この記事は雑誌ナショナル ジオグラフィック日本版2023年6月号に掲載された特集です。定期購読者の方のみすべてお読みいただけます。
製鉄技術が誕生する以前、古代の人々は隕石に含まれる鉄で装飾品や武器を作っていた。
エジプトにある4400年前の王墓の内部で、あるシンボルを見つけようと、私は壁面をくまなく調べていた。
石灰岩の壁には、人類最古級の文字体系であるヒエログリフの象形文字――ハゲワシやフクロウ、目や足、ヘビや半円形など――が、整然と縦書きで刻まれている。
私が探していたのは、水を入れたボウルをかたどったような文字だ。私たちがいる前室は床から蛍光灯で照らされていて、歩き回る観光客やガイドの影が古代文字の刻まれた壁面に映る。天井を見上げると、五つの角をもつ星がたくさん刻まれていた。
エジプト学者のビクトリア・アルマンサ゠ビラトーロは、2本の指をまっすぐ伸ばし、ヒエログリフを丁寧にたどりながら見ていた。彼女は古王国時代の文書を専門とする学者で、米ハーバード大学のフェローでもある。今回、彼女の協力で、カイロから約25キロ南にあるサッカラ遺跡の墓所を取材することができた。
ここは、紀元前24世紀の第5王朝最後の王、ウナスの墓だ。壁面に刻まれているのは、亡き王が危険な冥界を通り抜けられるようにと導く文言で、エジプト学では「呪文」と呼ばれている。この種の文書は「ピラミッド・テキスト」と総称され、このウナス王墓のものが最古だ。
ウナス王の石棺へと続く通路の横に記された象形文字の上で、アルマンサ゠ビラトーロの指がぴたりと止まった。「ありましたよ」。U字形の文字を指さしながら、彼女はうれしそうに小さな声で言った。
彼女の研究によると、その文字は「鉄」を意味しているという。この時代にエジプト人が鉄について記しているというのは注目に値する。人類が鉄の製錬技術を習得するのは、まだ1000年ほど先のことだからだ。だが、鉄を手に入れる道はもう一つ存在した。隕石からだ。
この10年ほどの遺物研究により、製鉄が始まる以前の時代、一部の文明では鉄隕石(隕鉄)を使ってさまざまな物が作られていたことが明らかになってきた。5200年ほど前とされるナイル川沿いのゲルゼ遺跡の墓地からは、隕鉄製のビーズが9個出土した。3300年ほど前に封印されたツタンカーメン(トゥトアンクアメン)の王墓からは、美しく、切れ味も鋭い短剣をはじめとする隕鉄製の副葬品が見つかっている。隕鉄で作られた宝飾品や武器は、エジプト以外でも見つかっていて、北米ではビーズが、中国では斧(おの)類が、トルコでは短剣が発見された。
それらの文化において人々が隕石の起源を理解していたかは、ほとんどわかっていない。ただ、ウナス王墓の葬礼文書には、空の金属についての話が出てくる。つまりエジプトでは、空から鉄が降ってくると認識されていただけでなく、そのことが彼らの神秘主義的な信仰の一部に取り込まれていた可能性がある。
先ほどアルマンサ゠ビラトーロが見つけた部分には、彼女の解釈によると、「ウナスは空をつかみ、その鉄を割る」と書かれているそうだ。神の領域である天界に向かって、ウナスが旅立つ場面の描写だ。この文言の正確な意味は定かではないが、ここには古代エジプト人が、空という存在を、雨や金属を時折降らせる、水をたたえた巨大な鉄製のたらいととらえていたことが反映されているというのが、彼女の説だ。そして、このピラミッド・テキストには、王が来世にたどり着くためには、その天界を船で渡らなければならないとも書かれている。