今から30年前の1991年9月、オーストリアとイタリアの国境の山岳地帯で、ヨーロッパで最も有名なミイラが発見された。5000年以上前の凍結ミイラ「アイスマン」だ。
標高約3200メートルの湖のそばの氷原で、うつぶせの状態で横たわっていたこのミイラは、発見地エッツタール・アルプスから「エッツィ」と名付けられ、たちまち世界の注目を集めた。新石器時代のヨーロッパを生きた彼の生活や壮絶な最期は、数々の本やドキュメンタリーに描かれ、長編映画まで制作された。
エッツィは現在、イタリア、ボルツァーノの南チロル考古学博物館で、研究者たちによって注意深く管理されている。干からびた体は、マイナス6℃に保たれた特製の冷凍室に保存されている。年に4、5回、滅菌水をエッツィに散布して、ミイラを保護する氷の膜を作る。これは、「ウェットミイラ」(乾燥した場所ではなく湿気のある環境で自然に保存されてきたミイラ)の状態を維持するためだ。
毎年、平均で約30万人がボルツァーノを訪れ、冷凍室の分厚いガラス窓越しに見るアイスマンの姿に驚嘆する。ヨーロッパ最古の都市の誕生やエジプト最初のピラミッド建設よりもずっと以前に生き、驚くほど良好な状態で保存されているミイラは、貴重な研究の機会となるため、多くの研究者をひきつけている。
「私の知る限り、エッツィは、今までに世界で最も綿密に調査された人体です」。ドイツ、ミュンヘンを拠点とする法医学者でエッツィ保存の責任者、オリバー・ペシェル氏はこう話している。
このアイスマンの生と死について30年間の研究でわかったこと、そして、この驚異のミイラに期待される今後の研究について紹介しよう。
年齢、利き手、血液型は
エッツィは、やせて小柄(160センチほど)な男性で、死亡時の年齢は約46歳。左利きで、靴のサイズは26センチ。眼窩に残っていた眼球から瞳の色は青とされてきたが、ゲノム解析によって、そうではないことがわかった。「瞳は茶色、髪は濃い茶色です。皮膚は地中海人種に典型的な色です」と話すのは、エッツィの主要な研究の多くを手がけてきたボルツァーノのEURACミイラ研究所所長、アルベルト・ジンク氏だ。
血液型はO型で、乳糖不耐症だった。また、珍しい遺伝子異常によって第12肋骨が形成不全になっている。虫歯、腸内寄生虫、ライム病に悩まされ、膝、腰、肩、背中に痛みを抱えていた。彼の体には61の入れ墨があったが、それは損傷がある骨と関節の位置を示していた(現在のはり治療のツボとも一致している)。
また、エッツィは複数の肋骨と鼻を骨折したことがある。指の爪に水平に刻まれた溝は、死の数カ月前に幾度となく肉体的ストレスを受けたしるしで、おそらく低栄養状態がもたらしたものだろう。さらに、動脈硬化になりやすい遺伝的素地があり、CTスキャンによって、世界最古の心疾患例であることが確認されている。
放射性炭素年代測定の結果、エッツィが生きていたのは、およそ5200年前(紀元前3350年~3110年)とされている。