消えた伝説の女性飛行士の謎、鍵握る人物が相次いで死去

アメリア・イアハートはどこに消えたのか? 日本軍捕虜説から墜落説まで

2022.02.27
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飛行機のプロペラの前でポーズをとるアメリア・イアハート。彼女とナビゲーターのフレッド・ヌーナンは、世界一周飛行を試みていた1937年7月2日に太平洋上で消息を絶った。(PHOTOGRAPH VIA BETTMANN ARCHIVE/GETTY IMAGES)
飛行機のプロペラの前でポーズをとるアメリア・イアハート。彼女とナビゲーターのフレッド・ヌーナンは、世界一周飛行を試みていた1937年7月2日に太平洋上で消息を絶った。(PHOTOGRAPH VIA BETTMANN ARCHIVE/GETTY IMAGES)

 2021年の夏、ジョセフィン・ブランコ・アキヤマさんは、Zoomを使ったオンライン・インタビューでこう語った。「この女性はとても有名だったのでしょう? でも、私は彼女の名前さえ知りませんでした。嘘を言えるはずがないでしょう?」

 女性とは、1937年に消えた伝説の女性飛行士アメリア・イアハートのこと。アキヤマさんは、サイパンでアメリア・イアハートとよく似た外見の白人女性が日本兵に捕らえられるのを目撃したと主張していた。

 エルゲン・ロング氏が主張するイアハートの最期は、まったく別だった。彼は、イアハートが海に墜落したことを証明できたと主張し、2020年のインタビューでは、「彼女は最後の無線連絡の途中で海に墜落したのです」と語っていた。

1932年5月20日、女性初の大西洋単独横断飛行を成功させて北アイルランドのロンドンデリー近郊に着陸したイアハート。(PHOTOGRAPH VIA KEYSTONE-FRANCE/GAMMA-RAPHO/GETTY IMAGES)
1932年5月20日、女性初の大西洋単独横断飛行を成功させて北アイルランドのロンドンデリー近郊に着陸したイアハート。(PHOTOGRAPH VIA KEYSTONE-FRANCE/GAMMA-RAPHO/GETTY IMAGES)

 1937年に太平洋上で消息を絶ったアメリア・イアハートの捜索は数十年にわたって続いているが、アキヤマさんとロング氏の証言は、捜索に非常に大きな影響を与えた。アキヤマさんの幼少時の記憶は、日本による謀略説、イアハートがスパイだったとする説、米国政府による隠蔽工作説などが広まるきっかけとなった。

 これに対してロング氏は、数十年にわたる調査により、イアハートらの人的ミスが失敗の原因だったと主張した。2022年1月、この2人が相次いで死去した。アキヤマさんは1月8日にカリフォルニア州フォスターシティで95歳で亡くなり、ロング氏は1月26日にネバダ州リノで94歳で亡くなった。しかし、2人の証言は生き続けている。

ミッションの失敗と永遠の謎

 1937年、アメリア・イアハートは赤道上を世界一周する飛行に挑戦していた。ナビゲーターは、パンアメリカン航空の太平洋横断商業航路を開拓したフレッド・ヌーナンだった。7月2日、2人はニューギニア島のラエを飛び立ち、そこから4000キロ以上離れた、長さ3キロほどの米国領ハウランド島を目指した。しかし、彼らが島に到着することはなかった。ハラウンド島沖で待機していた米国沿岸警備隊の監視船イタスカ号が受信したイアハートの最後のメッセージの声は明らかに緊張していた。「待っていてください。6210キロサイクルで聞いてください」と彼女は言っていた。「私たちは南北線上を飛行中です」

 イアハートとヌーナン、そして彼らが搭乗したロッキード・エレクトラの運命は、それ以来、さまざまな憶測を呼んでいる。提唱されている仮説は大きく3つに分類される。1つめは海に墜落して沈没したというもの、2つめは日本軍の捕虜となって獄死したというもの、3つめは無人島に不時着して死亡したというものだ。

次ページ:日本軍捕虜説の根拠、アキヤマさんが見たものは

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