観光、ライヴエンターテインメント、演劇……フィジカルな移動を伴うアクティビティの数々は、今回のパンデミックにより大打撃を受けている。

公演の延期や中止が相次ぐなか、豊島区の会場を中心として展開される国際舞台芸術祭フェスティバル/トーキョーは「想像力どこへ行く?」というテーマを掲げ、10月から11月にかけた開催が予定されている。

同フェスティヴァルのディレクターを務める長島確はいかなる思いで本年度の開催に踏み切ったのか、そして『Rendez-Vous Otsuka South & North』を制作するために来日したファビアン・プリオヴィル・ダンス・カンパニーを率いるファビアン・プリオヴィルに制作の意図を訊いた。

長島 確|KAKU NAGASHIMA
フェスティバル/トーキョー ディレクター。立教大学卒。字幕オペレーター、上演台本の翻訳者として演劇にかかわる。その後、日本におけるドラマトゥルクの草分けとして、さまざまな演出家や振付家の作品に参加。東京藝術大学音楽環境創造科特別招聘教授。

移動や出会いが、未来の可能性をもたらす

──フェスティバル/トーキョーは昨年、「からだの速度で」というテーマを掲げていましたよね。いま都市のなかでフィジカルな移動を伴う体験の提供が難しくなるなかで、今年の「想像力どこへ行く?」というテーマにどのように接続されたのでしょうか?

長島確(以下、長島) 「からだの速度で」というテーマは、舞台芸術につねに関わるものなので、今年も大事にしています。今回のコロナ禍以前、昨年のフェスティヴァルが終わったころに、次のキーワードとして「想像力」を考えていました。たとえ、身体に制限がかかったとしても、想像力で開けられるドアがあるし、想像力が新たな現実を生み出すこともあります。わたしたちは自分のこと、人のこと、社会のこと、世界のこと、とくにそれらの未来のことを、つい気にしてしまう。想像力は止まらないわけです。

また、今回のパンデミックによりフェスティヴァルの機能を考え直すなかで、日常とは違う組み合わせの人の移動や出会いが起こることで、新しい関係性が生まれることが重要な役割だと再認識させられました。移動や出会いは、未来に何かが生まれる可能性につながっています。普段は劇場に足を運ばない人が劇場に来る。劇場で仕事をしているアーティストが街に出ていく。そのためには身体の移動が重要だったのですが、それを止めざるを得なくなり、まるで息ができなくなるような思いでした。

──舞台芸術の世界でも、さまざまな公演が延期や中止になるなかで、フェスティバル/トーキョーを今年も開催するためには勇気や覚悟が必要だったのではないかと思いました。

長島 そうですね。幸いにもフェスティバル/トーキョーは10月開催のイヴェントなので、3月時点で約半年の猶予があったんですね。それに加えて、このイヴェントのために新しい作品を制作する作家の方も多いので、今年の状況に合わせたフェスティヴァルのかたちを模索できるはずだと思ったんです。だから、「絶対にやる」と言っていました。

ただ、6月ごろに疑いや不安があったのも事実です。その際にフェスティヴァルの役割とは何だろう、と改めて考えました。観客の皆さんに対して作品を発表することも大事なのですが、その準備のなかで国や文化をまたぐさまざまな人の交流が起きています。アーティストだけではなく、専門家、技術者、行政の方や街で暮らす人々も、そこに関わっています。10月に開催できないという理由で止めてしまえば、そのコミュニケーションが年単位ですべて止まってしまう。その間、関わる皆さんが歳をとり、街の状況も変わる。その時間を失うことは、とても大きな損失だと思いました。だからこそ、関わるメンバーや観客の方の安全・健康に最大限の配慮をしながら、開催する決断をしたんです。

──参加アーティストのひとりであるファビアンさんは、作品制作のために日本に来たんですよね。同じく、勇気が必要ではなかったですか?

ファビアン・プリオヴィル(以下、ファビアン) アートとはリスクを冒すことだと思っているからね(笑)。今回のパンデミックの最中でライヴパフォーマンスとヴァーチャルリアリティが融合したような作品は、いまの状況にピッタリ当てはまると思っていたから、このプロジェクトに取り組みたかったんです。ウイルスやパンデミックによってすべてを止めてしまうのではなく、異なる道を見つける必要がありました。わたしたちアーティストはいま、自らの立場を再定義しながら、人々にインスピレーションを与え続けるためのさまざまな方法を模索する必要があるんです。

ファビアン・プリオヴィル| FABIEN PRIOVILLE
アンジェ国立振付センター卒業。ラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップスなどを経て、1999年ピナ・バウシュ率いるヴッパタール舞踊団に参加。退団後は振付家としても活動し、2010年ドイツ、デュッセルドルフを拠点に、自身のダンス・カンパニーを設立、パフォーミングアーツとマルチメディアを往還する作品づくりを続けている。

舞台芸術を都市にひらく実践

──今年、ファビアンさんが取り組むのは公園やカフェなど公共の場での上演を前提にしたVRプロジェクト『Rendez-Vous』の東京版の制作ですよね。

長島 ファビアンさんの作品は、VRというテクノロジーを使いながらもまったく別の場所に行く作品ではない点が面白いと感じました。同じ場所の別の時間軸を体験し、その場所であることを手放さないことで、その場にリアルにはないものを出現させる。その場所性が、とてもユニークだと感じました。

ファビアン ありがとう(笑)。わたしは観客がスカイプ経由でパフォーマンスに参加したり、スマートフォンアプリとダンスを連動させたりと、新しいテクノロジーをコンテンポラリーダンスの領域に積極的に取り込んできました。

『Rendez-Vous』の最初のアイデアは、人がいない公共空間を見せることです。都市における慌ただしい生活のなかで、ひとつの区切りをつくりたかったんです。人々は次から次へと移動するため、周りを見渡すことをしません。わたしはユニークな屋外空間を探し出し、VRゴーグルをつけて座って、何もなく、音もなく、ただ見て息をするだけの時間をつくりたかった。わたしは振付家なので、ダンサーを集め、そこにパフォーマンスや動きを取り入れる方法を考えていきました。

最終的には、ある場所のデジタル・メモリーをつくることを目指しています。VRゴーグルをつけたヴァーチャルな体験であるにも関わらず、その場所に再び足を運んだときに、その記憶が呼び起こされるものです。

作品の舞台のひとつとなった「トランパル大塚」

──今回、ファビアンさんが収録で利用したのは「星野リゾート OMO5東京大塚」と「トランパル大塚」ですよね。舞台芸術を劇場から外に出していく実践が印象的です。

ファビアン わたしはいつも、劇場以外の場所でパフォーマンスをしたいと思っていました。劇場だけではやりたいことのすべてができないことがありますし、劇場という枠組みに疑問を投げかけたかった。また、劇場というインフラのなかでのみ作品を上演すると、そこには選ばれた観客しかやってきません。しかし、わたしは税金から支援を受けることもあるので、誰もがパフォーマンスにアクセスできるようにするべきだと考えてます。なので、広場などの公共空間でパフォーマンスをすることで、人々が芸術に偶然にも出会い、そこでアクシデントが起きるんです。すると、その人たちはのちに劇場に足を運ぶようになるかもしれません。それは新しい観客をつくることであり、観客を育てることを意味しています。

劇場内でスマートフォンを使った作品を上映した際に、それまでコンテンポラリーダンスを見に来たことがない若い観客が劇場に来てくれたんです。過去に『Rendez-Vous』を上演した際に、VRのようなテクノロジーを体験したことがない80歳の女性が体験してくれているのを見て、驚きましたね。

──「フェスティバル/トーキョー」は都市の芸術祭として、街にひらいていくことを重視していますよね。

長島 おっしゃる通りです。舞台芸術にとって劇場は重要ですが、それだけに留まる必要はありません。アーティストも観客も都市に出ていくほうがいいと考えています。なぜなら、街には面白い考えをもっている方が大勢いて、その方たちと出会うことがアーティストにとって重要だからです。

例えば、昨年から「とびだせ!ガリ版印刷発信基地」というプロジェクトに取り組んでいます。フェスティヴァルのなかでアーティストだけではなく、子どもからお年寄りまで誰もがZINEをつくれるという内容です。アーティストの作品を体験することも大事ですが、フェスティヴァルの存在によって、街の方たちの才能が吹き出してくるのが面白いんです。つくる側と参加する側のグラデーションが曖昧になり、プレイヤーやクリエイターが増えていってほしと思っています。世の中には驚くべきアマチュアがいっぱいいますから。

生命は必ず道を見つける

──今回のコロナ禍を経て、舞台芸術、あるいは都市におけるフェスティヴァルは社会のなかでどのような役割を果たすと考えますか?

長島 「都市のフェスティヴァルとは何だろう」と、3年前にフェスティバル/トーキョーのディレクターに就任したころから、ずっと考えています。村の祭りと都市の祭りを対比させたときに、前者は地縁や血縁のある住人たちが共同体の結束を確認するためのものだといえます。

一方で、都市の祭りに集まるのは、出自や価値観が異なり、共有するものがない異なる人々です。たとえバラバラだとしても、それでも都市に一緒にいる。そんな人々がお互いに存在していることを確かめ合うための機会として、都市のフェスティヴァルは機能するだろうと思うんです。一体化することも、仲良くなることもなくていい。けれども、一緒にいることができることを確かめる、そんな出会いの機会として都市のフェスティヴァルが存在するといいなと思っています。

そこで生まれるのは、予期しない出会いのチャンスなんです。デジタルテクノロジーによって欲しいものは検索してたどり着けるし、通販で買えます。目的があるものに出会うことはたやすい。けれども、目的なしに出会ってしまうこと。何かの始まりになるかもしれない、そんな偶発的な出会いを経験するチャンスが減ってしまっている。都市の祭りとして、そこを準備したいと思っています。

ファビアン 都市は人々の交流のためにつくられたものではありません。ひとりの人間がある場所から別の場所に移動するためにつくられたものだと思っています。そのなかでアートは、コミュニティの輪を新しくつくるための方法です。日常生活の外側で、アートは人々を結びつけ、オープンな議論を促したり、人々が価値観を共有したりする。そこから新しい意味や関係性、交流が生まれていきます。

長島 今回のパンデミックによって舞台芸術の世界も大きな影響を受けたのは事実ですが、絶対にやり方が見つかるはずだと思っています。映画『ジュラシックパーク』に「Life finds a way(生命は必ず道を見つける)」というセリフがありますが、ウイルスが道を見つけたように、わたしたちも道を見つけることができるはず。舞台芸術は身体を基準としながら、状況を面白がって、創造力を駆使して進化や適応していけるはずだと、わたしは信じています。

フェスティバル/トーキョー20

フェスティバル/トーキョー20「想像力どこへ行く?」
ジャンルや国を横断した8組のアーティストが集結し、13以上のプログラムを展開。
会期:10月16日~11月15日
主催:フェスティバル/トーキョー実行委員会
豊島区/公益財団法人としま未来文化財団/NPO法人アートネットワーク・ジャパン、東京芸術祭実行委員会〔豊島区、公益財団法人としま未来文化財団、フェスティバル/トーキョー実行委員会、公益財団法人東京都歴史文化財団(東京芸術劇場・アーツカウンシル東京)〕

撮影協力:星野リゾート OMO5東京大塚