ローマは一日にしてならず、古代ローマ誕生の歴史

伝説になったローマの起源から、西洋を支配する強大国に発展するまで

2023.03.24
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イタリア、ミラノのヴィットーリオ・エマヌエーレ2世ガレリアの床にあるモザイク。ロムルスとレムスの伝説に由来する多くの美術作品のひとつ。(IMAGE COURTESY OF ANIBAL TREJO/SHUTTERSTOCK)
イタリア、ミラノのヴィットーリオ・エマヌエーレ2世ガレリアの床にあるモザイク。ロムルスとレムスの伝説に由来する多くの美術作品のひとつ。(IMAGE COURTESY OF ANIBAL TREJO/SHUTTERSTOCK)

 かつて地中海一帯を支配する大帝国を築いた古代ローマ。その起源はどのようなものだったのだろう。オオカミに育てられた双子が建国したとする伝説と、現代の研究者が考える実際のところを紹介しよう。

 古代ローマ建国の物語は、イタリア半島の中西部にあった都市アルバ・ロンガで幕を開ける。この地域には青銅器時代から農民が住み、古代ギリシャ人にも知られていた。紀元前1150年頃、トロイの王子アイネアスがアルバ・ロンガを築いたとされるのは、そのためだろう。

 伝説によるとその後、アイネアスの子孫であるアムリウスとヌミトルの兄弟が、アルバ・ロンガの支配権を巡って争う。敗れたヌミトルの息子たちは殺害され、娘のレア・シルビアは追放されて「ウェスタの巫女」(女神ウェスタに仕える巫女)となった。そのシルビアが産んだのが、双子の息子たち、ロムルスとレムスだ。

歴史家リウィウスによれば、サビニ人の女性たちは性的暴力を受けなかった。この作品は、サビニ族の王タティウスの娘でロムルスの妻となったヘルシリアが、夫と父を仲裁する場面。(IMAGE COURTESY OF ERICH LESSING/ART RESOURCE, NY)
歴史家リウィウスによれば、サビニ人の女性たちは性的暴力を受けなかった。この作品は、サビニ族の王タティウスの娘でロムルスの妻となったヘルシリアが、夫と父を仲裁する場面。(IMAGE COURTESY OF ERICH LESSING/ART RESOURCE, NY)

 これを知ったアムリウスは、王の座が脅かされることを危惧してレア・シルビアの首をはね、赤ん坊たちをテベレ川に捨てた。だが、奇跡的にメスのオオカミが双子を救い出して世話をし、その後、羊飼いのファウストゥルスが子どもたちを引き取り、現在のローマがあるパラティーノの丘で2人を育てた。

 やがて成長した双子の兄弟が、テベレ川の岸に都市国家ローマを建国したという。この地域にいくつもある丘は、防衛の要衝としてうってつけだったが、丘の間に広がる平地はじめじめとした湿地帯で、肥沃ではなかった。双子の兄弟はまもなく、ローマの正確な境界線について言い争い、ロムルスはレムスの命を奪った。

 ある日、ロムルスは自ら集めた無法者や犯罪者たちとともに、ローマ人たちとの婚姻に抵抗していた近隣のサビニ族を宴会に招いた。宴会で人々が浮かれ騒ぐ中、ロムルスは自分のマントを掲げて仲間に合図し、ローマの男たちはサビニ人の若い女性たちを強引に連れ去った。伝承によれば、ローマ人と結婚させられたサビニの女性たちは、その後、夫婦で仲睦まじく過ごせるようになった。そして、女性たちを取り戻そうとやってきたサビニの男たちに、ローマ人との戦いをやめるよう説得した。こうしてサビニ人はローマにとどまり、この新しい都市の住民となったという。

ヨーロッパ初の民間植物園であるファルネーゼ庭園から見たカピトリーノの丘を描いた16世紀の彩色版画。(IMAGE COURTESY OF BIBLIOTHÈQUE MAZARINE, PARIS, FRANCE/ARCHIVES CHARMET/THE BRIDGEMAN ART LIBRARY)
ヨーロッパ初の民間植物園であるファルネーゼ庭園から見たカピトリーノの丘を描いた16世紀の彩色版画。(IMAGE COURTESY OF BIBLIOTHÈQUE MAZARINE, PARIS, FRANCE/ARCHIVES CHARMET/THE BRIDGEMAN ART LIBRARY)

それほどドラマチックではなかった

 だが、考古学上の資料は、実際のローマの起源がそれほどドラマチックではないことを物語っている。最初のローマ人はラテン族の農民や羊飼いで、エスクイリーノやパラティーノの丘にある小さな村の小屋に住んでいた。サビニ族は北部に住んでいた民族だが、ローマの誕生後まもなく分裂し、一部の人々が南部に移ってローマ市民に加わった。

 紀元前600年代に、北部で複数の都市国家を統治していたエトルリア人がローマを支配するようになるまで、ローマはあまり発展していなかった。

ギャラリー:ローマは一日にしてならず、その誕生の歴史は? 画像8点(画像クリックでギャラリーページへ)
ギャラリー:ローマは一日にしてならず、その誕生の歴史は? 画像8点(画像クリックでギャラリーページへ)
イタリア、サレルノに残るコミティウム(民会)の遺跡。コミティウムでは、地方政務官を選出するための裁判官の集会や、一般集会が開かれた。(PHOTOGRAPH BY STEFANO RAVERA/ALAMY STOCK PHOTO)

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