この記事は雑誌ナショナル ジオグラフィック日本版2023年5月号に掲載された特集です。定期購読者の方のみすべてお読みいただけます。
適応力の高いゾウは、人間とともに生きるすべを習得しつつある。だが、人間はこの先、ゾウと共存する方法を学んでいくだろうか。
ここはインド南部カルナータカ州のコーヒー農園。
ピチャピチャと音を立ててぬかるみを進んでいると、非営利組織「自然保護財団」のニサル・アーメド・M・Kが突然、身をかがめるよう合図した。周囲には草が生い茂っていたが、その向こうには大きな水たまりがあり、数頭の若いゾウがもつれて転がって、水しぶきを上げていた。ほかのゾウが近くでその様子を見守っている。全部で20頭ほどの群れだ。
私たちの背後には農園の宿舎があり、そこに住む人たちはゾウに頻繁に出くわす。この農園がある人口180万人のカルナータカ州ハッサン県では、2021〜22年にゾウとの衝突で12人の死者が出た。同時期に人間に殺されたゾウは4頭。うち1頭は銃殺され、もう1頭は感電死、さらにもう1頭は列車にひかれて死んだ。ニサルによれば、この地域に生息する65頭ほどのゾウのほとんどは銃で撃たれた痕とみられる小さなこぶが体のどこかにあるという。
自然保護財団はここから車で数時間ほどのカルナータカ州の都市マイスールに本部を置く。ニサルはそのフィールド・コーディネーターを務め、人間とゾウの接触を防ごうと、同僚とともに早期警報システムを運営している。このシステムでは、特定の場所にゾウがいることがわかったら、交差点の掲示板で通知され、警告灯が点灯し、住民の携帯電話にテキストメッセージと音声で通知される仕組みになっている。とはいえ人間がからむと常にそうだが、事はそう単純にはいかない。
その日ここに来る前、無線送信機を装着したゾウを探して、未舗装の道を徐行運転していたとき、ニサルは鮮やかな色をした数本の傘とレインコートに目を留めた。そこから数列のコーヒーの木を挟んだ向こうに、ゾウの群れがいる。
ニサルは悪態をついて車を止め、女性1人と学校の制服を着た子ども3人を車に乗せた。女性は近くにゾウがいるという警告メッセージを確かに受け取ったと認めた。だが子どもたちを学校に迎えに行かねばならず、車を出せればいいが、その手立てもなかったというのだ。
これがインドやスリランカ、東南アジアの一部地域の現実だ。開発が進み、人間の生活圏が広がったために、ゾウと人間が居場所を奪い合うようになった。ゾウはかつて東は中国から、西はユーフラテス川流域まで、アジア各地に生息していた。
今ではアジアゾウは絶滅危惧種に指定され、かつての生息地の5%ほどの範囲にかろうじて残っているだけだ。都市化が進み、道路などの生活基盤が拡大したため、ゾウの生息地は分断された。外来種の植物がはびこり、食べられる植物が姿を消したことも、ゾウの生存を脅かしているようだ。正確な頭数は把握しにくいが、今では野生のアジアゾウは、インドにいる3万頭をはじめ、全部で5万頭足らずと推定されている。アジアゾウが生き延びるには、人間がゾウとうまく共存していく必要がある。それが研究者と保護活動家の一致した見方だが、現状は平和的な共存には程遠い。スリランカでは2020〜22年に1100頭余りのゾウが殺され、ゾウと出くわしたために400人近くが命を失った。インドではゾウと人間の衝突で2018〜20年に1400人の人間と300頭のゾウが死亡した。