この記事は雑誌ナショナル ジオグラフィック日本版2022年10月号に掲載された特集です。定期購読者の方のみすべてお読みいただけます。
アフリカからブラジルに連れてこられて、その後逃亡した奴隷の子孫たちは、文化や宗教、不屈の精神で結ばれている。
ジバニア・マリア・ダ・シルバは、大西洋奴隷貿易によってアフリカから連れてこられた女性たちが築いたブラジル東部の集落で生まれ育った。
奴隷にされた人たちの子孫の多くと同じく、56歳のシルバも人種差別や身の危険にさらされた。ブラジルは、西半球で最後に奴隷制を廃止した国だ。
殺害の脅迫を受けたこともある。相手は大抵、彼女と家族が住む土地を奪おうとするよそ者だった。ブラジル各地には、アフリカから連れてこられた奴隷たちが過酷な労働から逃亡して築いた「キロンボ」と呼ばれる集落がある。シルバは、そうしたキロンボの一つであるコンセイソン・ダス・クリオウラス出身の女性として、初めて大学の学位を得た。キロンボの住民が個人の権利や財産権を求めて長年苦闘してきたブラジルにおいては、素晴らしい成果だ。
教師として、また社会活動家として、シルバが30年にわたって模索してきたのは、学生たちの興味を引きつけ、キロンボの歴史や、何百年もキロンボの人々を苦しめてきた暴力と抑圧、そしてそのなかでも発展してきた活気ある文化を検証するカリキュラムを作ることだ。
キロンボで暮らすアフリカ系ブラジル人の財産権が憲法で認められたのは、ブラジルでの奴隷制廃止から100年後の1988年のこと。だが、キロンボの住民が土地の所有権をもつことは現在もまれで、法的にも難しい。根強く残る不平等が、彼らの重荷となり続けている。
「奴隷制の廃止は黒人に利益のみをもたらしたかのように語られます。しかし実際には、黒人を、家も土地もない状態で路上に放り出すようなやり方だったのです」と、キロンボの全国的な住民組織で事務局長を務めるシルバは言う。「その状況は今も変わりません」
ブラジルにおいて、キロンボは長らく、奴隷の身分や抑圧に対する抵抗の象徴だった。キロンボは「黒人の権利のための闘いや、アフリカから連れてこられたときに始まった暴力行為の全過程において黒人が抵抗してきた役割」を表しているのだと、彼女は言う。