土星の衛星タイタンの探査に向け、そっくりの大気を“再現”した実験から見えてきたこと

太陽系において生命が発見される可能性の高い場所として期待されている、土星の衛星タイタン。探査機が2027年に打ち上げられる前にタイタンの環境について詳しく知りたいと考えた研究者が、その環境を小さなガラス管の中に再現した。タイタンと同じ温度と圧力の条件で有機化学物質を混ぜ合わせたことで、いったい何が見えてきたのか。
Titan
PHOTOGRAPH BY NASA

土星最大の衛星であるタイタンには、見覚えがありながらも不思議な景色が広がっている。地球と同じように、タイタンにも川や湖、雲、降雨があり、氷山や厚い大気もある。だが、タイタンの化学サイクルは、水ではなく液体メタンで成り立っている。

メタンは、ひとつの炭素原子と4つの水素原子からなる有機分子である。研究者たちは、このメタンが混ざった混合物が、窒素を含むタイタンの大気、地表の氷、そして火山や隕石の衝突によるエネルギーと組み合わさることで、何らかの単純な生命体を生み出す完璧な“レシピ”となったのではないかと考えている。だからこそタイタンは、木星を周回する氷の衛星「エウロパ」と並んで、太陽系内において生命が発見される可能性の高い場所として期待されているのだ。

はるか遠くのこれらの衛星に向けて、今後10年にわたる複数の探査計画の準備が進められている。まず、エウロパに向けて2022年に欧州の探査機が、24年には米航空宇宙局(NASA)の「Europa Clipper(エウロパ・クリッパー)」が打ち上げられる。そしてタイタンに向けて27年に、NASAの革新的なヘリコプター「Dragonfly(ドラゴンフライ)」が打ち上げられる予定だ。

タイタンの環境を“再現”して起きたこと

だが、科学者たちは探査機が出発する前に、これらふたつの衛星の惑星化学の様子を知りたいと考えている。今回の実験では、ある研究者がタイタンの環境を小さなガラス管の中に再現し、タイタンと同じ温度と圧力の条件で有機化学物質を混ぜ合わせた。

南メソジスト大学の化学部助教授で、米国化学会で発表された研究の主任研究者であるトムチェ・ルンチェフスキーによると、気温がマイナス約179℃にも達することがある極寒のタイタンでは、地球上では液体のメタンやベンゼンなどの有機分子が、氷のような固体の鉱物結晶になるという。

ルンチェフスキーは一連の実験で、小さなガラス管からポンプで空気を吸い取り、そこに氷を加えた。続いて窒素、メタン、メタンの科学的な親戚に当たるエタン、その他の有機化合物をひとつずつ加えていき、ガラス管の中の混合化学物質の組成を変えて様子を確認した。次に、地球の約1.45倍の気圧に相当する圧力をかけ、非常に冷たい空気で試験管を囲んで温度を下げた。

「タイタンで化学物質が生成されるのと同じ方法で、これらの化学物質を生成します」と、ルンチェフスキーは説明する。「まず、ガラス管を真空状態にして酸素を取り除き、次にメタンを入れてタイタンの大気を再現します。そして、ほかの有機分子を入れて観察するのです」

こうしてルンチェフスキーは、タイタンに多く存在して地球上の人間にとって有害なふたつの有機分子のアセトニトリルとプロピオニトリルが、タイタンと同じ気圧と温度のもとでは単一の結晶体になることを発見した。タイタンでは、このふたつの分子は窒素とメタンに太陽や土星の磁場、宇宙線などのエネルギーが加わって形成される。アセトニトリルとプロピオニトリルは、大気中の気体として生成され、凝縮してエアロゾルとなり、地表に降り注ぎ、いくつかの形の固体鉱物の塊となる。

生命の誕生に必要な“レシピ”を理解するために

ここまでの化学の話が難しすぎると感じた方もいるだろう。しかし、生物学、正確には宇宙生物学(地球外の生命に関する科学)に関心があるなら、化学化合物の形状や状態変化は非常に重要である。このふたつの化学物質を、タイタンと同じ条件を再現することで地球上で結晶の形にできたのは初めてのことだ。

もうひとつの重要な発見は、結晶は表面にもわずかな電荷(極性)があるということだ。この表面電荷は、水などのほかの分子を引き寄せることができ、炭素に基づく生命の構成要素を形成するために必要な存在である。

今回の新しい実験は、タイタンに生命が存在することを証明するものではない。しかし、これにより研究者は、NASAの探査機であるドラゴンフライのタイタンへの着陸を待たずに、その奇妙な極寒の地表環境について新たな発見をできるようになった。

「タイタンに生命が存在するのか断定することはできませんが、生命が存在するための条件が揃っていることは確かです」と、ルンチェフスキーは言う。「タイタンは、地球上の生命と似たような方法で生命を育むことができる星のなかで、最も地球に近い星なのです」

この実験は南メソジスト大学のルンチェフスキーの研究室で実施されたが、そのサンプルはアルゴンヌ国立研究所、米国の国立標準技術研究所、ニューヨーク大学にも送られ、彼の同僚が追加で実験を進めた。ルンチェフスキーは8月下旬に開催されたアメリカ化学会(ACS)の会合で研究成果を発表しており、今回の実験に基づく研究論文を提出する予定だ。

ルンチェフスキーはNASAのジェット推進研究所(JPL)の同僚と共に、6月に発行された学術誌『Accounts of Chemical Research』に掲載されたレヴュー論文のなかで、この新しい分野を「cryomineralogy」(地球外の氷のような鉱物の研究)と表現している。

一方でルンチェフスキーは、今回の実験やほかの研究者たちの実験は生命の“創造”が目的ではなく、生命の誕生に必要なレシピのひとつを理解するためのものである点を強調している。「タイタンの鉱物を使って生命を再現できると仮定しているわけではありません。それどころか、タイタンについては基本的なことすらわかっていないのです」

蓄積される化学的データベース

タイタンの有機化学に関する今回の研究の大部分は、2005年の土星探査機「カッシーニ」によるタイタンの探査で得られたデータから着想を得ている。NASAのカッシーニは、重さ700ポンド(約317kg)の小型探査機「ホイヘンス」をタイタンの大気圏に放出した。ホイヘンスは6つの機器からの情報を地球に送信しながら降下し、電池が切れるまでの3時間にわたって地表のデータを収集した。

JPLの主任研究員でルンチェフスキーと共同研究しているモーガン・ケーブルによると、今回の実験によって鉱物や化合物の化学的データベースがつくられつつあり、2034年にドラゴンフライがタイタンに到着した際には参考資料として活用できるという。

「まず、単純な混合物についての基礎的な情報を集め、何が起きるのか確認することから始めなければなりません」と、ケーブルは言う。「その後、さらに珍しい混合物を探求していくことになります。新しい鉱物を発見するたびに、地表に存在しうるさまざまな物質に関する深く幅広い知識が指数関数的に増えていくのです」

PHOTOGRAPH BY NASA

NASAのゴダード宇宙飛行センターとジョンズ・ホプキンス大学応用物理学研究所のエンジニアや科学者は、これらの実験やその他の情報を利用し、ドラゴンフライの設計と製造、探査機に搭載する予定の「デジタル化学教科書」の作成に取り組んでいるのだと、NASAゴダード宇宙飛行センターのミッション担当副主席研究員であるメリッサ・トレーナーは言う。ドラゴンフライはタイタンの地表に着陸したあと、数年にわたってあちこちを飛び回り、環境条件に関する情報を収集して地球に送信する(NASAはこれを「ロータークラフト・ランダー」と呼んでいる)。

生命の痕跡の探索に向けて

ドラゴンフライは基本的に、ヘリコプターのような降着装置を備えた惑星探査機である。NASAのウェブサイトによると、ドラゴンフライには化学物質を識別するための質量分析計、地表を分析するためのガンマ線・中性子分析計、そしてタイタンの地下で発生した揺れを検知するための地震計が搭載される予定だ。

PHOTOGRAPH BY NASA

タイタンの大気は地球の4倍の濃度があることから、ローターが機体を飛行させるために必要な十分な揚力を容易に生み出せる。また、今年はじめにNASAのエンジニアが地球よりはるかに薄い火星の大気でヘリコプター「インジェニュイティ(Ingenuity)」を飛ばしたときよりも、はるかに難易度は低いといえる。ドラゴンフライはすべての観測機器を搭載したままタイタンを飛び回り、現存する、あるいは過去に存在した生命の痕跡を探すことになる。

今回のタイタンでの結晶形成に関する有機化学実験について、NASAゴダード宇宙飛行センターのトレーナーは「結晶が形成されうる条件を再現しながら、結晶が発見されうる地表上の場所、結晶が持ちうる特徴、そして空と陸からの探索で結晶を発見する方法を予測する上で役立ちます」と語る。「これらのデータは、着陸のたびに発見できた物体を解釈するために役立つ重要なデータなのです」

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TEXT BY ERIC NIILER