翼の上でテニスまで! 命懸けで大空への道を切り開いた女性たち

女性初のパイロットが誕生して113年、女性たちの闘い

2023.03.31
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1910年3月8日、フランスのレモンド・ドラローシュが、女性パイロットとして初めて飛行ライセンスを取得した。現地では「ファム・オワゾー(鳥婦人)」として報道された。第一次世界大戦では、フランス軍にパイロットとして志願したが、女性であることを理由に拒否された。(PHOTOGRAPH BY CHRIS HELLIER/CORBIS VIA GETTY IMAGES)
1910年3月8日、フランスのレモンド・ドラローシュが、女性パイロットとして初めて飛行ライセンスを取得した。現地では「ファム・オワゾー(鳥婦人)」として報道された。第一次世界大戦では、フランス軍にパイロットとして志願したが、女性であることを理由に拒否された。(PHOTOGRAPH BY CHRIS HELLIER/CORBIS VIA GETTY IMAGES)

 世界で初めて空を飛んだ女性パイロットたちはすばらしく勇敢だった。しかし、その多くは悲劇的な事故で短い人生を閉じた。

 今から113年前の1910年3月8日、レモンド・ドラローシュは、女性として世界で初めて飛行ライセンスを取得した。元はパリの舞台女優だった彼女は、9年後、試作機で飛行中に墜落事故で亡くなった。

 著名なジャーナリストでもあったハリエット・クインビーは、1911年に米国人女性初の飛行ライセンスを得た。しかし、1年後、クインビーは新しい飛行機を操縦中に機体から投げ出され、ボストン港に落下して亡くなった。

米国の女性パイロット、ハリエット・クインビー。紫のサテン地を使用した飛行服は、女性らしさと実用性を兼ね備えた特注の一着だ。(PHOTOGRAPH BY THEODORE MARCEAU, ALPHA STOCK / ALAMY)
米国の女性パイロット、ハリエット・クインビー。紫のサテン地を使用した飛行服は、女性らしさと実用性を兼ね備えた特注の一着だ。(PHOTOGRAPH BY THEODORE MARCEAU, ALPHA STOCK / ALAMY)

 1921年、ベッシー・コールマンは、黒人女性初の飛行ライセンスを取得した。コールマンは教えが受けられる飛行学校を探すためにフランスまで渡った。だが、5年後、操縦中に工具が操縦装置に挟まったせいで墜落して亡くなった。

米国のベッシー・コールマンは初の黒人女性パイロット。米国では飛行技術の指導が受けられず、フランス語を習得してヨーロッパで飛行訓練を受けた。(PHOTOGRAPH BY GEORGE RINHART/ CORBIS, GETTY IMAGES)
米国のベッシー・コールマンは初の黒人女性パイロット。米国では飛行技術の指導が受けられず、フランス語を習得してヨーロッパで飛行訓練を受けた。(PHOTOGRAPH BY GEORGE RINHART/ CORBIS, GETTY IMAGES)

 航空黎明期の飛行は危険に満ちていた。歴史家の故アイリーン・レボウによれば、当時の飛行機は「竹、ワイヤー、布地を用いて製造されたもろい装置」だったという。機体が裏返った際にパイロットを守るべき安全ベルトや天蓋さえもなかった。しかし、ドラローシュ、クインビー、コールマンらは、飛行がもたらす自由を得るために生命の危険を冒すことをいとわなかった。

「当時、男女別に求められる理想像や分業が女性たちの行動を制限していましたが、航空分野は新しい職種で、こうした枠にとらわれないようでした」。2022年に始まった米国の国立航空宇宙博物館の講演企画「航空史におけるアメリア・イアハート」の初回で、歴史家のスーザン・ウェア氏は、このように述べている。「女性たちは、その草分け時代に空への挑戦に加わったのです」

ギャラリー:命懸けで大空への道を切り開いた女性たち 写真8点(写真クリックでギャラリーページへ)
ギャラリー:命懸けで大空への道を切り開いた女性たち 写真8点(写真クリックでギャラリーページへ)
米国の名門女子大スミス・カレッジの飛行クラブで、クラブの女性たちが飛行機のメンテナンス、操縦方法、飛行記録の管理などを学ぶ様子。このクラブは1934年に誕生した。(PHOTOGRAPH BY GEORGE WOODRUFF, BETTMANN ARCHIVE/GETTY IMAGE)

 彼女たちの多くが大空を飛ぶスリルに魅了されたが、飛行は自らの実績を評価される機会でもあった。「彼女たちは、女性というよりも人間として評価されたかったのです」と、ウェア氏は言う。

 特にコールマンは、飛行を男女間、人種間の平等を普及させるチャンスと感じていた。「男女を問わず、いままで黒人のパイロットはひとりもいませんでした。この非常に重要な航空分野に黒人も進出する必要があることを私は認識していました」。1921年にフランスから米国に帰国した直後、彼女はこう語っている。「飛行技術を習得して、大きなハンディを背負っている黒人の男女に空を飛ぶよう促すため、命懸けで取り組むことが私の義務だと考えたのです」。コールマンはアフリカ系米国人パイロットを育成する飛行学校の開設を計画していた。

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