広告クリエイティブの“実践知”──それは他者を同じ「生活者」というテーブルにつかせること:博報堂書籍刊行イベントレポート

社会課題の解決を難しくしている「さまざまな壁」を、クリエイティブは取り払うことができるかもしれない──。そんな思いを抱きつつ携わった博報堂グループの「11のプロジェクト」を取り上げた書籍が『答えのない時代の教科書 社会課題とクリエイティビティ』。その発売を記念したトークイベントの模様をお届けする。
広告クリエイティブの“実践知”──それは他者を同じ「生活者」というテーブルにつかせること:博報堂書籍刊行イベントレポート
PHOTOGRAPH: KAORI NISHIDA

8月31日、博報堂による書籍『答えのない時代の教科書 社会課題とクリエイティビティ』が発売された。本書は、博報堂グループが携わった11のプロジェクトをケーススタディに、Issue(課題)/Insight(視点)/Action(実装)の3つの視点から、クリエイティブによる社会課題解決のアイデアと実装法をひもといたハンドブックである。

その刊行を記念して開催されたのが、トークセッション「答えのない時代について話そう 社会課題とクリエイティビティ」だ。博報堂旧本社跡地である神保町HASSO CAFFÈに、さまざまな参加者が集まった。書籍で紹介されたプロジェクトを振り返りながら、解決が難しいことで社会の課題となっている対象と向き合う際のクリエイティブの思考法が語られた同イベント。今回はその模様をレポートする。

「三方よし」を組み立てるクリエイティブの作法

第1部のセッション「これからの社会課題解決に、なぜクリエイティビティが必要なのか?」には、編集協力として参画した『WIRED』日本版のエディター・アット・ラージである小谷知也、本書でも紹介したプロジェクト「注文をまちがえる料理店」を手がけた博報堂エグゼクティブクリエイティブディレクターの近山知史が登壇。本書の取材を進めていくなかで得た気づきを、小谷が振り返るところからセッションはスタートした。

書籍『答えのない時代の教科書 社会課題とクリエイティビティ』の読みどころを解説する『WIRED』日本版エディター・アット・ラージの小谷知也(写真左)。

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「広告会社のクリエイティブは、企業プロモーションに発揮されるというパブリックイメージがあります。しかし、広告領域にとどまらないあり方がさまざまなかたちで立ち上がってきている。その好例が『ノッカル』です」

「ノッカル」は、博報堂と富山県朝日町が連携して進める、地域住民のマイカーを活用した交通サービスだ。住民が自家用車で出かける際に、地域住民の送迎を行うことを可能にするこのサービスは、2021年の運行開始以降の利用者が3,000人を超え、町内での認知率は84%を超えるまでになっている。

「このプロジェクトは、企業(広告会社にとってのクライアント)ではなく、博報堂の担当者が生活のなかで実感した課題が起点になっています。とはいえ、個人の力には限界がある。そこで、博報堂がこれまで関係を築いてきたクライアント、自治体とそこに住む生活者、そして博報堂を巻き込んでそれぞれのベネフィットを提示し、“三方よし”の座組みをつくっている。ここにこそ、クリエイティビティが発揮される余地が大いにあるのだと感じました」

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生活者視点をもって、さまざまなステークホルダーが同じテーブルに並ぶことができる状況。それをつくることが次なるクリエイティビティの役割であると語る小谷に、近山は大いに賛同する。

「どんな企業活動も、仕事も、根本的には世界をよりよくしたいという思いのうえに成り立っています。所属組織や肩書き、さまざまな単位はあれど、それを解きほぐしていくと、結局はみんなひとりの『生活者』なんです。現在、わたしたちは多様かつ大きな社会課題に直面していますが、これらはもはやいち個人、いち企業で立ち向かえるものではありません。わたしたちを区別する境界や背負っている看板をいちど取り払って、同じ生活者目線でテーブルについて課題にアプローチしていく。これがわたしが考える官民共創のありかたで、そこに博報堂のような企業がもつクリイエイティビティを発揮していくべきなんです」

「言葉」でこの指止まれを実現する

さまざまなステークホルダーにとっての「三方よし」を探り、分野や立場の壁を超えて同じテーブルに並んでもらうことを、近山は「現場(生活のなかにある課題)と社会が握手できるポイント」をつくることだとも表現する。そして握手をするための重要なツールのひとつが、広告クリエイティブの世界が培ってきた「言葉」であるとも。近山は、自身が携わったプロジェクト「注文をまちがえる料理店」を例に続ける。

「注文をまちがえる料理店」を手がけた博報堂エグゼクティブクリエイティブディレクターの近山知史。

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「『注文をまちがえる料理店』は、元NHKのディレクターである小国士朗さんの、ある種の理想をかたちにするためのプロジェクトでした。彼が以前にNHKのドキュメンタリー番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』で認知症介護のプロである和田行男さんのグループホームを取材したとき、おじいちゃんやおばあちゃんがつくる昼食をいただくことになったそうです。メニューはハンバーグの予定でしたが、出てきたのは餃子。そのとき、誰も間違いを指摘することなく普通に食事を楽しむ光景に、小国さんは衝撃を受けたそうなんです。彼は、そこで出合った世界観を実社会に実装したいと考えた。それが『注文をまちがえる料理店』のきっかけです」

小国から相談を受けた近山が、鍵となると考えたのが「言葉」である。認知症にまつわる課題は、当事者以外の人々が自分ごと化することが難しいという側面がある。そこで近山が設定したのが、「間違えても、ま、いっか」というプロジェクトのコンセプトである。プロジェクトの最終的なゴールに、「間違えてもいい社会」を据えた。近山は本書において、「このコンセプトがすべてだった」とも語っている。

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「高齢化社会や認知症にまつわる課題は誰もがわかっている。けれども、当事者でない方々が本当の意味で共感し、自分ごと化し、社会全体の意思になって駆動していくことは本当に難しい。そのときに、体験者が自分の問題として捉えるテーマに一度変換したんです。いまは本当に間違うということが難しい時代です。もっと間違いを許容する社会にするべきなんじゃないか、という思いは誰でもあるはずですから、『そもそも間違ってもよくない?』というメッセージを言葉にして打ち出すことにしました。『注文をまちがえる料理店』というタイトルも、より広い意味で生活者に目を向けた言葉が重要だと考えたからです。当事者と生活者、世の中が握手するためのクリエイティブ最大の道具。そのひとつが、“この指とまれ”を実現させる言葉なんだと考えています」

脱炭素の共通規格を実装する

続いてのセッション「なぜ三井物産は博報堂と社会を変えようとしたのか?」で登壇したのは、『答えのない時代の教科書 社会課題とクリエイティビティ』の発起人である嶋浩一郎(博報堂 執行役員/博報堂ケトル クリエイティブディレクター)と、本書でもケーススタディに挙げた脱炭素社会を推進する共創型プラットフォーム「Earth hacks」プロジェクトを担当する生澤一哲(三井物産)だ。

博報堂 執行役員/博報堂ケトル クリエイティブディレクターの嶋浩一郎(写真左)と、脱炭素社会を推進する共創型プラットフォーム「Earth hacks」プロジェクトを担当する三井物産エネルギーソリューション本部 新事業開発室長の生澤一哲(写真右)。

PHOTOGRAPH: KAORI NISHIDA

「Earth hacks」は、博報堂と三井物産が共同で立ち上げた、CO2排出量の削減率「デカボスコア」の提供などを通じて生活者の脱炭素アクションを支援するプロジェクト。7月にはプロジェクトがスピンアウトし、法人化された。

同社が開発したデカボスコア(脱炭素を意味する「Decarbonization」に由来)は、温室効果ガスが地球温暖化に与える影響を示す尺度である「CO2e」の削減率を、定量的に評価したスコアだ。本書でも示されている興味深いデータとして、「気候危機への認知・関心が進む一方で、7割以上が行動に移せていない」という調査結果がある。

気候危機に関するデータや研究が日々積み重なる一方で、(こと日本においては)個人の行動変容に繋がらない。そうした課題への糸口として見出したのが、消費活動がサステナビリティに与えるポジティブなインパクト(貢献実感)を、個人がより実感するために可視化することであったと、生澤は語る。

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「『この製品はCO2排出量を〇〇kg削減しました!』といわれても、生活者は自分の行動がどれくらい気候変動に貢献しているかがわからない。まずインパクトが一目でわかる指標と、その算出基準をつくるべきだと考えました」

また、定量化の規格をつくるだけでなく、それを標準化していくこともミッションに掲げている。民間企業が個々に開発した基準が乱立しては、生活者が一貫した判断基準がもてず、結果的にガラパゴス化したバラバラの規格が残骸として残るだけである。それを避けるには、組織や産業の壁を超えたリレーションを構築し、そのうえで中立的な、共通のプロトコルをつくっていくことが重要なのだという。現在デカボスコアは、味の素、LINEヤフー、大日本印刷、トヨタといった大企業からスタートアップまで、約80社、160のプロジェクトで採用され、さらに広範囲に展開していくことを見据えている。

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「脱炭素や気候危機、サステナビリティといったイシューは、企業にとってもっとも重要なアジェンダになっています。そうしたなかで、1社1社でバラバラに取り組んでいるだけでは、社会をサステインする継続的な事業を企業がつくっていくことはもはや不可能です。いかに領域を超えて仲間を増やすか。いまの時代の企業に必要なのはそうした視点なのではないでしょうか」

別解を提示せよ

生澤との対話、そして本書のさまざまなケーススタディを踏まえて、嶋は広告クリエイティブの変容を語り、「別解」という言葉をもってセッションを締めくくる。

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「これまでの広告のマーケティングやクリエイティブというのは、いち企業の利益を最大限にするために発揮されることが中心でした。いまは、企業のアイデンティティ構築や事業そのものにコミットしながら、社会に存在するプレイヤーがいかに乗っかることができる企画をつくれるか。近山の言葉を借りるなら、『この指止まれ』を実現するための“別解”を提示することが求められている。

例えば、限界集落の交通インフラをなんとかしなければいけないとなったときに、行政の発想だけだと、もしかすると『バスの運行を増やすには』『バス停を増やそう』という選択肢にとどまってしまうかもしれない。また、認知症を抱える方々の社会参画がイシューであれば『理解を促すためのシンポジウムをやろう』といった、限定的なアプローチにとどまるとなるかもしれない。それに対して、『AI導入でも欧米型のライドシェア活用でもなく、共助を促す仕組みが必要なんじゃないか』『そもそも間違いを許容する社会が必要で、そのために当事者の方々が働くレストランがいいじゃないか』──。そんな別解をそれぞれの課題にあわせて生み出していくことが、これからのクリエイティブの本懐になっていくはずです」

わたしたちがつくりあげた社会や環境で生きることになる、いまは存在しない数十年後、いや100年後の未来の世代に向けて何ができるか。セッション中の小谷の言葉を借りるならば、いかに「グッド・アンセスター(よき祖先)」となれるか。広告クリエイティブに携わるプレイヤーたちの試行錯誤と実践を記した本書は、未来の人々にとってのより良い過去をつくりたいと願う、いまを生きる生活者にヒントを提示するハンドブックとなるかもしれない。

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