健康長寿 科学で老化を止められるか

老化を遅らせること、若返ることはできるのか?最新研究を追う

2022.12.28
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イタリア北西部のアオスタにある病院で、新生児のトンマーゾ・チッティが脈拍や呼吸の検査を受ける。現在、先進国で生まれる子どもは極めて高い確率で90代まで生きられる。世界中で高齢化が進む今、老化を遅らせるか逆戻りさせる研究の重要性が増している。(PHOTOGRAPH BY MELANIE WENGER)
イタリア北西部のアオスタにある病院で、新生児のトンマーゾ・チッティが脈拍や呼吸の検査を受ける。現在、先進国で生まれる子どもは極めて高い確率で90代まで生きられる。世界中で高齢化が進む今、老化を遅らせるか逆戻りさせる研究の重要性が増している。(PHOTOGRAPH BY MELANIE WENGER)

この記事は雑誌ナショナル ジオグラフィック日本版2023年1月号に掲載された特集です。定期購読者の方のみすべてお読みいただけます。

1900年以降、世界の人々の平均寿命は2倍以上も延び、健康に長生きすることへの関心が高まってきた。老化を遅らせること、そして若返ることはできるのか? 長寿研究の最前線を追った。

 マウスの寿命を延ばすことなら、科学者たちはお手のものだ。

 臓器移植手術後に拒絶反応を抑えるために広く処方されているラパマイシンを中年マウスに投与すると、最大60%も寿命を延ばせる。老化細胞を除去する薬を投与された高齢マウスは、同年代のマウスよりはるかに長生きする。糖尿病の治療薬であるメトホルミンとアカルボースの投与や極端なカロリー制限でも、マウスは健康に長生きできることがわかっている。最新の手法では、細胞のリプログラミング(初期化)という技術を使って細胞を若返らせようとしている。

「マウスってラッキーですよね。寿命を延ばす方法がたくさんあるから」。そう話すのは分子生物学者のシンシア・ケニヨン。「しかも長寿マウスはとても幸せそうです」。ケニヨンはこの分野の草分けで、彼女の数十年前の研究が現在の研究開発ブームのきっかけとなった。

 人間はどうだろう。科学は人間の寿命をどの程度延ばせるのか。そして、どの程度延ばすべきなのか。1900年から2020年までに世界の人々の平均寿命は2倍以上延びて、73.4歳に達した。だが、この目覚ましい成果には代償が伴った。慢性疾患や進行性の疾患が劇的に増えたのだ。老化はがん、心臓病、アルツハイマー病、2型糖尿病、関節炎、肺疾患など、あらゆる主要な疾患の最大のリスク要因だ。

 老化に伴う多くの健康問題の根源には、老廃物の蓄積がある。マウスを使った実験を基に、老廃物を除去する薬や、その蓄積を遅らせたり防いだりできる治療法が開発されれば、痛みや不調なしに80代半ばや90代まで長生きできる人が今よりはるかに増えるだろう。人間の寿命の限界は120歳から125歳と考えられているが、その限界まで長生きする人も増えるかもしれない。今のところ先進国でも100歳まで生きる人はおよそ6000人に1人、110歳を超える人となると500万人に1人にすぎない。

 もっと長く生きられるよう人体の機能を最適化することは可能なようだ。その方法を解明した者は、莫大な富を手にするだろう。当然ながら、投資家は長寿研究に惜しみなく資金をつぎ込む。グーグルはその先陣を切り、2013年に医療関連企業のカリコ・ライフサイエンシズを設立した。ケニヨンは同社の老化研究担当副社長を務めている。

 この分野の研究に威力を発揮するのは、人工知能(AI)、ビッグデータ、細胞の初期化、そして人体の機能を支える無数の分子についての知見だ。今や老化は「治癒」できると語る研究者までいる。

 人類は長年、不老長寿の夢を追い求めてきたが、つい30年ほど前まで老化と長寿の研究は日の当たらない分野だった。当時、米カリフォルニア大学サンフランシスコ校に勤務していたケニヨンが実験を行うために若手研究者を募ったときは、人材集めに苦労したほどだ。この分野の注目度を一気に高めたその実験で、ケニヨンは小さな線虫(学名C. elegans)の遺伝子を1個改変するだけで、寿命を倍に延ばした。しかも、遺伝子を改変した線虫は顕微鏡下で活発な動きを見せた。改変されていない線虫がじっと動かないのとは対照的だ。

 この驚くべき発見で、老化は遺伝子や細胞の信号伝達経路、生化学的な信号によって制御されていて、操作することが可能だとわかった。「どこから手をつけていいかわからない漠然としたものが、科学研究を通じて誰もが理解できるものになったのです」とケニヨンは言う。「誰でも挑戦できるとわかり、この分野にどっと人材が流入しました」

 とはいえ虫やマウスでは延命効果が認められても、ヒトに有効とは限らない。研究機関や製薬会社は「セノリティクス」と総称される老化細胞除去薬に注目し、初期のアルツハイマー病、新型コロナウイルス感染症の後遺症、慢性腎疾患、がん治療後のフレイル(虚弱)、失明につながる糖尿病の合併症に有効かどうか試している。そのほかにも老化防止の効果が期待できる化学物質の臨床試験が行われているが、今のところマウスの実験で素晴らしい成果を上げた薬で、市場投入にこぎ着けたものは一つもない。

「さまざまな手法が試されています」とケニヨンは言う。「そのうち一つでもうまくいく保証はありませんが、すべてうまくいく可能性もあります! あるいは、数種類を組み合わせることで効果を発揮するかもしれません」

ゾンビを退治する
ゾンビを退治する
米ウェイク・フォレスト大学医学大学院のミランダ・オー率いるチームは、海馬など、記憶に不可欠な領域に潜む老化細胞(ゾンビ細胞)を発見した。この細胞は自然に死滅せず、有毒物質を放出する。オーのチームは薬でゾンビ細胞を殺して、記憶力を回復できるかどうか調べている。右下の拡大画像にはアルツハイマー病の影響が見てとれる。黄色はタウタンパク質。その蓄積は進行性の脳疾患の指標となる。青はストレスを示唆する分子、赤紫は修復不能な損傷の兆候、緑はゾンビ細胞による炎症を示す。特に、大きな細胞に青、赤紫、緑がすべてあれば、それはゾンビ細胞とみていい。(脳画像:LIDAN WU, NANOSTRING COSMX 出典:MIRANDA ORR AND TIMOTHY ORR, WAKE FOREST UNIVERSITY SCHOOL OF MEDICINE; C. DIRK KEENE AND CAITLIN LATIMER, UNIVERSITY OF WASHINGTON ALZHEIMER’S DISEASE RESEARCH CENTER)

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