邦訳が待ちきれない! 2021年に世界で刊行された『WIRED』日本版注目の本10選

大の読書家として知られ、年間130冊の英米の新刊を原書で読破したデジタルハリウッド大学教授の橋本大也が、そのなかから最も翻訳が待ち望まれる10冊を『WIRED』読者のためにセレクトする年末の人気企画。今年も(アンチ)ビッグヒストリーものからCRISPRやAIの最先端を追った群像劇、それに最高の宇宙SFから究極のVR技術を軸にした人間ドラマまで、ヴァリエーション豊かなラインナップでお届けしよう。
邦訳が待ちきれない! 2021年に世界で刊行された『WIRED』日本版注目の本10選
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近代思想の大御所やビッグヒストリーの議論の根底を突き崩す痛快さ
The Dawn of Everything: A New History of Humanity』 by David Graeber, David Wengrow

世界の見え方を変えてしまうエポック・メイキングな本だ。著者はふたりいる。2011年の「ウォール街を占拠せよ」運動の理論的指導者で『負債論 貨幣と暴力の5000年』で知られる人類学者デヴィッド・グレーバー(20年逝去、これが遺作)と、ロンドン大学の考古学教授デヴィッド・ウェングロー。ふたりの10年間の対話から本書は生まれた。

彼らが挑むのは自由で平等な原始社会が農業革命や都市化を経て、宗教や王権、官僚制度を確立し現代の文明社会に発展したという常識だ。最新の考古学研究では狩猟採集と小規模農業を季節ごとにスイッチしていた石器時代の痕跡、王権や宗教をもたない平等主義者の都市の遺跡、現代人と同レヴェルの知性をもっていた部族社会の事例が発見されている。

「農業革命→産業革命→情報革命」のような一直線の図式で歴史を整理する“ビッグヒストリー”本が近年の売れ筋だ。人類の本質は邪悪だ、いや善良だというわかりやすい二元論も注目を集めている。『銃・病原菌・鉄』(ジャレド・ダイアモンド)『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ)『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』(ハンス・ロスリング)『Humankind 希望の歴史』(ルトガー・ブレグマン)──。こういった大ベストセラーの議論の土台を、本書のふたりのデヴィッドは突き崩す。

もうひとつのテーマが自由と平等の起源だ。わたしたちは、これらの概念は近代の西洋文明が発明したものと考えているが、同時期に西洋社会は新大陸のネイティヴアメリカンと接触していた。当時の資料ではその部族長たちが極めて高度に知的な話法で、西洋人たちよりも自分たちの社会のほうが自由と平等の視点において発展していると論じていた。西洋の思想家は「野蛮人」であるはずの彼らから自由と平等の概念を教わった可能性が高いのだ。ここでも歴史の矢印が反転する。知のアナーキズムがビッグヒストリーの議論をリセットする。否定による深化、アウフヘーベンを体現する大傑作だ。

遺伝子を書き換え人類を進化させるジェニファー・ダウドナの野望
The Code Breaker: Jennifer Doudna, Gene Editing, and the Future of the Human Race』 by Walter Isaacson

現代にキュリー夫人に匹敵する女性の大天才がいて、いま新型コロナウイルス感染症のパンデミックを終わらせ、人類の種としての未来を書き換えようとしている。スティーブ・ジョブズやレオナル・ド・ダヴィンチ、アインシュタインの伝記で知られる作家ウォルター・アイザックソンが、20年のノーベル化学賞受賞者ジェニファー・ダウドナの伝記を出版した。

1987年、日本人研究者の石野良純がバクテリアの遺伝子の中にのちにCRISPRと呼ばれる配列が広く存在していることを発見した。この配列の役割は長い間不明だったが、バクテリアが過去に攻撃を受けたウイルスの情報を記録して耐性を獲得する免疫機構らしいことが解明されていった。

2012年にダウドナとフランス人科学者エマニュエル・シャルパンティエはCRISPRの周辺にCRISPR-associated(cas)遺伝子群が存在し、これらが連携して外部のウイルスの情報をコピーして内部に取り込む仕組みを構成していることを発見した。この機構を使えば人間の遺伝子編集ツールを開発することが可能になったのだ。ふたりは発見からたった8年でノーベル化学賞を受賞した。

遺伝子編集の技術はコロナウイルスワクチン開発に使われてパンデミックを終わらせようとしている。さらに重大なことに、人類は望み通りの遺伝子をもった赤ん坊を誕生させることが可能になった。特定の病気にかからない子ども、望みの形質をもつ子どもをつくることができる。この技術は数億年の進化プロセスを早回しにし、人類という種を改造してしまう可能性がある。

本書はジェニファー・ダウドナを中心にして、エマニュエル・シャルパンティエ、フェン・チャン、ジョージ・チャーチなど、彼女のパートナーやライヴァルたちの活躍を描く群像劇になっている。エリート科学者たちの仁義なき研究競争が圧巻だ。

驚異の人工知能をつくっているのは誰か? 60人のトップAI研究者の群像
Genius Makers: The Mavericks Who Brought AI to Google, Facebook, and the World』 by Cade Metz

12年12月、人工知能(AI)研究者ジェフリー・ヒントンは大学院生ふたりとともにDNNresearchを設立した。この会社には何の製品もなく事業計画もなかった。ウェブサイトには社名しか書かれていなかった。ヒントンはこの会社を売りに出すと発表した。Gmailを使った即席入札システム上で、グーグル、バイドゥ(百度)、マイクロソフト、ディープマインドの4社が値を競り上げた。買ったのは4,400万ドル(約44億円)を提示したグーグルだった。DNNresearchの「DNN」とは、ディープ・ニューラル・ネットワークという意味だとヒントンは語った。グーグルはヒントンの頭脳とディープラーニングの技術が欲しかったのだ。

ディープマインドは、10年に天才デミス・ハサビスが設立したAIのヴェンチャーだ。ハサビスはチェス、将棋、碁、ディプロマシーの世界ランカーであり、有名なコンピューターゲームデザイナーであり、気鋭の神経科学者だった。14年、グーグルはディープマインドを4億ポンド(約600億円強)で買収し、ハサビスをグーグルのエンジニアリング担当副社長に据えた。16年3月にディープマインドが開発した「AlphaGo」は碁の世界チャンピオンに勝利し、AI新時代の到来を印象づけた。

本書はヒントン、ハサビスをはじめ約60人のAI研究の天才たちにスポットライトを当て、群像劇として人工知能の半世紀を振り返る。テクノロジーの名前ではなく人の名前でAI革命の歴史を理解することができる。

2021年の最高の宇宙SF。違いを乗り越えた究極の相互理解のあり方を劇的に描く
Project Hail Mary』 by Andy Weir

大ヒット映画『オデッセイ(原題:The Martian)』(2015)の原作者アンディ・ウィアーの最新作。第1章でライランド・グレイスは宇宙船の中で目を覚ます。隣にはミイラ化したふたりの乗組員の遺体が横たわっていた。ライランドは記憶を失っており、そこがどこなのか、自分が誰なのかもわからない。船内を探索するうちに自分は人類絶滅の危機を救うために惑星タウセティへと旅立ったヘイルメアリー号の乗組員であることを知る。

ライランドがタウセティの軌道に到着すると、そこには謎の宇宙船が停泊していた。その宇宙船の中には人間の想像を絶する生命のかたちをもち、人類同等の知性をもつエイリアンが搭乗していた。人類とまったく異なる身体と文明をもつ存在とのコミュニケーションの描写にぐいぐい引き込まれる。ファーストコンタクトものとして、映画でいえば『未知との遭遇』『メッセージ』クラスの深みを感じた。異種の生命体が、違いを乗り越えてどこまで相互理解することができるのか、その限界を試している。

『オデッセイ』は火星に置き去りにされた男の物語だったが、本作も宇宙で孤独な戦いをする男の物語だ。地球を救うミッションと、エイリアンとのファーストコンタクトという要素が加わった。ドラマチックさもスケールも『オデッセイ』を超えたと思う。ウィアーのSF的想像力はアーサー・C・クラークの域に入ってきた。『ラ・ラ・ランド』のライアン・ゴズリングによる映画化が進行中。この原作ならブロックバスター間違いなしだろう。

究極のヴァーチャルリアリティ技術を親子の情愛のなかに描く人間ドラマ
Bewilderment』 by Richard Powers

前作『オーバーストーリー』でピュリッツァー賞をとったパワーズの新作は映画『インターステラー』のように先端科学を軸に家族愛を描くSFテイストの小説だ。パワーズは大のSFファンであり『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス)『スターメイカー』(オラフ・ステープルドン)など古典作品へのオマージュを多数盛り込んでいる。

「みんなどこにいるんだ?」──。20世紀半ば、物理学者エンリコ・フェルミは、宇宙には星が無数にあるのに人類は宇宙人の痕跡を見つけられない矛盾を「フェルミのパラドクス」として問題提起した。天文学者のセオ・バーンはフェルミにインスパイアされて、地球外知的生命体を探すために惑星の大気成分の研究に取り組んでいる。

セオは9歳になる息子ロビンとふたり暮らしだ。環境活動家だった妻は何年か前に事故で亡くなっていた。ロビンは情緒不安定で学校生活になじむことができない。セオは気分転換のため、息子をキャンプに連れ出したり、ベッドの上で架空の惑星の話をしたりして過ごす。

セオには脳科学を研究する友人がいた。セオはセラピーを兼ねてロビンをその友人の実験に参加させる。それは予め記録しておいた脳のデータを使って、他人の感情を再現するニューロフィードバックの研究だった。研究室には過去に被験者になったセオの妻の脳のパターンが保存されていた。ロビンは母親の感情の追体験に没頭する。そして精神の安定を取り戻していくように見えた。

外宇宙に知的生命体を探索するセオと、精神の内なる宇宙を探索するロビン。だが親子を取り巻く現実世界は騒がしい。探索に没頭したいふたりを放っておいてはくれない。宇宙望遠鏡プロジェクトの予算が削られそうになったり、問題行動の多いロビンに学校や福祉省が干渉してくる。当惑するシングルファーザーは、ふたりの大切な世界を守ろうと必死に戦う。父子の会話がとてもピュアで、息子をもつ父親の読者を選択的に泣かせる小説だ。

旧約聖書の神のオリジナルの姿を暴く大胆不敵で衝撃の神の解剖学
God: An Anatom』 by Francesca Stavrakopoulou

英国エクセター大学教授でヘブライ語聖書と古代宗教学を教えるフランチェスカ・スタフラコプールーが書いた、刺激的で深遠でありながら炎上必至な宗教史の読み物。

3,000年前の西南アジア(現イスラエル)の一角で多神教が信仰されていた。最高神はエル・シャダイと呼ばれていた。エルには70柱の子どもがいて、そのうちのひとりがヤーウェだった。ヤーウェは雷と嵐を司るマイナーな神だったが、複雑な歴史を経てエルと融合し、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教における唯一の最高神Godに変化していった。

旧約聖書にはヤーウェの身体についての具体的な記述がある。モーセをはじめ幾人かの聖書の登場人物は、人間の姿をした神と面会している。本書はそれらの記述から神の身体をパーツ別に詳述する。第1章:足、第2章:生殖器、第3章:胴、第4章:手、第5章:頭の順で“ヤーウェ”を解剖する。神は人間と同じように呼吸をし、食事をし、酒に酔い、歩き回り、手で物をつくる。本も書いた。旧約聖書以前のシュメール文明時代の記述からは、豊かな喜怒哀楽をもち、美しい異性に惹かれ、セックスもするし、排泄もしていたのだ。

神のアナトミーを通して西洋の文化における身体性(コーポリアリティ)の認識が明らかになる。偉大な神は髭の生えた男性であり、巨体であり、足あとが大きく、右利きで(左が不浄なので)、頭ではなく内臓で喜怒哀楽を感じ、古くは雄牛の角が生えていた。西南アジアの特定の場所におけるローカル神の身体性イメージをいまも引きずっている。ヴィジュアル資料も多数交えて西洋の神を解体する。

人気ブロガーが現代を軽妙にレビューする2021年のベストエッセイ集
The Anthropocene Reviewed: Essays on a Human-Centered Planet』 by John Green

現代的で軽妙洒脱なエッセイ集を読みたい? ミレニアル世代に絶大な支持層をもつ小説家でブロガーのジョン・グリーンの新刊は、同名のポッドキャストの内容をベースにした人新世エッセイ集だ。ハレー彗星からインターネットまで、現代のさまざまなモノやコトを評論し、最後に5つ星の評価を与える。

「モノポリー」にはふたつの遊び方があったという。ひとつはひとりのプレイヤーがほかの全員を破産させることを目的とする現在のルール。もうひとつは全員が共存共栄することを目指す原作のルール。本来は資本主義の失敗を勝利条件にするゲームではなかったのだ。グリーンは米国では人々は億万長者を、クラスの人気者と同じように見ているという。口では軽蔑しながら、自分たちも必死にそうなりたがっていると。グリーンは商業化されたモノポリーに1.5星の低評価を与えた。

「スーパーマリオカート」の章では、ランダムにパワーアップアイテムを出すはてなボックスの役割について考察している。親子で遊ぶとたいていはヴェテランプレイヤーのジョンが勝つが、ときどき幼い息子が勝つ。はてなボックスが弱者に勝つチャンスを与えているからだ。現実では強者はアイテムを独り占めにしてさらに強くなっていく。グリーンは誰にでも勝つチャンスがあるのがいい社会だと言い、スーパーマリオカートに4つ星を与えた。

何かを評価するという行為は、評価する主体についても明らかにする。45本のレヴューによって真にレヴューされたのはジョン・グリーン自身だ。彼のキャリア、価値観、日常の生活が丸見えになっている。ウィットに富むエッセイは1本あたり5ページくらいでテンポがよい。それぞれにリベラル寄りだが中庸を心がけたメッセージがある。この受け入れやすさが若い世代に人気の秘密だろう。

奴隷少年の禁断の同性愛が時空を超えたエクソダスの物語を産み出す
The Prophets』 by Robert Jones Jr.

南北戦争前のミシシッピー州のプランテーション。黒人奴隷の少年アイザイアとサミュエルは愛し合っていた。当時の奴隷の同性愛は見つかれば絞首刑になる行為だった。ふたりは関係がばれないように気を付けている。プランテーション経営者のポールと妻ルースの間には、少し進歩的な考え方をする息子ティモシーがいた。彼は奴隷の立場に同情的でアイザイアとサミュエルに親切だが、彼もまたホモセクシュアルだった。それが彼らの関係を複雑にしていく。

過酷な奴隷労働、使用人の屈辱的な仕打ち、残虐な懲罰など、陰鬱なシーンが多い。しかし暗いだけでは終わらない。奴隷たちにかかる圧力を少しずつ高めていき、ラストで大爆発させる。読み終わったときのカタルシスが半端でない。奴隷たちやハリファクス家の家族、合計10人くらいの個性的なキャラクターが厚みをもって描かれ、それぞれが意外なかたちで重要な役割を果たす。

章のタイトルは、旧約聖書からとられている。宗教色が濃い作品だ。しかし、実は反キリスト的な小説でもある。物語中盤で親の世代が奴隷商人によってアフリカから拉致されてくる過去が語られる。彼らは誇り高い同性愛者の女王が統治する国に暮らしていた。奴隷商人が自由で豊かな世界を根こそぎ奪ったのだ。家族は引き離され名前もキリスト教徒風に変えさせられた。幼くして母親と引き離されたアイザイアは、自分の本当の名前=アフリカンネームを探している。

アイザイアとサミュエルの同性愛の問題には恐ろしい破滅が待っていた。そのとき、奴隷たちの先祖の積年の恨み、自由で愛のある世界への回帰願望が蘇える。時空を超えた壮大なエクソダスの物語に発展していく。

ある冤罪事件が暴いた20世紀の人種偏見の闇の深さ
The Fortune Men』 by Nadifa Mohamed

1952年英国ウェールズの港町カーディフの雑貨屋でユダヤ人の女主人が何者かによって喉を切り裂かれ殺された。表紙写真に写っているソマリランド出身の黒人マームード・マッタンが犯人として逮捕され、陪審員裁判で有罪となり死刑に処された。彼と白人の妻ローラとの間に3人の子どもがいた。事件から46年後の98年、残された家族は控訴審で無罪を勝ち取り、マームードの名誉を回復した。半世紀前の誤審の背景にあった人種偏見の闇に光を当てる吉村昭的ドキュメンタリータッチの作品。

殺害された雑貨屋の女主人ヴァイオレット・ヴォラキはユダヤ人だった。まだナチスによる迫害の悪夢を引きずっていた。事件の夜、被害者の妹ダイアナ、その幼い娘グレースは一瞬だけ背の高い黒人のシルエットを目撃していた。彼女たちの目に背の高い黒人はみな同じに見えた。曖昧な目撃証言だった。そして事件後、ダイアナは姉を殺した犯人を見つけるため懸賞金をかけた。これが懸賞金欲しさの信頼できない報告をたくさん集めてしまう。

状況証拠のみの裁判だった。陪審員たちは人種偏見をもっていた。おまけにマッタンは法廷で自分を少しでも賢くみせようとして逆に自分に不利な状況をつくってしまう。絶望した彼は、面談に訪れる妻のローラが憎い白人の代表のように見えて怒りをぶつける。マッタンの苦境に出口はなかった。その死後に名誉が回復されるまでの長い道のりを、ソマリランド系英国人のナディファ・モハメドがこれ以上になくドラマチックに描いた。

社会の重力に逆らい大空へ飛び立った女性の『タイタニック』級スペクタクル
Great Circle』 by Maggie Shipstead

1950年、ベテラン女性パイロットのマリアン・グレイブスは飛行機で北極点南極点を通って世界を一周する冒険に出発した。地図上にその大きな円を完成させる目前、彼女の飛行機は燃料漏れを起こして南極の無人基地に不時着する。飛行を継続するには燃料が不足していた。しかしマリアンは飛行日誌に最後のエントリーを書き残しゴール地点のニュージーランドへ向けて飛び立った。マリアンはそれを最後に行方不明になった。

マリアン・グレイブスは架空のキャラクターだが、赤道上世界一周飛行の途上で行方不明となった実在の女性パイロット、アメリア・イアハートを連想させる(アメリアも物語中に登場する)。ふたりの境遇は対照的だ。アメリアは裕福な家に生まれセレブな人生を生きた。一方マリアンは幼くして船の事故で両親を失い、双子の弟のジェレミーとともに画家である叔父に育てられた。貧しい家庭の少女がパイロットになるには幾多の苦難と犠牲を伴った。マリアンは空にいるときの自由の感覚を何よりも愛した。

マリアンの最期から半世紀が過ぎた2014年にもうひとりの主人公、ハリウッド女優ハドリー・バクスターがいる。ハドリーは、マリアンをモデルにした映画の主演の仕事を引き受ける。勉強のためマリアンが残した日誌や手紙を読み込む。彼女は男社会のなかで戦う女性として自分と似た境遇のマリアンに共感すると同時に、その人生に隠された秘密があることを知る。

マリアンとハドリー、どちらの時代でも高みへ登ろうとする女性を地上へ引き下ろそうとする力が働く。彼女たちの人生は社会の重力に逆らうように飛び立って地球上に描ける最大の円を描く。そして、そのふたりの円が不思議な縁によってつながっていく。この特集の10冊のなかで最もエンターテインメント要素が強く、ストレートに楽しめる小説だ。

※おまけ

グラフィックノベルの傑作があったので番外として紹介しておきたい。

不死の呪いをかけられた孤高の男の10億年の戦いを美麗なグラフィックで物語る
Infinitum: An Afrofuturist Tal』 by Tim Fielder

アフロフューチャーリズム(アフリカ系×未来SF)の超ど級グラフィックノヴェルが出た。『ブラックパンサー』 meets 『火の鳥 2 未来編』だ。全ページカラーの美麗な本である。

古代アフリカ大陸は無敵の軍隊をもつ大王アジャ・オバと、策略家の女王リワに支配されていた。ふたりには子どもができなかった。王は愛人で魔術師オビンリンとの間に生まれた息子を無理やり奪い取る。激怒したオビンリンはアジャ・オバに呪いをかけた。

やがて息子は成長し王になる。国は繁栄し、アジャ・オバの家族は幸福に歳月を重ねていった。数十年してアジャ・オバは不思議な事実に気がついた。妻と息子は老いていくのに自分は若いままなのだ。家族を老いで亡くしてひとりぼっちになったとき、アジャ・オバはオビンリンにかけられた呪いの意味を知る。彼は永遠に愛する者を亡くし続ける宿命を背負わされたのだ。

不死のアジャ・オバは数千年間の世界史を丸ごと体験して21世紀に至り起業家として成功する。人類は宇宙へ向かおうとしている。しかし物語はまだ半分も終わっていない。アジャ・オバはこの後10億年を生きる。宇宙のすべてが移り替わるなかで自分だけが変わらない。人間が非情な永遠の時間と戦う。勝ち目がないはずの戦いの最後に何があるのか。期待していい。圧巻のラストが待っている。一本の大作映画を観たような感動を味わった。

橋本大也|DAIYA HASHIMOTO
デジタルハリウッド大学教授兼図書館長。ビッグデータと人工知能の技術ヴェンチャー企業データセクション創業者。同社を上場させた後、顧問に就任し、教育とITの領域でイノヴェイションを追求している。著書に『データサイエンティスト データ分析で会社を動かす知的仕事人』(SB 新書)『情報力』(翔泳社)、書評集『情報考学 Web時代の羅針盤 213 冊』(主婦と生活社) がある。多摩大学大学院客員教授。早稲田情報技術研究所取締役。

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TEXT BY DAIYA HASHIMOTO

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