この記事は雑誌ナショナル ジオグラフィック日本版2022年6月号に掲載された特集です。定期購読者の方のみすべてお読みいただけます。
フィリピンの海に広がる世界有数の美しいサンゴ礁。だが、保護区に指定されていない海域では気候変動と破壊的な漁法で深刻な被害も見られる。
私は砂漠を泳いでいた。それは砂ではなく、細かく砕けたサンゴ礁の残骸でできた、海の砂漠だ。フィリピンの海に広がるその不毛な光景を目にして私は言葉を失った。
同じフィリピンでも、宝石箱のような輝きに圧倒されるサンゴ礁の海もある。それは「コーラル・トライアングル(サンゴ三角地帯)」と呼ばれ、太平洋西部からインド洋東部にかけて広がる世界でも海洋生物の多様性が豊かなところだ。
この三角地帯では、これまで確認されているサンゴ全種の4分の3に当たる500種以上が見つかっている。サンゴ礁の広さはアイルランドの国土面積に等しい。三角形の北の頂点に位置するフィリピンには、サンゴ礁をすみかにする魚が1800種近く生息している。
だが、私が今いるサンゴ礁は、まるで墓場のようだ。どこからか迷い込んできたホンソメワケベラの姿に胸が痛んだ。この魚は、ほかの魚の体についた寄生虫を食べる「掃除屋」としてサンゴ礁の生態系を支えている。それなのに、ここには掃除する相手がいないのだ。
ホンソメワケベラの周囲にあるサンゴは、ハリケーンでなぎ倒された樹木のようだった。折れた根元の間に何かが光っている。拾い上げてみると、それは割れたガラス瓶の底だった。
以前、同じような瓶を見たことがある。中に肥料の硝酸塩を詰め、上の方に起爆剤と導火線が付けてあった。導火線に点火して海に投げ込むと水中で爆発し、魚が気絶するか、即死して水面に浮いたところを拾い集めるのだ。
だが、こうした漁法は魚だけでなく、漁師たちにとっても危険だ。爆発が少しでも早いと、手や腕、あるいは命を失うことになる。私が訪れる2日前にも事故が起き、漁師が1人犠牲になっていた。ここはセブ島の東約30キロに位置する、海底が丘状になったダナホン堆で、フィリピンのなかでもこうした爆破漁法の慣行が長く続く海域にある。
漁業資源の減少や水質汚染、気候変動は、じわじわと状況を悪化させるが、爆破漁法はあっという間に海洋生物を根絶やしにしてしまう。こうした漁を繰り返すことで、サンゴ礁に深刻な影響を与えているのだ。
遠くに男性の姿が見えた。ダイナマイトで爆破されたサンゴの残骸の中で、何かを拾っている。私は泳いで近づいた。彼は使い古したゴーグルをかけ、ベニヤ板をフィン代わりに足にくくり付けている。
彼は強烈な日差しの中でサンゴ礁を探し回り、手当たりしだいに獲物を捕まえては発泡スチロールの箱に入れていた。巻き貝、アワビ、ウニ、カニ、そして運が良ければ魚も捕れるが、家族が十分食べられる量になるまで、半日もかかることがあるという。彼は両手に魚を突く「やす」と手かぎを持って、サンゴを突いては刺し、ひっくり返してたたき割る。コウイカを仕留めた瞬間、真っ黒な墨が辺りに広がった。
こうした残り物をあさって細々と生きる人々の姿は、今ではフィリピン全土で見られる。特に魚が減る一方のコーラル・トライアングルで、その数はますます増えてきた。多くのフィリピン人にとって、海は生きるために不可欠な存在だ。ダナホン堆周辺では、全世帯の4分の3が食料と生計を漁業に頼っているが、漁獲はこの30年ほどで10分の1に減ったという。