この記事は雑誌ナショナル ジオグラフィック日本版2022年9月号に掲載された特集です。定期購読者の方のみすべてお読みいただけます。
人々の生命が脅かされている内戦下で、学者たちは、繁栄を極めた古代文明の象徴を守ろうと奮闘している。
砂漠の干上がった谷底に立ち、目の前にそびえる巨大な建造物を見上げた。同じ大きさに正確に切り出された石が、高さ15メートルほどまで何層にも積み上がっている。約2500年前、モルタルなど使わずに造られたものだが、隙間はまったくない。
それは、現在のイエメンがある地域に築かれた古代マーリブ・ダムの水門だ。だが、ただの「ダム」と呼ぶには忍びない。この建造物は土と石だけで造られ、当時は堤長が620メートルもあった。今も残る大きな水門は優れた灌漑(かんがい)施設の一部で、高地に降る雨を東部の砂漠に送り込み、9600ヘクタールの不毛の地でオアシス農業を可能にしたという。
この地で経済の中枢として栄えたのが、紀元前8世紀に建国されたサバ王国の都マーリブだ。この王国は、旧約聖書とコーラン(クルアーン)に「シバの女王」として登場する伝説的な指導者、ビルキスがいたことで知られている。
サバ王国の全盛期には、マーリブの繁栄をこのダムが担っていた。肥沃な土地で食料が生産され、水も豊富で、ラクダや商人の飢えと渇きを癒やす中継地だった。
アラビア半島南部に位置したサバ王国は、インドから地中海まで続く「香料の道」の重要拠点であり、乳香や没薬など芳香性樹脂がさかんに売買されていた。また、隊商経済の要でもあり、東西を行き来する象牙や真珠、絹、銘木といった貴重品に関税をかけていた。
21世紀の今、イエメン西部のマーリブ県の県都となったこの都市に富をもたらしているのは、周囲に広がる砂漠の下に眠る石油と天然ガスだ。そのため、イエメン内戦でも、マーリブは戦略的に重要な標的となっている。親イラン武装組織フーシ派と、その拡大を阻止したい政府軍を支援するサウジアラビアとアラブ首長国連邦(UAE)が中心の連合軍が争うイエメン内戦は、もう8年も続いている。2020年以降、古都マーリブは内戦の最前線であり、国際的な承認を受けた暫定政府にとっては、残された数少ないとりでの一つとなっている。
日が暮れるなか、今も残る水門の壁に沿って歩きながら、何千年も昔のアラビア半島南部で、これだけの建造物が築かれたことに圧倒された。都市の繁栄を維持するために、物流の高度な仕組みも発達していたのだろう。そんなことを考えていると、近くの山から聞き慣れた砲声がして、谷底に響き渡った。
「聞こえましたか?」と、イエメン人の助手で通訳を務めるアマル・ダルウィッシュがささやいた。次の砲声はもう少し大きかったので、再度聞かれる前に私は答えた。
「ええ、ちゃんと聞こえてますよ」