「人生とは無意味なのか?」を問い続けたノーベル賞作家の哲学とは?
「異邦人」「シーシュポスの神話」などの作品で知られ、ノーベル文学賞を受賞したアルベール・カミュは、「不条理」の哲学を打ち出して注目されたフランスの小説家です。カミュが作品で提示した不条理の考え方とはどういうものなのかについて、さまざまな物事を解説するYouTubeチャンネル「TED-Ed」がムービーで説明しています。
Is life meaningless? And other absurd questions - Nina Medvinskaya - YouTube
カミュの生まれたフランス領アルジェリアは、フランスからの入植者と原住民の間で起きた紛争で混乱した情勢にありました。カミュの周りには日常的に暴力が存在していました。
カミュの父親は第一次世界大戦で戦死。カミュが20代後半の時に第二次世界大戦が勃発しましたが、結核を持病として患うカミュは兵士として不適格とされ、アルジェリアでジャーナリストとして生計を立てることとなります。
カミュは激化する戦争の惨状を目にし、終わりのない惨事と苦しみに意味を見出すことができませんでした。
戦争の惨状を目にして人生への失望感を増幅させていったカミュは「もし、この世界に意味がないのであれば、自分の人生に価値があるのだろうか?」と自問自答するようになります。
カミュと同世代の若者は、ジャン=ポール・サルトルによってフランスに持ち込まれた実存主義のもとで、カミュと同じような疑問について考えていました。
実存主義は、人間は悲惨な状況を直視し、その中にも人生の意味を見出そうとする考え方でした。しかし、カミュはこの思想を受け入れませんでした。
カミュは、「静かに冷淡な世界」と「生きる意味を探し求めること」の2つは合わないパズルのピースだと考え、この2つをむりやり合わせようとする時に生まれる葛藤や対立を「不条理」と捉えました。つまり、人生とは本来無意味なものであるとカミュは考えたのです。
カミュの初期作品のテーマはこの「無意味な人生をどう生きるか」という問いかけであり、カミュ自身は永遠に続くこの問いかけを「不条理の系列」と名付けました。
カミュが1942年に発表した小説「異邦人」には、この問いかけに対する答えが記されています。
「異邦人」の主人公であるムルソーは、感情が分離して何にも意味を見出せず、母親の葬式にも涙を流さない青年です。
ムルソーは知人の犯罪計画を手助けし、トラブルに巻き込まれて人を殺してしまいますが、良心の呵責(かしゃく)にさいなまれることはありません。
ムルソーにとって世界は無意味なものであり、道徳を判断する力はありません。ムルソーにとって秩序ある社会は敵であり、ムルソーを襲う疎外感はゆっくりと増幅していきます。
カミュはこの作品で示した哲学が高く評価され、1957年に44歳の若さでノーベル文学賞を受賞しました。
カミュは「異邦人」を発表した後も、小説に限らず、戯曲やエッセイなど、さまざまな作品の中で不条理の中に人生の意味を模索し続けました。
そして、カミュはひとつの疑問に到達します。それは「本当に人生が無意味であるならば、自殺は無意味な人生に対して唯一合理的な行いなのではないか?」というものです。
この疑問に対してカミュが示した答えは「いいえ」でした。不条理なこの世界を解明することはできなくても、生きることを選択することで、人間の真の自由が最も表現されると結論づけました。
カミュは、ギリシャ神話を基にしたエッセイ「シーシュポスの神話」の中で、不条理な人生を受け入れて生きることについて示しました。
人間の王シーシュポスはギリシャの神々を欺いた罪で、巨大な岩を山頂まで永遠に押し上げる罰を科されました。シーシュポスは神々の言いつけ通りに山頂まで岩を押し上げますが、山頂に到着した瞬間に岩がまた麓まで転がり落ちてしまいます。
シーシュポスの刑罰はどうしようもなく無意味で苦痛を伴うものですが、カミュは「この神話が悲劇的なのは、シーシュポスが意識に目覚めているからだ。きっと山頂へ岩を押し上げられるという希望がシーシュポスを支えているとすれば、かれの苦痛など存在しないことになるだろう。そして今日の労働者は、毎日同じ仕事に従事している」と説き、人が世界の不条理を認識して受け入れることで幸福になると考えました。
しかし、この考え方は「理想となる生き方を実現するためには暴力による革命も必要である」とする実存主義者からは受け入れられませんでした。
しかし、カミュは「権力の力関係を覆しても、それは終わらない暴力のサイクルを生み出すだけだ」と主張し、万人が共有する人間性への理解を確立すべきだと考えました。このため、カミュは世界的に高く評価される一方で、フランス文壇とは対立することとなってしまいました。
そんな対立を気にも止めず、カミュは自分の人生を題材に描いた自伝的小説「最初の人間」に取り掛かりました。この作品は、希望に満ちた新しい方向性となる「愛の系列」を説く内容となるはずでした。
しかし、カミュは1960年に突如、交通事故でこの世を去ってしまいました。
「最初の人間」は未完に終わりましたが、カミュの考えた不条理の概念は、世界文学、20世紀の哲学、そして大衆文化にも溶け込みました。
「カミュの思想はこの無意味な世界に挫折ではなくインスピレーションを吹き込んでくれるのです」と語り、ムービーは終わります。
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