この記事は雑誌ナショナル ジオグラフィック日本版2023年3月号に掲載された特集です。定期購読者の方のみすべてお読みいただけます。
経済の崩壊や壊滅的な爆発事故、機能しない政治に大量の難民流入。不屈の精神を誇る国民は、この苦境をはね返せるだろうか。
2022年1月、私はレバノン北部に連なる雪を頂く山々に抱かれた母の故郷にいた。
冬の太陽が弱い光を放っている。風は私の胸の痛みと同じぐらい鋭く、肌を刺した。墓地のきしむ門を開け、母の写真を先祖の遺影に並べて置いた。これで少なくとも形だけは、母は故郷に戻ったことになる。母は2021年11月のある木曜日の朝、長年暮らしたオーストラリアで、突然、息を引き取った。
母は生まれてから亡くなるまで、レバノン人だった。本当の意味で祖国を離れたことはない。私のように、外国で生まれた者であっても、名前のなかに、食べ物のなかに、出来事のなかに、家族の絆のなかに、常にレバノン人であることを感じながら生きている。その思いは時を超え、距離を超え、世代を超えて、私たちをこの土地に引き戻すのだ。
レバノンが内戦によって破壊された1975〜90年の間、私の家族はニュージーランドやオーストラリアで暮らしていた。
その当時、両親がよく聞いていたファイルーズという歌手の曲が、私の子ども時代のBGMだった。ファイルーズはレバノンの国民的歌手であり、最も有名なアラブ人歌手の一人でもある。『そよ風よ』という曲で、ファイルーズはこう歌い上げる。「外国暮らしが長引くうちに老いてしまったら、故郷に戻ったときに気づいてもらえないかもしれない。そうなる前に、そよ風よ、どうか私を故郷に連れて帰って」と。
母が最後にレバノンを訪ねたのは2019年の夏のこと。それから彼女は少しも変わっていなかったが、祖国の方は変わり果てた。この国は見る影もなく荒廃し、陰鬱で希望のない場所となっていた。不屈の精神を誇っていた国民は、世界銀行が1850年代以来、世界で最も劣悪と位置づけた経済崩壊により、深く傷ついていた。
かつてのレバノンは豊かだった。日曜日には人々がのんびりランチを楽しみ、夏には首都ベイルートの暑さを逃れて緑豊かな山や地中海に向かう車で、交通渋滞が起きたものだ。それが今や、栄養失調の子どもの増加と食料不安に悩む国になっている。ガソリンは、たとえあったとしても、多くの人にとっては法外に高い価格で、通勤や通学もままならない。ましてや週末の遠出などもってのほかだ。ジャーナリストの私が両親の祖国であるレバノンに引かれてやって来たのは約20年前のことだが、その頃の暮らしの彩りや活力はもうない。
レバノンで暮らすために私が“帰国”したとき、この国に関する知識の大半は、良いことだけを切り取った両親の記憶と、幼少期の自分が訪ねた内戦中のレバノンから得たものだった。両親は異なる地方の出身者で、キリスト教徒とイスラム教徒の間で内戦が始まる直前に、一緒に国を出た。両親のレバノンは、ファイルーズの歌に出てくるレバノンだ。現実と想像が混在している。今よりも穏やかで簡素な村の暮らし、愛、喪失、国外への脱出、帰郷をモチーフに、レバノン人の愛国心と汎アラブ主義を歌うこの歌姫の、甘美な曲のなかに生きているのだ。