反物質の謎に迫れるか? 「反水素」の長時間の閉じ込め成功が意味すること

水素の反物質の双子である「反水素」を従来より長く閉じ込める方法を、欧州原子核研究機構(CERN)の科学者たちが発見した。この研究により、反物質がどのように物質と対になっているのか、これまで以上に解明できるかもしれない。そして新たな研究課題も浮かび上がってきている。
反物質の謎に迫れるか? 「反水素」の長時間の閉じ込め成功が意味すること
欧州原子核研究機構CERN)のチームは、反水素を最長24時間まで閉じ込める方法を発見した。PHOTOGRAPH BY CERN

物理学の法則によると、「すべての素粒子には双子というべき反粒子がある」とされており、専門家もそう理解している。例えば、電子、クォーク、ミューオン(ミュー粒子)は、陽電子、反クォーク、反ミューオン(反ミュー粒子)とペアになっている。

それぞれの反粒子は、双子の素粒子と完全に同じ重さで、反対の電荷になっている。双子の素粒子どうしが出合うと、互いを打ち消し合い、そのときにしばしば光を発する。

反粒子が1932年に初めて発見されて以来、その存在はある意味で極めて当たり前のものになっていた。研究者たちは雷雲の稲妻が陽電子を発していることを発見した。その陽電子が近くにある電子と出合うと、ふたつの粒子は互いを打ち消し合う。

バナナは微量の放射性カリウムを含んでおり、75分に1個の陽電子を放出する。この陽電子が電子と接触すると、陽電子と電子はすぐに互いを打ち消し合って、なんの影響も残さない。

「反水素」の新しい性質を計測

反物質については、まだ専門家にもあまりわかっていない。反物質はほんのわずかな光を発しただけで消えてしまうので、何らかの実験ができる時間だけ捕まえておくことが難しいからだ。

ところが、スイスにある欧州原子核研究機構(CERN)の物理学者たちは、ここ20年ほどの間に反物質を誘導し、捕捉し、研究するために、特別な磁石や容器、レーザーを開発してきた。そしてこのほど、ついにもっとよく調べられるだけの長さの時間、反物質を捕まえておくことに成功した。これで反物質がどのように物質と対になっているのか、もっと解明できるかもしれない。

科学誌『Nature』で2月19日に発表されたところによると、CERNの実験プロジェクト「ALPHA」に参加している物理学者たちが、水素原子の反物質である「反水素」の新しい性質を計測した。正の電荷をもつ陽子の核と、その周囲を回る負の電荷をもつ電子からなる水素とは対照的に、反水素は正の電荷をもつ陽電子が負の電荷をもつ反陽子の核の周囲を回っている。

この実験でALPHAの科学者チームは、反水素のスペクトル、つまりこの量子粒子の発する特徴的な光の一部を計測した。放出された光の周波数または色から、反水素の内部の構造、つまり陽電子が反陽子の核の周囲を回るときの軌道などについて知ることができる。

反水素は、赤外線から赤い可視光、紫の可視光、そして紫外線に至る特徴的な周波数の光を放出すると思われるが、ALPHAのチームは紫外線の放出に注目した。反水素のスペクトルのこの部分を計測するためにパルスレーザーを照射し、光を放出させたのだ。「光の色を調べて、水素の光と比べるという実験です」と、50名からなるALPHAチームの広報担当で物理学者のジェフリー・ハングストは言う。

反水素にパルスレーザーを照射した結果

反水素をつくるために、ALPHAチームはCERNの粒子衝突型加速器や、反陽子と陽電子をつくりだすその他のマシンを利用している。この実験のために、研究者たちは約9万個の反陽子と300万個の陽電子を絶対零度(-273.15℃)の0.5℃上という温度で混ぜた。反物質をスローダウンさせるためには、このような低温であることが必要なのだ。

この温度において、粒子は周囲にぶつかって消えてしまったりしない。この混合物から30個の反水素ができあがる。それを研究チームは、真空の中に置かれたペーパータオルの芯と同じくらいの直径の長い円柱に集めた。

こうして2時間かけて粒子を集めると、反水素の数は約500個になる。その反水素にパルスレーザーを照射すると光を発するので、その光を計測した。そして何組もの反水素でこのプロセスを繰り返し、発せられる紫外線の周波数を12桁までもの精度で測った。

量子力学的な物体としては、陽電子は奇妙な法則に従っている。反陽子の核に対して、ある決まった通り道だけでしか動けないのだ。この決まった通り道は、反水素のスペクトルのなかの光の周波数と関係がある。このスペクトルを正確に計測することによって、反水素のなかの陽電子と反陽子の核との関係を、よりよく説明することができる。

なるで鏡に映る画像のような動き

ALPHAチームの反水素の研究は、物理学のより大きな目標にも沿うものだ。その目標とは、物質素粒子とそのツインである反物質素粒子との違いを見つけることにある。

「標準模型」と呼ばれる現在の物理学理論によれば、ツインである物質と反物質の素粒子は、互いに鏡に映る画像のように行動することになっている。このため反水素のスペクトルは、水素のスペクトルに完全に一致するはずだ。反水素のなかの陽電子と反陽子とのダンスも、水素における電子と陽子のダンスとすっかり同じはずである。

だが、標準模型が完全に正しいとは限らないことは、だいぶ前から知られていた。「標準模型の理論によれば、わたしたちは存在もしていなかったはずなのです」と、この研究には関わっていないドイツのマインツ大学の物理学者ランドルフ・ポールは言う。もしビッグバンが標準模型の法則に従って起きていたら、宇宙はだいたい同じ量の物質と反物質をつくりだしていたはずだ。

「物質と反物質は大昔に打ち消し合っていて、銀河や恒星や惑星、それに人間をつくることのできる物質は残されていなかったはずです」と、ポールは言う。反物質をさらに研究することで、ハングストをはじめとする研究者たちは、なぜ(反物質ではない)物質が宇宙を支配しているのか、その理由のヒントを見つけたいと考えている。

水素についての実験を反水素でも再現

そのための戦略のひとつが、これまでの水素についての実験を反水素でも再現し、その結果が同じかどうか調べることだ。その例としてALPHAチームは今回の研究のなかで、1947年にコロンビア大学のウィリス・ラムとロバート・レザーフォードが水素で実施した実験を反水素でも再現してみた。

そして、反水素のスペクトルにおける「ラムシフト」という性質を計測した。ラムシフトとは、それを水素で発見したウィリス・ラムにちなんで名づけられた性質である。水素はある種のレーザー光線を当てられると、2種類の非常によく似た、しかし究極的には明確に異なる色調の紫外線を発することが、ラムの研究によって判明している。

これについて物理学者たちは、それまで同じ周波数だと考えていた。水素がふたつの色を発する理由を説明するために、物理学者たちは量子電磁力学の新しい理論を考え出した。これが、現在の素粒子物理学の基礎となっている。

量子電磁力学によって、例えば空っぽにみえる宇宙は本当は空っぽではないのだということを、物理学者たちは理解した。「素粒子は、現れたり消えたりする」──。素粒子衝突型加速器の実験の結果を分析するたびに、物理学者たちはこの事実を認めないわけにはいかなかった。このような実験を反物質についても繰り返し行うことで、これと似たような飛躍的な進歩がもたらされる可能性があると、ポールは言う。

こうしてALPHAのチームは、反水素も水素の場合とそっくり同じラムシフトを示すことを突き止めた。これは素粒子と反粒子の双子は同じ動きをするはずだという、標準模型の“予言”に一致するものだ。つまり、なぜ宇宙は存在するのかという問題について、新しい手がかりは見つからなかったことになる。

それでも研究チームは大喜びしている。反粒子をつくりだし、操作し、何時間にもわたって閉じ込めておくための確実な方法がわかったからだ。

反水素を使って24時間まで実験可能に

ハングストたちは、25年以上かけて少しずつ、この実験のための研究を積み重ねてきた。反水素は地球上に自然に出現したものではない。1995年にCERNで物理学者たちが初めて合成したのだ。

しかし、これらの素粒子は、ほとんど光速に近いスピードで動きまわり、1秒の400億分の1という短時間で消滅してしまう。すぐに素粒子と衝突して打ち消し合うことのない、ほとんど動かない反水素をつくりだすまでには、さらに7年かかった。

そしてやっと反水素を捕まえて閉じ込めることができたのは、2010年のことだった。いまではハングストのチームは、その反水素を使って1回につき24時間まで実験することができる。

「わたしたちが研究を始めたとき、そんなことはできるはずがないと言う人たちがたくさんいました」と、ハングストは言う。「反水素をつくるなんて、絶対にできないと多くの人たちが考えていたのです。仮につくることができたとしても、捕まえることはできない、仮に捕まえることができたとしても、計測に十分な時間だけ捕まえておくことは無理だと考えていました」

ハングストたちは次に、反水素がどのように落下するのか研究したいと考えている。「たくさんの反水素を捕まえて解放したら、何が起きるか調べるのです」と、ハングストは言う。

標準模型の理論では、反水素が地球の重力のなかでどのように動くかはわかっていない。反水素は上に向かって落ちるかもしれないと予測する研究者もいる。何が起きるにしても、それは驚きをもたらすはずだ。

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TEXT BY SOPHIA CHEN

TRANSLATION BY MUTSUMI FUNAYAMA