかしては面白半分に珍しい動物を集めるなど、貿易の拡大や保守といった活動をすることは無かったとされています。以下の図は、1414年に鄭和の船団によって東アフリカから明に持ち帰られたキリンです。


鄭和が行ったような「栄光をひけらかすだけの遠征」は膨大な費用がかかるだけで、明にとって利益をもたらすものではありませんでした。度重なる遠征により、明の財政は圧迫されていきましたが、当時の政治情勢では、栄光を見せびらかすための遠征が無意味であることを理解することはできませんでした。その後、鄭和に航海を指示した永楽帝の死去と、遠征による財政圧迫を問題視していた明の第4代皇帝である洪熙帝の命令により、鄭和の大明宝船や民間商船隊の遠征は禁止されることになりました。

◆大航海時代のポルトガルの成功
一方、明から遠く離れたヨーロッパは、明とは別の道を進んでいました。ポルトガルでは各地域から航海士や投資家の支援を受けて、貿易や税金などのために、他国の征服に焦点を合わせた航海を始めていました。

ポルトガルの初期の征服は、ジブラルタル海峡付近のアフリカ側に位置するセウタでした。1414年、鄭和が遠征の真っ最中だったころ、ポルトガルのエンリケ王子らによってセウタは征服されました。その後、ポルトガルはマデイラ諸島やアゾレス諸島といった大西洋の島々を征服していきます。

By Pineapple_Studio

ポルトガルは、航海で各地を訪れる度に交易所を設置しました。ヴェネツィア産のガラス玉や武器といったヨーロッパの品物を、金や奴隷、さまざまな異国の品物と交換しました。特にヴェネツィア産のガラス玉は、多くのアフリカ人にお金や宝石と同等のものとして使用されたようです。明の皇帝が変わり、海外との交易が禁じられている間、ポルトガルは貿易の拠点をアフリカの西海岸にまで広げていました。ポルトガルはより南へと向かう遠征には、明のような巨大な船団ではなく、少数の小さな船を派遣していたとのこと。また、投資家は新しい有益なビジネスを立ち上げた航海にはさらなる投資を行っていました。

ポルトガルは数々の航海で得た経験と、ヨーロッパ各地の投資家から得た資金、当時先進的だった大砲を始めとする軍事技術を利用して、中東・アジアの主要地域で次々と貿易を行いました。ヨーロッパの銀などを、アジアのエキゾチックな特産品と交換する取引は、非常に実入りの良い取引だったそうです。16世紀初頭までには、ポルトガルは「世界の主要な都市との貿易ルートを確立」しました。莫大な富と先進文明、巨大な船を持っていた明ではなく、小さな国で小さな船を所持していたポルトガルが交易所と植民地を着実に増やしポルトガル海上帝国を築いていったのです。その後、他のヨーロッパ諸国もポルトガルの後に続くこととなりました。

以下の世界地図は、16世紀中頃までのポルトガルが航海で交易を持っていた範囲を示しています。緑色は植民地、赤は交易を行っていた港を示しています。ポルトガルとは対照的に、明でもアフリカの西海岸やヨーロッパに交易所を設置するための航海が再び計画されたものの、費用の問題などから実現はしませんでした。


◆宇宙開拓に必要なものとは?
ザボ氏は、宇宙の開拓に関して言えば、大航海時代の中国と同じ失敗を繰り返しているのは欧米諸国であるとし、「アポロ計画は栄光と一塊の石以外に何を得たのだろうか」と語っています。ザボ氏はアポロ計画に続く宇宙開発が、軍事や商業よりも、政府の力や栄光を誇示する「大航海時代の明」のような宇宙開拓であると指摘しています。

NASAは以前、スペースシャトルは1回につき約3600万ドル(約39億円)でフライトでき、2000年までに火星に基地を造ることを計画していました。しかし、最終的にスペースシャトルのフライト費用は1回約15億ドル(約1642億円)となりました。インフレを考慮しても、予定されていた価格の40倍以上にあたります。1980年初頭に発表された宇宙ステーションも、10年以内に完成すると予定されていたにも関わらず、最初の国際宇宙ステーションが打ち上げられたのは1998年のことでした。どの計画も、最初の発表とは大きくかけ離れたものとなりました。

By cookelma

「月や火星基地に対する計画も、大航海時代の中国と同じ無用の長物であり、軍事や商業を考慮した現実的な見通しを持っていません。NASAは、ロケット技術の先駆者であるヴェルナー・フォン・ブラウン氏が約60年にわたって描いてきた『宇宙ステーション』や『基地』といったSF映画に出てくるような技術に釘付けになっているにすぎないのです。このシナリオの実現は、政府が巨額の資金を使って自国の力を誇示する目的以外には、ほとんど実用性を持ちません」とザボ氏は語ります。

宇宙開発の中でも、通信や監視のために使用される衛星の開発は、ただの見せ物ではなく軍事や商業を目的とした技術開発という側面があります。実用的な衛星の開発は、大航海時代のポルトガルをはじめとする、成功した探検家や開拓者たちの躍進に近いものがあるとザボ氏は述べています。

「政府の栄光を強調するため」という鄭和とNASAに共通するスタイルは、小さなポルトガルが世界の海を制覇した軍事的な方式とは対照的です。宇宙開発のような、まだ見ぬ領域の開拓や開発の手法としては、鄭和とNASAの方針は失敗であるとザボ氏は述べています。「着実な努力によって商業的・軍事的・環境的利益のために自ら資金を調達できる者が、やがて太陽系を探検し、宇宙開発を発展させる先駆者となるだろう」とザボ氏は語っています。

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in メモ, Posted by darkhorse_log

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