徳川慶喜が重用、渋沢栄一「怒濤の提案」の中身 人材獲得から財政再建にも及んだ卓越した手腕

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埼玉県深谷市にある渋沢栄一の生家と銅像(写真:しー/PIXTA)
このままでは日本が立ち行かなくなってしまう――。幕府が弱体化するなか、迫りくる欧米の脅威に、危機感を募らせた渋沢栄一。攘夷しかこの国を救う手立てはないと、高崎城の襲撃と横浜の焼き討ちを決意するが、断腸の思いであきらめることに。前回(渋沢栄一の暴挙「横浜焼き討ち」止めた意外な男)は、決行直前に交わされた同志との命がけの議論を紹介した。
計画を知った幕府から追われる身となった渋沢だが、行くところがない。そんなとき、かつて築いた人脈が局面を打開する。一橋家の家臣、平岡円四郎から打診され、士官の道が開けたのだ。渋沢は一橋家に舞台を移し、実業家さながらの活躍を見せることになる。短期連載第4回は、一橋家での栄一の奮闘ぶりをお届けしたい。

ひょんなことから一橋家の任官が決まった渋沢と、いとこの渋沢喜作だが、当初は意見が割れていた。宿に帰ると、喜作は任官に反対して渋沢に言った。

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「これまで幕府を潰すということを目的に奔走してきた。今になって幕府と深い関わりのある一橋に仕官するということになれば、『とうとう行き場所がなくなって、食べるために仕官した』と言われるだろう」

もっともな言い分だ。幕府を倒す側から、支える側に回ろうというのだから、正反対なことをやろうとしているといってもいい。

相手が耳を傾けやすい状況を作る

喜作の反対意見を、渋沢は「なるほどそのとおりに違いない」といったんは受け止める。そうして相手が耳を傾けやすい状況を作ってから、焦らずに渋沢は言葉を紡ぐ。

もし、ここで攘夷の態度を貫けば「なるほど潔いという褒め言葉はもらえるかもしれない」としながらも、「世の中に対して少しも利益がない」と実利がないことを主張。さらに「薩摩か長州へ行くのが最善の判断になる」と理想に触れながらも、今はそんなつてがないため、一橋家にとりあえず仕えることを提案している。

喜作は「故郷に帰って監獄につながれた人々を引き出さなければ」と食い下がるが、「貧乏な浪人の立場よりも一橋家の家臣のほうが、仲間を救い出せる可能性が高い」と渋沢は反論。こう結論づけた。

「一橋家へ仕官する選択は、案外、一挙両得の上策であろうと思われる」

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