米国で人工妊娠中絶をめぐる問題が再び激しい議論を巻き起こしている。2022年6月に、米最高裁は女性が中絶を選択する権利を認めた過去の判例を覆したが、バイデン大統領が出馬を表明した2024年の次期大統領選では、中絶が大きな争点になると見られている。
議論が激しくなると、中絶をめぐる米国の歴史がよく引き合いに出される。中絶に反対するサミュエル・アリート最高裁判事は、一部の歴史家の著作を引用し、中絶の権利は米国の「歴史にも伝統にも」根差していないと結論付けていた。しかし、その歴史観は正しいのだろうか?
解釈は多少異なるものの、人工妊娠中絶の歴史を研究したことのあるほとんどの学者は、妊娠を意図的に終わらせる行為が必ずしも過去に違法だったわけではなく、論争的ですらなかったと主張している。こうした学者の意見とともに、米国における長く複雑な人工妊娠中絶の歴史を振り返ってみよう。
法律制定以前、中絶は「ごく一般的だった」
植民地時代から建国直後まで、中絶に関する法律は米国には一切存在していなかった。米オクラホマ大学法律大学院の法律史学者カーラ・スピバック氏は、2007年10月発行の学術誌「William & Mary Journal of Race, Gender, and Social Justice」のなかで、キリスト教会が中絶に関して快く思ってはいなかったものの、それはあくまで不道徳的な行為または婚前交渉の表れであるという見方をし、殺人とまではみなしていなかったと記述している。
当時、妊娠初期での中絶はごく一般的だったと、米ケネソー州立大学の助教で女性の権利と公衆衛生の歴史家であるローレン・マカイバー・トンプソン氏は言う。
妊娠検査の精度が低かった時代、胎動が感じられるようになる前の中絶は起訴されることも批判の対象になることもなかったと、多くの歴史家が指摘する。当時は、胎動だけが妊娠していることを示す唯一の証拠だった。初めての胎動は通常妊娠中期、遅くても20週頃までには感じられるようになる。胎児は、そこで初めて赤ちゃん、または人として認められていた。
どうやって中絶していたのか?
この時代、妊娠の継続を望まない女性には様々な選択肢があった。自宅の菜園で普通に育てられている薬草を混ぜ合わせて摂取すると、当時の言葉で言う「障害物」を取り除き、生理を再開させることができたという。
「誰にも知られることなく、女性が自分で決定することだったんです」と、マカイバー・トンプソン氏は言う。
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