当代最高の短編SF作家テッド・チャンへの11の質問

2050年代を生きるあらゆる生命がウェルビーイングな営みを送っているために、いまを生きる世代は、個人として、社会としてどのような視座をもち、どのような行動を取る(あるいは取らない)必要があるのだろうか……。編集部と日本のSF作家たちがテッド・チャンへ問いを投げかけた。
当代最高の短編SF作家テッド・チャンへの11の質問
PHOTOGRAPHS: KISSHOMARU SHIMAMURA

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※雑誌『WIRED』日本版 VOL.50 特集「Next Mid-Century」より。詳細はこちら

『WIRED』日本版編集部からの質問(01-05)

Question 01

4年ぶりの来日だそうですが、今回、ALIFE 2023 *に登壇しようと思われたきっかけを教えてください。

PHOTOGRAPHS: KISSHOMARU SHIMAMURA

人工生命(ALIFE)についてはずっと興味を抱いていました。でも、この分野でどのような研究がどれだけ行なわれているのか、実はよく知りませんでした。正直、ALIFEの分野と人工知能(AI)の分野は、まったく切り離されているのだろうと思っていたくらいです。でも今回参加してみて、実際はALIFEとAIの分野同士に相互作用があることを知り、うれしい驚きを覚えました。ぼく自身は、人間とは異なる知能の仕組みをもつ存在を教育するにあたって、自身の作品(「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」**)でどのような設定を用いたかという発表をしました。


Question 02

今後人類が、人工知能や人工生命といったデジタルビーイングを含むマルチスピーシーズと共存していくために、新たに獲得すべき「規範や倫理感」があるとすれば、それはどういったものだとお考えですか?

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人類の倫理的思考に修正すべき点があるとすれば、「地球の生物圏に存在する人間以外の存在について考えることが、人類にとっても最大の利益につながる」という認識を深めることだと思います。これは利他主義というより、むしろ単純な自己保存の面から必要となってくる思考のはずです。歴史的に、人類は生物圏に存在する人間以外の存在を非常に粗末に扱ってきました。しかし、人類は生物圏に存在する「人間以外の存在」に大きく依存しています。たとえ自分たちの生存だけを考えるにしても、生物圏に対してこれまでとは違う姿勢を取る必要があるのです。ちなみに、少なくとも今後30年間では、「人間以外の存在」としてデジタルビーイングが大きな役割を果たすことはないかもしれません。


Question 03

30年後に向けて、社会がいま以上に多元的であるためには、個人として、あるいは社会として、どのような観点が重要になってくるとお考えでしょうか?

今後30年ほどの間に人類が直面する大きな問題はふたつあると思います。ひとつは、もちろん気候危機。そしてふたつ目は、富の不平等。別の言い方をするなら、「ネオ・リベラリズム」とも呼ばれる、「あらゆるものは投資の機会として理解するのが最善である」という資本主義に対するある種の姿勢です。このふたつの問題は、密接に関連しています。気候危機への対処を少しでも前進させるためには、富裕層や権力者が、世界を投資の機会として捉えるのをやめる必要があるからです。「短期的な」投資収益率でものごとを考えるのをやめ、例えば数世紀にわたって「長期的に」生き残るための最善の戦略とは何かをもっと考える必要があります。

1950年代と比べると、現在の世界は多くの点ではるかに多様性に富んでいます。しかし同時に、まだまだ多様性に乏しいという感覚もあります。なぜなら、世界の大部分を支配しているのは強力な少数派の利益だからです。たまたま支配階級が“白人男性”でなくなっただけで、富裕層や権力者は、あらゆる国、あらゆる人種に存在し、その人たちが「世界」のことを、投資によって大きなリターンを得るための方法と見なしていることに変わりはありません。


Question 04

ナイフで殺人が起こったとき、そのナイフをつくった職人を責める人がいないように、技術は常に中立で、いい技術にするのも、悪い技術にするのも、責任があるのは常に使う側だ、という論理をよく聞きます。こうした「技術の中立性・透明性」は、時として技術の善性に化け、とりわけシリコンバレーでは「世界には、地域によらず解決すべき普遍的な問題があり、その問題に対して一般的な解決策が存在するはずだ」といったソリューショニズムにつながっているようにも思います。テッドさんは、そうした「技術の中立性」を下地とするソリューショニズムの拡がりについて、例えば「多元性」という観点からどうお考えになりますか?

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「技術の中立性」について語るときには、その技術がどれほど「一般的」で、どれほど「具体的」であるかを議論する必要があると思います。例えば金属でいうと、あるレべルでは「冶金学」があり、別のレべルでは「地雷」が存在します。冶金学はかなり中立的な技術だといえますが、地雷を中立的な技術というのは難しい。銃を製造する企業も、「銃が人を殺すのではなく、人が人を殺すのだ」と言いたがります。まさに「技術の中立性」を訴えているわけです。しかし銃のような具体的な技術に対して、冶金学のように幅広い技術に当てはまる議論を適用するのは間違っています。同じように、シリコンバレーの企業が技術の有用性を主張するとき、自分たちが行なった非常に具体的な決定から注意を逸らすべく「技術の中立性」の観点をもち出しますが、彼らの具体的な決定が何かしらの実害──例えばFacebookの特定の決定がミャンマーにおけるロヒンギャの大虐殺の助長──につながったのなら、その技術が「冶金学/一般的」なのか「地雷/具体的」なのかを、常に見極めていく必要があります。


Question 05

わたしたち“いまの世代”がグッド・アンセスター(よき祖先)であるためには、どのような視座/規範をもつことが重要だとお考えでしょうか?

自分たちの行動が、自分たちの子どもや孫の世代にどのような結果をもたらすのか──といった「長期的」にものごとを認識していくことが大切です。それも、個人としてではなく社会として「短期的ではなく長期的」な考え方を優先するような意識を培っていく必要があると思います。現時点でぼくたちにできる最も重要なことは、化石燃料の使用を減らす、あるいはゼロにすることです。これこそ、個人ではなく政府レべルでの政策が不可欠な領域です。そして個人個人は、各国政府に対し、気候危機への対策を講じるよう要求を続けていくことが重要です。化石燃料の使用を減らす、あるいはゼロにすることは社会全体に甚大な影響を及ぼすはずですが、その様相、あるいはその先にある社会の有り様を提示していくこともまた、SF作家の役割のひとつだと考えています。

PHOTOGRAPHS: KISSHOMARU SHIMAMURA

日本のSF作家たちからの質問(06-11)

Question 06 from Taiyo Fujii

ほとんどの日本人は確率モデルを用いた日本語入力機能を使って文章を書いています。GitHub Copilotほど優秀ではありませんが、入力している音の列を漢字仮名交じりで表記された「日本語」に整形してくれるプログラムです。日本語入力ソフトウェアが登場したとき、そして新たなバージョンで新しい推測機能が追加されるとき、必ずわたしたちは抵抗を感じ、そしてしばらく経つと受け入れて、しまいにはその機能がなければ書けなくなってしまいます。いずれこれらのツールは、著作権を侵害していないLM(Language Models/言語モデル)を用いて、より自然にわたしたちの執筆を助けてくれることでしょう。

LMを忌避する必要がなくなり、LMで書かれた文章が身の回りに溢れてくるそのときに、わたしたちが「書くこと」はどのような意味をもつとお考えでしょうか。テッドさんの考えをお聞かせください。(藤井太洋)

あるコンピューター科学者が、文章を書くための大規模言語モデル(LLM)について話しているのを聞いたことがあります。その科学者は、次のように表現しました。「認知としてのライティングもあれば、厄介なライティングもある」。要するに、自分の考えを理解する手段として書くタイプのライティングがある一方で、強制されて書くライティングがある、ということです。これは、あらかじめ組み込まれているシステムのせいで、定型文のような無意味な文章を大量に書かざるをえないことを指しています。LLMは、後者のタイプのライティング、例えばコンテンツミルのような、広告をサポートするために既存の素材をウェブページ向けに再パッケージする企業にとっては非常に有用だと思います。しかし、何かしらオリジナルのコンテンツを書こうとしている個人にとっては、あまり役に立たないと思います。そのような特性と有用性があるので、LLMが、人間とライティングの関係を本当に変えるとは思えません。


Question 07 from Haruna Ikezawa

テッドさんの「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」は、AIの権利や人格に大きく踏み込んだ作品でした。AIが人々の生活のなかに当たり前のように存在する世界では、わたしたちはAIを、子ども、隣人、召使い、導師、友人、どのような役割で捉えるべきでしょうか。実際、欧米ではアラジンのジーニーのような強い力をもつ(でもどこか信用できない)召使い、日本ではドラえもんのような人を導き友達になってくれる存在として見ているような気がします。(池澤春菜)

「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」の作中において、ぼくは、AIを意識のある存在として描きました。つまり、現実の世界で起きている状況とはまったく異なることを描いたわけです。現実の世界では、提供されているプログラム(AI)に意識はありません。そうしたAIは、企業がぼくたちに売ろうとしている「製品」、あるいは企業がぼくたちにほかの製品を買わせようとしている「方法」であると捉えたほうがいいと思います。

「未来における人とAIの関係性」について話すとき、多くの人がスパイク・ジョーンズの『her』を引き合いに出しますが、ぼくはその比較は適切ではないと思っています。正しい比較対象は、おそらくトム・ハンクス主演の『キャスト・アウェイ』です。主人公が無人島に取り残された話で、彼はバレーボールを「ウィルソン」と呼び、友達として接しています。現在のAIは、このバレーボールのような存在だと捉えるほうがいいと思います。「ウィルソン」は、トム・ハンクス演じる主人公に純粋な真の安らぎを与えました。しかし、そこに存在しているのはトム・ハンクスだけであり、彼のキャラクターがバレーボールと接しているだけ、ということを忘れてはいけません。そこにほかの誰かがいるわけではなく、それは単なる投影に過ぎません。そのことを常に忘れてはならないのです。


Question 08 from Takashi Kurata

人間を遺伝子操作によって「改良」することについて、お考えを聞かせてください。現状では、それは病巣の位置もわからぬままナイフひとつで自分自身の開腹手術をするのに等しい危険な行為だと思うのですが、遺伝的に、いまのような存在であるままでは、大量殺戮の歴史を繰り返すだけなのではないかと危惧しています。(倉田タカシ)

ぼくはこの問いを「親子関係」の文脈で考えるようにしています。なぜなら、このようなことが起こる最も可能性の高いシナリオは、親がこれから生まれる子どもの遺伝子を選択する場面だからです。そしてその場合、害を及ぼす可能性が非常に高いと思います。というのも、親子の関係で最も難しいことのひとつは、親が子どもに「こうなってほしい」と望むのではなく、子どもを自我のあるひとりの人間として受け入れることだからです。いまの時代、これはとても難しいことだと思います。そのうえさらに、親が子どもの遺伝子を選択するとなると、親子関係はよりいっそう難しくなるでしょう。親が失望するケースが、非常に多くなると思います。なぜなら、親が子どもの遺伝子をメニューのごとく選ぶとなると、おのずと、親は自分の子どものことを「製品」と考えるようになってしまうからです。そのような文脈では、遺伝子操作は役に立たず、おそらく、対人関係をより難しくしてしまうでしょう。


Question 09 from Haneko Takayama

国籍や性別、年齢などをある程度マスクしてオンラインで表現活動ができるこれからの社会(自動翻訳によって言葉の壁もなくなる)において、表現者のエスニシティやルーツのようなものは、物語にどうかかわっていくと思いますか。(高山羽根子)

米国では、異なる民族・人種のふりをして本を書いたり出版したりする例があります。しかし、その評判はあまりよくありません。読者がそれをあまり好まないのです。一般的に、読者は正直さを求めていると思います。もし誰かが、自分とはまったく異なる人物の視点から物語を書きたいとしても、自分自身がまるで異なる人種であるかのようなふりをするべきではないと思います。確かに、米国ではそういう傾向があるのは事実です。でも、人はそのような欺瞞に対してあまりいい反応はしません。だから、この傾向が強まることはないと思います。


Question 10 from Itsuki Tsukui

テッドさんにとって、小説にする価値があると感じられるアイデアと、そう感じられないアイデアの違いはどこにあるのでしょうか? 難しいことだと思いますが、よいアイデアがもつ特徴や、それを思いついたときの感覚を言葉にしてみていただけないでしょうか。(津久井五月)

アイデアは、浮かんだとしてもたいていはすぐに消えてしまいます。でも時に、何カ月にも何年にもわたって繰り返し浮かんでくるアイデアがあります。すると、ぼくは徐々にそのアイデアに注目するようになり、「そうだ、このアイデアについて物語を書いてみよう」と考えるようになります。「このアイデアのどこに惹かれるのだろう? ぼくを惹きつけるこのアイデアに光を当てるような物語を、ぼくは読みたいだろうか ─」。小説になったアイデアは、この問いに対して「イエス」だったのだと思います。

PHOTOGRAPHS: KISSHOMARU SHIMAMURA

Question 11 from Ryo Yoshigami

あなたの短篇「予期される未来」*** で、負の時間遅延によって信号を過去へと送る回路を搭載する「予言機」を使うと、ボタンを押す1秒前にライトが光る。この単純な経験によって決定論的宇宙が疑いようのないものと認識され、自由意志を否定された人類は無動無言症に陥り、破滅を回避する手段はない。すべては決定されているのだから……というロジックに感銘を受けました。わたしは、このSF短篇がとても大好きで、作品中では示唆にとどまっている人類の破滅の未来はどのような結末を迎えるのだろうと想像しました。

そこで質問です。作中では、自由意志を否定された人類が生き残る可能性として「うそを信じること」が示されていますが、この作中世界において、ほかの人類が破滅し死に絶えても、最後に生き残る人はどのような人間、つまり、どのような文化、思想、思考様式、世界認識をもつ人々であると考えますか? あるいは、決定論的宇宙に順応し、自由意志がないことを前提とした人類の新たな生の営みが生み出されるとすれば、それはどのような形態を取ると考えますか?(例えば日本のSF作家・伊藤計劃の作品『ハーモニー』では、意識が消失した人類がかえって幸福に生きていると皮肉な結末が描かれていましたが)(吉上 亮)

「自由意志」という言葉はもちろん非常に曖昧で、広く議論されている概念です。しかしぼくは、自由意志をもたない人間について語ることには意味がないと考えます。自由意志は、ぼくたちが「人であることとは何か」を考えるうえで本質的なものだと思うからです。「人に自由意志がない」という議論の多くは、自由意志の定義があまり役に立たないものか、当てはまらないものかのどちらかになります。「自由意志とは何か」を掘り下げて考えると、それは人間が本来もっているものであり、ぼくたちから奪えないものであるといえると思います。つまり「自由意志を欠いた人々の社会」という考えは、実際にはつじつまの合わないものであり、それは人間の社会ではないと考えます。

ちなみに、ぼくは昔からいつも「明確な説明」というものに興味があるのだと思います。本当によい「説明」とは、役に立つだけでなく美しいものでもあるはずです。ぼくの作品のなかには、明確な説明に対するぼくの興味が表れているのだと思います。

* ALIFE 2023:7月24〜28日に北海道大学 人間知・脳・AI研究教育センター(札幌)で開催された国際会議。ALIFEとは、ありうる生命(Life-as-it-could-be)をプログラム(ソフトウェア)やロボット(ハードウェア)、化学反応(ウェットウェア)、アートで再現・検証しながら、生物学的な生命の特徴を抽出し、生命の本質的な仕組みを理解しようという学際的研究分野。
** 「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」:19年に発表されたチャンの作品集『息吹』〈大森望:訳、ハヤカワ文庫SF〉に邦訳が収録されている。表題作「息吹」はヒューゴー賞、ローカス賞、英国SF協会賞、SFマガジン読者賞を、「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」はヒューゴー賞、ローカス賞、星雲賞を受賞。
*** 「予期される未来」:作品集『息吹』〈大森望:訳、ハヤカワ文庫SF〉に収録。

テッド・チャン|TED CHIANG
1967年、米国ニューヨーク州生まれ。ブラウン大学にてコンピューターサイエンスを専攻。現在はフリーランスのテクニカルライターをしながら創作活動を続けている。90年に発表したデビュー作「バビロンの塔」がSF作家によって選ばれるネビュラ賞を受賞。以後、発表する作品は、世界で最も権威のあるSF賞であるヒューゴー賞、ネビュラ賞ほかを受賞。邦訳された作品集に『あなたの人生の物語』『息吹』〈ともにハヤカワ文庫SF〉。

TRANSLATION BY RUSSELL GOODALL/SPECIAL THANKS TO ALIFE 2023

※雑誌『WIRED』日本版 VOL.50 特集「Next Mid-Century」より転載。


雑誌『WIRED』日本版 VOL.50
「Next Mid-Century:2050年、多元的な未来へ」

『WIRED』US版の創刊から30周年という節目のタイミングとなる今号では、「30年後の未来」の様相を空想する。ちなみに、30年後は2050年代──つまりはミッドセンチュリーとなる。“前回”のミッドセンチュリーはパックスアメリカーナ(米国の覇権による平和)を背景に欧米的な価値観や未来像が前景化した時代だったとすれば、“次”のミッドセンチュリーに人類は、多様な文化や社会や技術、さらにはロボットやAIエージェントを含むマルチスピーシーズが織りなす多元的な未来へとたどり着くことができるだろうか? 空想の泰斗・SF作家たちとともに「Next Mid-Century」を総力特集する。詳細はこちら


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