脳の健康は、その人がどのくらい長く生きられるかを示す最も有力な指標かもしれない。若いときから長く変わらずに充実した人生を送れるか否かは、脳の健康を保てるかどうかにかかっている。
車に優しい運転を心がけ、高品質のガソリンを給油し、定期的にオイルを交換し、消耗した古い部品を交換しながら乗った車は、乱暴に乗り、整備もしない車よりも長持ちするだろう。同じように、中高年の脳を健康に保つ最も簡単な方法は、心身に良い習慣を身につけることだ。
では、長年にわたり心身に良くない習慣を続けた人が脳の衰えを感じはじめたときにはどうすればよいのだろうか? 車なら、いつでもエンジンを乗せ換えられる。一方、私たちの脳には代わりがなく、基本的には、生まれたときに持っていたニューロン(神経細胞)と、特定の狭い領域に追加されたニューロンのみから構成されている。衰えはじめたニューロンを救い、より強くすることはできるのだろうか?(参考記事:「あなたの「本当の年齢」は? 老化の度合いはやはり顔でわかる」)
独房か、学校か
アインシュタインの脳を調べた研究者としても知られる脳科学者のマリアン・ダイアモンド氏は、脳の働きを向上させるのに遅すぎることはないと確信している。その理由を説明しよう。
1960年代、ダイアモンド氏は実験用ラットの2つのグループを比較した。第1のグループは刑務所の独房のような環境に閉じ込め、生きていくのに必要な餌は与えるが、脳に刺激を与えるような遊びや訓練や仲間との触れ合いはさせなかった。第2のグループは小学校のような環境で飼育した。おもちゃやボールで遊ばせ、迷路を探検させ、筋肉やニューロンに十分な血液が送られるように運動をさせ、そして何より、仲間のラットと経験を共有させた。
そして、両グループのラットに同じ迷路を走らせてタイムを競わせたところ、心身を活性化させる環境で飼育されたグループのラットの方が、はるかに良い成績をおさめた。
ダイアモンド氏は続いて、人間を被験者とする実験ではできないことをした。勝者と敗者の両方を解剖して、脳を調べたのだ。より豊かな学習環境を与えられ、迷路通り抜け競争に勝利したラットの脳は、もう一方のラットの脳とは明らかに違っていた。彼らの大脳皮質(大脳の表面を覆うしわしわの層で、世界を理解するための神経回路がある部位)は、刺激の乏しい環境で飼育されたラットの大脳皮質に比べて、より厚みがあったのだ。
大脳皮質が厚くなったラットは、神経の結びつきが多かった。これは、精神活動が活発であることを示している。神経の結びつきがしっかり機能し続けられるのに必要な酸素を運ぶ血管の本数も多かった。ダイアモンド氏はそれまでの研究で、精神の活動が脳の物理的な状態に現れることを示す具体的な証拠を集めていた。運動が筋肉を鍛えるように、学習が脳を鍛えることは明らかだった。
ダイアモンド氏の研究には工夫があった。氏が実験で使ったのは、若いラットではなく、人間でいえば60〜90歳に相当する中高年のラットだった。つまり氏の研究は、老いたラットの脳にも新しい経験に応じて形を変える「可塑性(かそせい)」が備わっていることを示したと言える。
これはラットだけでなく、他の動物にとっても良い知らせだ。脳の構造は、すべての哺乳類で驚くほどよく似ている。マウス、イヌ、ウマ、サルに有効なものは、人間にも有効だ。ダイアモンド氏は、脳は何歳になっても変化しうるという自分の発見に安堵した。健康的な生活をすれば、高齢者の脳も(若者に比べて時間はかかるものの)良い方向に変化するのだ。「若者と同じように、脳は使えば変えられるのです」
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