クリストファー・ノーラン監督の映画『オッペンハイマー』で「原爆の父」が注目を集めている。マンハッタン計画で核兵器を作り上げたニューメキシコ州。核爆弾の恐怖が実証されたネバダ州の核実験場。そして、自身に取り憑いていた悪魔をようやく鎮めることができた人里離れたカリブ海のビーチまで、ジュリアス・ロバート・オッペンハイマーの足跡をたどってみよう。(参考記事:「「原爆の父」オッペンハイマーは本当に後悔していた?」)
ロスアラモス:原爆誕生の地
最初の原子爆弾は、開発者たちに「ガジェット」と呼ばれていた。それが起爆されたのは「トリニティ」と呼ばれるニューメキシコ州の砂漠だったが、誕生したのはそこから200キロ近く北、標高2000メートルを超えるロスアラモスという活気のない高原の町だった。10代のころをニューメキシコ州で過ごしたこともあるオッペンハイマーは、ロスアラモスの元男子校を開発の拠点として利用した。
現在、史上初の原子爆弾を生みだしたマンハッタン計画の拠点は、国立歴史公園に指定されている。その姿は当時からほとんど変わっていない。
木陰に包まれた「バスタブ街」を歩いてみる。一風変わった名前は、当時珍しかったバスタブつきの家が、この付近に集まっていたからだ。
通りに面したこぢんまりとした平屋建てが、オッペンハイマーが妻のキティと2人の子どもとともに過ごした家だ。通りの端まで来ると、等身大の2体の銅像に肩をぶつけそうになった。よく知られたつば広帽姿のオッペンハイマーが、計画の軍事責任者であるレスリー・グローブス将軍と話している。
その先のフラー・ロッジは、かつて学校の集会場だったが、今はアートギャラリーとコミュニティセンターになっている。中に入ると、映画『オッペンハイマー』の印象的な一場面に入り込むことになる。
広島への爆弾投下後、オッペンハイマーは石造りの暖炉の前に立ち、ロスアラモスのスタッフに対して勝利のスピーチを行った。だが、勝利の言葉を口にしながら、内心では、それがもたらした惨劇が目に浮かんでいた。その場面の舞台となったのが、この部屋だ。
同じ暖炉の前に立ってみる。松の壁と木組みの天井に囲まれた広い部屋を眺めれば、この場所にいたオッペンハイマーが、3年という短い時間で成し遂げたことに心を動かしつつ、それが人類史に与えた衝撃に青ざめていた姿を想像するのは難しいことではない。
トリニティ:最初の原爆の爆心地
最初の原爆の爆心地となったトリニティは、今も年間を通じて、ニューメキシコ州ホワイトサンズ・ミサイル実験場として使われている。だが、年に2日だけ(通常は4月の第1土曜日と10月の第3土曜日)、米陸軍がトリニティ・オープンハウスというイベントを開催している(米陸軍が「不測の事態」と呼ぶ事情により、2024年4月のオープンハウスは中止となっている)。
イベントが行われる日には、アラスカからフロリダまでのナンバーをつけた車が、ホワイトサンズのスタリオンゲートに列をなす。そこから27キロほど南に走ると、円形に張られた金網が見えてくる。オッペンハイマーのガジェットが原子力時代の扉を開いた場所だ。
めったに使われることのない駐車場に車を停め、狭い入口を通って中に入り、円の中心にある真っ黒いモニュメントに近づく。何も言われなくても、厳粛な雰囲気を感じざるをえない。