この記事は雑誌ナショナル ジオグラフィック日本版2022年11月号に掲載された特集です。定期購読者の方のみすべてお読みいただけます。
長年の発掘は徒労に終わり、残された時間と資金はごくわずか。諦めかけたそのとき、一人の作業員が埋もれた階段を発見した。
8代目カーナヴォン伯爵夫人、レディ・フィオナ・ハーバートは来客名簿をめくり、彼女の邸宅を100年前に訪れた名士の署名を見せてくれた。ここは英国ロンドンから約90キロ西にあるハイクレア城の上階。伯爵家が代々受け継いできたこの城は、英国の人気ドラマ『ダウントン・アビー』の撮影地としても知られる。
彼女は夫の先祖に当たる5代目カーナヴォン卿、ジョージ・エドワード・スタンホープ・モリヌー・ハーバートの伝記を執筆中で、来客名簿はその資料の一つだ。「5代目」と彼女が呼ぶこの人物は、ツタンカーメン(トゥトアンクアメン)の墓探しに執念を燃やした英国の考古学者、ハワード・カーターのパトロンとして知られる。
伯爵夫人は1920年7月3日の日付を見て手を止め、署名を残した客たちを私に紹介した。「ほら、ハワード・カーターの名前があるでしょう。当然よ。彼は毎夏、何週間もここに滞在して、5代目と発掘の計画を練ったのですもの」
伯爵夫人はアラビア文字も混じる一連の署名を指し示した。「ここを見て……サアド・ザグルール、アドリー・ヤーガン、そのほか近代エジプトの建国の父たち」。ザグルールはエジプトの国民的英雄だが、英国の占領に抵抗して逮捕され、国外追放となった。そんな人物がこの城では英国の名士たちと親交を結んでいたのだ。
伯爵夫人は、5代目が何のためにパーティーを催したのか自分にはわかると言う。「5代目は非公式な場で人々を引き合わせ、個人的な信頼関係を築かせようとしたのです。条約の交渉をしたり、政治的な危機を解決したりする前にね。友情だって芽生えたかもしれません」
5代目カーナヴォン卿は生まれつき体が弱かったうえ、自動車事故で危うく命を落としかけて肺に重傷を負った。そのため医師の助言で、1903年からエジプトのナイル川流域で冬を過ごすようになった。エジプトの砂漠の空気を吸うのは、シャンパンを飲むように爽快だと、本人はご満悦だった。
砂漠の空気に負けないほど、この地の遺物に魅せられるまでに、さほど時間はかからなかった。1907年、カーナヴォン卿はハイクレア城にある遺物のコレクションを拡充しようと、発掘調査に自ら資金を提供し、カーターを現場監督として雇った。
カーターは17歳で英国からエジプトに渡った。考古学の正規の教育は受けていなかったが、絵の才能に恵まれていた彼は、遺物の模写をするうちに鋭い鑑定眼を身に付けた。そして1899年、エジプト考古局に2人しかいない主任査察官の1人に抜擢(ばってき)されることになった。
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ツタンカーメン王墓発見から100年となる2022年、エジプト考古学者の河江肖剰氏に監修と執筆を依頼。ナショジオがこれまで伝えてきた若きファラオに関する記事を集めた。この1冊で、世界一有名なファラオ、ツタンカーメンの謎めいた素顔に近づける。 〔全国学校図書館協議会選定図書〕
定価:1,650円(税込)