2019年にパリのノートルダム大聖堂が炎上したとき、建築史家のダイアナ・ダーケ氏はツイッターにこう書き込んだ。だれもが知っている通り、あのフランス最高のゴシック建築である大聖堂の有名な双塔とバラ窓は、5世紀に建てられたシリアの教会を模したものだ――。
投稿は大いに拡散され、同意や反論などさまざまな反響を呼んだ。
ダーケ氏はこの反応に驚かされた。建築の概念が東西を行き来し、互いに影響を与え合っていたというのは、建築史家にとっては常識だったからだ。
ゴシック様式を特徴づける重要な要素が、中東のイスラム建築から借用したものであることは、何世紀も前に明らかになっている。英国ロンドンのウェストミンスター宮殿の小尖塔、イタリア、ベネチアのサンマルコ寺院の尖頭アーチ、ノートルダム大聖堂のバラ窓には、どれもイスラムの意匠の影響が見て取れる。
しかし19世紀初頭以降、イスラムとの関わりは忘れ去られ、ゴシックは北欧の様式に由来するものとしてもてはやされるようになった。
そもそもノートルダム大聖堂のような様式を「ゴシック(Gothic)」と呼びはじめたのは中世のイタリアだ。語源はゲルマン民族である「ゴート人(Goth)風の」であり、「がさつ」や「野蛮」などのネガティブな意味が込められていた。ところが、19世紀に再び英国でその建築様式が再び脚光を浴びたときには、がさつや野蛮と片づけられることなく、国家を代表する愛国的な様式に生まれ変わった。(参考記事:「ノートルダム 再建への道のり」)
こうした歴史を深く知ることによって、旅行者はヨーロッパを代表する建造物を新たな視点から眺められ、「東西の隔たり」が一般に言われるほど深いものではないと気づくだろう。
英国で起きた「ゴシックリバイバル」
ロンドンのウェストミンスター寺院やパリのノートルダム大聖堂など、中世ヨーロッパの大聖堂の要素を採り入れた「ゴシックリバイバル建築」は、ビクトリア朝イングランドの帝国としての力の象徴だった。
壮大なスケールのゴシックリバイバル建築はロンドンの至るところに見られる。たとえばハイドパークには、ビクトリア女王が愛する夫の死を悼んでつくらせた1872年建造のアルバート記念碑がある。また、セントパンクラス駅併設のセントパンクラス・ルネッサンス・ホテル・ロンドン(旧ミッドランド・グランドホテル)では、1873年建造の堂々たるファサードに、何層にも重ねられた華麗なアーチを見ることができる。
英国でゴシックリバイバルを中心になって推し進めたオーガスタス・ピュージンは、これはギリシャやローマの整然としたシンメトリー(対称性)に傾倒する異教徒的な要素を排除した、正統なキリスト教建築であると主張した。また美術評論家として大きな影響力を持っていたジョン・ラスキンは、1851年、ゴート人のようなヨーロッパ北部の感性や、雄壮で活動的な民族の特徴を表現していると称えた。すなわち、ゴシックリバイバル様式は、不安定な近代社会において、秩序、伝統、連続性を象徴するものとされた。
おすすめ関連書籍
信仰と技巧と栄華の到達点! 壮麗な大聖堂から素朴な礼拝堂まで、今見るべき世界の教会を紹介。 〔全国学校図書館協議会選定図書〕
定価:2,200円(税込)