古来よりクジラ捕りの伝統を守ってきたインドネシア、ラマレラ村の人々。その暮らしは今、内外からの圧力にさらされている。『ラマレラ 最後のクジラの民』の著者ダグ・ボック・クラーク氏が、「クジラ乞い」の儀式を司るシャーマンに密着した。
シャーマンのシプリ・ウージョン氏は、村の暮らしを守るためのミッションに取り掛かろうとしていた。
ここはインドネシア、レンバタ島。中心地レウォレバに暮らす80代のシプリ氏は、壊れた傘を杖代わりに、足をひきずりながら埃っぽいバス停を目指した。バス停にいた若者たちはスマートフォンから目をあげなかったが、シプリ氏が故郷ラマレラ村行きのバスに乗り込むと、ぎゅうぎゅう詰めの乗客たちは場所を融通して彼にいちばんいい席を譲ってくれた。
毎年4月、「土地の主」と呼ばれているシャーマンのシプリ氏が「クジラ乞い」を執り行うために村に向かうことを、彼らは知っていた。「クジラ乞い」とは、ラマレラの人々が祖先の霊に向かって、どうかマッコウクジラをこちらに送り、1500人の村人たちがごちそうを食べられるようにしてくださいと願いを捧げる儀式だ。
ラマレラ村は、捕鯨による自給自足を行っている、今では世界でも残り少なくなったコミュニティのひとつだ。人々は生活の糧の大半を、マッコウクジラなどの海洋生物を竹製の銛で狩ることによって得ている。少なくとも500年にわたり、この生活を続けてきた。
現地には、狩猟採集社会の仕組みが現代まで残る貴重な例を目撃しようと、世界各地から人類学者がやってくる(マッコウクジラはIUCN(国際自然保護連合)によって危急種に指定されているが、ラマレラの人々が狩るのは年間で平均20頭であり、世界の生息数が約30万頭であることを考えればその影響はごくわずかだ)。しかし、グローバル化が押し寄せる中、ラマレラのコミュニティ内外では、近代化をどの程度進めるべきなのか、とりわけクジラ捕りを今後も継続すべきかどうかについて、さまざまな議論が行われている。
古代信仰と「クジラ乞い」
2018年4月下旬のあの午後、シプリ氏と一緒にバスに乗っていたわたしは、すでに何年にもわたって、ラマレラの人々が、現代社会とどの程度折り合いをつけるべきかという問題に取り組む様子を目撃していた。ラマレラを初めて訪れたのは2012年のことで、それから取材のために数カ月単位で村での生活を繰り返し、2019年には書籍『The Last Whalers(ラマレラ 最後のクジラの民)』も出版した。バスの中でわたしは、長く続いてきた闘いがいよいよ重大な局面を迎え、コミュニティそのものの運命も岐路にあることを感じていた。
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