アルツハイマー病に待望の新薬、抗アミロイド薬の効果は“リスク”に見合うのか

アルツハイマー病の新たな治療薬が相次いで登場している。抗アミロイド薬と呼ばれる新たな治療薬は病気の進行を遅らせる可能性があるが、重大な影響をもたらすリスクも指摘されている。
person sitting on bed in a dark room looking out of a window
Getty Images

いまから約30年前、アルツハイマー病に効果のある治療薬が初めて承認された当時は楽観的な雰囲気が漂っていた。確かにその治療薬は疾患そのものの進行を遅らせることはできなかったが、症状の面では意味のある違いを生み出した。このため、疾患の原因物質に作用して発症や進行を抑制する疾患修飾薬も、いずれ登場するとみられていたのである。

「数年以内には実際に疾患の進行を阻害する治療薬が出現すると言われていました」と、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの老年精神医学教授のロブ・ハワードは語る。「そこから20年以上も待たされるとは予想されていませんでした」

そうした治療法が、ついに抗アミロイド療法として実現した。アルツハイマー病患者の脳に蓄積してプラーク(凝集した塊)を形成するアミロイドβというタンパク質を標的にする抗体を用いる治療法だ。

米食品医薬品局(FDA)が「アデュカヌマブ」という抗体に迅速承認と呼ばれる予備的な承認を与えたのは、2年前の6月のことである。ただし、この決定は議論を呼んだ。この治療薬には患者の役に立つと考えられる理由が存在しないと、多くの専門家が考えていたからだ。

ところが、その次の抗アミロイド薬である「レカネマブ」では、話の筋がもっと通っていた。この治療薬は第III相臨床試験において、日常生活における課題遂行能力を評価するツールである臨床的認知症尺度(CDR)で測定した場合に、認知機能低下のスピードを若干遅らせることが示されたのである。

これを受けてレカネマブは2023年1月に迅速承認された。臨床試験の対象になった全患者群で時間の経過とともにスコアは悪化したが、薬剤を投与された患者群ではスコア悪化の程度はプラセボ投与群より0.5ポイント低かった。今年5月には製薬大手のイーライリリーが、同社の「ドナネマブ」がスコア悪化の程度を少し多めの約0.7ポイント低減するようだと発表している

慎重な検討が必要な理由

アルツハイマー病の経過を変える可能性に対して、予想通り大きな興奮が沸き起こった。とはいえ、これらの薬剤を臨床の現場に普及させていくには慎重な検討が必要になる。CDRスコアの0.5ポイントや0.7ポイントの差は平均値なので、実際の効果は患者によって大きく異なる可能性もあり、0.5ポイントの差は小さすぎて意味がないかもしれない。

一方で、リスクはかなり大きい。これらの薬剤を服用したことで、何人かの患者が死亡した可能性がある。このようなささやかな効果と重大なリスクを伴う治療薬が「価値がある」かどうかは、アルツハイマー病と共に生きる人生にどの程度の価値を見出すかによるという側面があるだろう。

CDRスコアの0.5ポイントは、記憶や地域社会とのかかわりなど、各項目の障害の記述における「わずかに」と「中程度に」の差に相当する。この程度の変化は、外部の人にはほとんど観察できない可能性があるのだ。

アルツハイマー病患者を対象にしたある研究では、医師が患者における相違を確実に見分けることができたのは、CDRスコアの変化が1ポイントのときだけだった。しかし、医師が見逃した相違に患者本人は気付くかもしれない。

カリフォルニア大学サンフランシスコ校の神経内科学准教授のフリオ・ロハスによると、0.5ポイントの低減によって、さらに数カ月は自分でクルマを運転できる可能性があるという。「これは意味のあることです」

パーセンテージで示された効果の意味

CDRの数字がいかに印象の弱いものであるか、製薬会社は認識できているようだ。イーライリリーのプレスリリースでは、0.7ポイントの効果は明示的に言及されておらず、代わりにドナネマブはプラセボと比較して認知機能低下を約35%遅延させたと記されている。

この「35%」という数字は文脈が不明で、どんなことも意味しうる。臨床試験の過程でプラセボを投与された患者の病状が非常に悪化したのであれば(実際はそうではなかった)、35%の遅延は非常に大きな影響があるかもしれない。この数字が何であるか問われなかったままの場合、実際に起きた事態よりも大きな効果を示唆する可能性がある。

効果をパーセンテージで示すことで、治療薬を服用した患者は数年後の時点でもプラセボ患者より35%優れていると巧妙に示唆している、と、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンのハワードは言う。だが、そのようになると考えられる理由はほとんどない。レカネマブもドナネマブも、18カ月以内にほとんどの患者の脳から過剰なアミロイドβをすっかり取り除いてしまうので、その後は服用を継続しても効果が認められなくなる可能性があるからだ。

またデータは限られているが、レカネマブの投与終了後は、患者の認知機能低下のスピードは遅くならず、したがって未投与の患者と同じスピードで低下していくことを示す暫定的な証拠がある。その場合、薬剤の相対的な効果は時間の経過とともに縮小していく。

抗アミロイド薬の長期的な効果を理解するには、まだまだ多くの研究が必要になる。だが、すでにFDAによる完全承認が与えられようとしており、カリフォルニア大学サンフランシスコ校の疫学・生物統計学教授のマリア・グリモールは、確かなデータを得られないのではないかと憂慮しているという。製薬会社にとっては薬剤の効果をこれ以上調べても「デメリットしかない」ので、調べない可能性があるとグリモールは指摘する。

副作用という重大なリスク

不確実なのは、これらの治療薬の効果だけではない。レカネマブとドナネマブの第III相臨床試験では、患者計6人が副作用で死亡した可能性がある。

アミロイドを標的とする抗体は脳の腫脹や出血を引き起こすことが多く、たいていの患者では無症状だが、若干の患者は重篤な状況に陥る。多くの臨床医の心に重くのしかかるリスクだ。

南カリフォルニア大学の精神医学・行動科学教授のロン・シュナイダーは、ほとんどの患者で抗アミロイド薬は意味のある効果をもたらさないと考えているが、それでも安全ならためらうことなくこれらの薬剤をすすめるだろうと語っている。だが、リスクのために大きな躊躇を覚えている。「レカネマブのように1,000人に1人の死亡率だとしても、1年間に10万人を治療すると100人が亡くなりますから」

臨床試験で両方の治療薬を患者に投与したカリフォルニア大学のロハスは、安全性についてより楽観的だ。臨床試験での死亡患者数は極めて少ないことから、これらの治療薬で死亡者が想定以上に増えるかどうかについて語ることはできないという。

安全対策を施せば、おそらく患者を重篤な副作用から守ることができると、ロハスは考えている。しかし、脳の腫脹を発見するための定期的なMRI検査など、安全対策はそれ自体が負担になる。

実際にレカネマブの臨床試験では、患者は数カ月ごとにMRI検査を受けた。隔週での治療薬の静脈注射と併せて、患者やその家族は時間的にかなりの負担を強いられる。医療費の全額もしくは一部を自己負担しなければならない人の場合、これらの治療や検査は費用面で手が届かない可能性があるだろう。

大病院の近くに住にでいて不測の事態に備えた蓄えが十分にある患者なら、こうした負担は何とかなるかもしれない。だが、患者が貧しかったり、田舎暮らしだったり、家族や社会の支えがなかったりする場合には、本人が望んだところでこれらの治療薬を試すことはできないかもしれない。

最初から対象外になる可能性のある人たちも存在する。米国では黒人やヒスパニック系の患者は、抗アミロイド療法の候補となる疾患の初期段階でアルツハイマー病と診断される確率は低くなるからだ。

レカネマブの完全承認が検討段階へ

これらの治療薬が最終的に患者に利益をもたらさないなら、アクセスの格差は長期的にそれほど問題にならないかもしれない。だが、高価な治療薬が大いに注目されることで、周縁に位置するアルツハイマー病患者が不釣り合いに影響を受けるもっとありふれた認知症ケアの格差の解消が、困難になる恐れがある。

米国では高齢者向け公的医療保険制度である「メディケア」は、アルツハイマー病患者の多くが必要とする介護費用を給付していない。地域社会レベルでも、認知機能障害のある人を包摂する取り組みがうまくいっていない傾向がある。

これらの問題は解決可能だが、問題に取り組むエネルギーは不足気味だ。ペンシルベニア大学所属の生命倫理学者であるエミリー・ラージェントは、「錠剤や静脈注射といった概念は魅力的だが、人間による介護という概念から注意をそらしてしまう危険性があるのは間違いありません」と語る。

レカネマブがFDAから迅速承認を受けてほぼ半年が経過したが、これまで入手がほぼ不可能だった。しかし、この状況はもうすぐ変わりそうだ。FDAはレカネマブの完全承認について検討する諮問委員会を6月9日に予定している(欧州では承認は保留中で、英国では国民保健サービスで提供されるためには費用対効果試験にも合格する必要がある)。

リスクや介護が困難という問題はあるが、医師は希望する患者にレカネマブ、その後にはドナネマブを提供するつもりでいる。「希望を打ち砕くことがわたしたちの仕事ではありません」と、南カリフォルニア大学のシュナイダーは言う。

とはいえ、患者がこれらの治療薬が自分に適切かどうかを判断するにあたり、医師はそれを助ける重要な役割を担っている。臨床医は利用できる限られたデータを駆使することで、患者が期待することがらを説明しなければならないだろう。その後は、得られる利益が時間、金銭、健康面でのコストを上回るかどうかの判断が、患者本人に委ねられる。

リスクをとる治療は「魅力的」なのか

人々はこの疾患の進行を遅らせる可能性に賭けて、重大なリスクをとることをいとわないかもしれない。患者や家族にとって「アルツハイマー病」という診断は、衰弱や失禁のほか、意図せずして愛する人に深い心の傷を負わせたり、自分の心の中で自分のことがわからなくなったりするイメージを連想させる。

これは「死の前に経験する死」とも呼ばれる。そのような運命に直面したとき、一か八かの治療が魅力的に映ることがあるかもしれない。ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンのハワードは、この病気と闘うために何でもする、死んでも構わない、と患者から告げられたことがあるという。

しかし、抗アミロイド療法の候補になる人は障害の程度が非常に軽いので、通常はアルツハイマー病に罹患する前のライフスタイルを一定期間は維持できる。この疾患と共に生きる人生を10年以上は送ることになるかもしれない。

高齢者の場合は、アルツハイマー病で亡くなる前に別の疾患で亡くなる可能性が十分にある。アルツハイマー病を患った人生の価値は低いとされ、どのような治療も受けるに値しないという考え方が世の中にはあるかもしれないが、そのような考え方は記憶障害のある人が送る豊かな人生を消し去るものだ。

これはレカネマブやドナネマブのために亡くなった一人ひとりの死の悲劇を、より悲劇的なものにするだけだろう。「軽度の認知症患者だけでなく、中等度の認知症患者でも、とても充実した幸せな人生を送ることができます」と、ハワードは言う。「これらの臨床試験で亡くなった方は、ごく初期の段階の認知症患者でした。まだ何年もほどほどの人生を送ることができたのです」

WIRED US/Edit by Daisuke Takimoto)

※『WIRED』による健康の関連記事はこちらウェルビーイングの関連記事はこちら


Related Articles

次の10年を見通す洞察力を手に入れる!
『WIRED』日本版のメンバーシップ会員 募集中!

次の10年を見通すためのインサイト(洞察)が詰まった選りすぐりのロングリード(長編記事)を、週替わりのテーマに合わせてお届けする会員サービス「WIRED SZ メンバーシップ」。無料で参加できるイベントも用意される刺激に満ちたサービスは、無料トライアルを実施中!詳細はこちら