大罪人扱いからなぜ出世?「西郷隆盛」意外な変身 島流しからの復帰に尽力した大久保利通の胸中

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2度の島流しを経験した西郷隆盛(左)と復帰に力を尽くした大久保利通(左写真:road/PIXTA、右写真:Yoshiko/PIXTA)
倒幕を果たして明治新政府の成立に大きく貢献した、大久保利通。新政府では中心人物として一大改革に尽力し、日本近代化の礎を築いた。
しかし、その実績とは裏腹に、大久保はすこぶる不人気な人物でもある。「他人を支配する独裁者」「冷酷なリアリスト」「融通の利かない権力者」……。こんなイメージすら持たれているようだ。薩摩藩で幼少期をともにした同志の西郷隆盛が、死後も国民から英雄として慕われ続けたのとは対照的である。
大久保利通は、はたしてどんな人物だったのか。その実像を探る連載(毎週日曜日に配信予定)第15回は、島流しから戻った西郷と大久保の関係についてお届けする。
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<第14回までのあらすじ>
薩摩藩の郷中教育によって政治家として活躍する素地を形作った大久保利通(第1回)。21歳のときに父が島流しになり、貧苦にあえいだ(第2回)が、処分が解かれると、急逝した薩摩藩主・島津斉彬の弟、久光に取り入り(第3回)、島流しにあっていた西郷隆盛が戻ってこられるように説得、実現させた(第4回第5回)。
ところが、戻ってきた西郷は久光の上洛計画に反対。勝手な行動をとり、再び島流しとなる(第6回)。一方、久光は朝廷の信用を得ることに成功(第7回)。大久保は朝廷と手を組んで江戸幕府に改革を迫るため、朝廷側のキーマンである岩倉具視に「勅使派遣」を提案。それが受け入れられ、勅使には豪胆な公卿として知られる大原重徳が選ばれた(第8回)。得意満面な大久保を「生麦事件」という不測の事態が襲う(第9回)が、実務能力の高さをいかんなく発揮(第10回)し、その後の薩英戦争でも意外な健闘を見せ(第11回第12回)、引き分けに持ち込んだ。勢いに乗る薩摩藩。だが、その前に立ちはだかった徳川慶喜の態度をきっかけに、大久保は倒幕の決意を固めていく(第13回第14回)。

時を見定めてから西郷の復帰に動いた大久保

「世の中をうまくわたるのに大切なのは、タイミングをつかむことである。順序を誤れば、受け入れられることなく、誤解を与え、失敗に終わってしまう。なすべきタイミングがあるということを知っておくべきだ」

鎌倉時代末期に吉田兼好が『徒然草』で書いた一節だ。まさに、薩摩藩の大久保利通が、西郷隆盛を2度目の島流しから復帰させるにあたって、実行したことである。

西郷は、薩摩藩の国父である島津久光に「あなたは田舎者だから」と暴言を吐いたうえに、命令も無視して、徳之島に流されている。徳之島で75日間を過ごしたのちには、さらに南西へ70キロ離れた沖永良部島に配流。ここでは過酷な監獄生活を余儀なくされた。

久光の怒りがどれほどのものだったか。『島津久光公実紀 第一』には、西郷の島流しについて、こんなふうに記されている(現代語訳は筆者)。

「主君にそむく者であり、死罪を言い渡してもおかしくはないところを減罪し、一生帰って来られない流罪とすることを決めた」

大罪人扱いの西郷を復帰させるのは、久光に重宝されている大久保であっても、容易なことではない。大久保は慎重にそのときを見定めていたが、ついに久光の説得に動く。きっかけは、薩英戦争である。

次ページ西郷の復帰を期待した「精忠組」
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