自動車を「修理する権利」について業界団体が合意しても、データをめぐる論争は集結しない

7月中旬、米自動車業界の複数の業界団体が「修理する権利」に関する覚書に署名した。これにより、クルマが生み出すデータをめぐる議論に終止符が打たれるようにも見えたが、所有者の権利が十分守られていないという声は止まない。
Red car on lifts in a mechanic shop
Photograph: WinnieVinzence/Getty Images

個人のクルマから発生するデータは誰のものか。そのデータへのアクセスは誰が管理すべきなのか。

この問いをめぐっては、「修理する権利」を訴える活動家、自動車メーカー、部品メーカー、自動車修理店のオーナー、整備士、そして自動車の持ち主である一般消費者の間で、10年近くにわたり議論が交わされてきた。その答え次第で、車載カメラやクラウド対応機能を備えた最新型車両の所有に伴うコストや利便性ががらりと変わるかもしれない。ますます技術偏重へと傾く自動車業界の未来も変わるだろうとの声もある。

「修理する権利」に関する覚書

こうしたなか、ついにこの問いの答えが出たと複数の業界団体が発表した。連邦議会に宛てた2023年7月11日付の書簡で、米国の主要自動車メーカーと数千に及ぶ修理店が参加する3つの業界団体が、「修理する権利」に関する“合意事項の覚書”に署名したと明かしたのだ。

合意のなかで自動車メーカー各社は、独立系の自動車修理業者に対し、車両の点検や修理に必要なデータ、ツール、情報へのアクセス権を与えると約束している。ただし、こうしたデータやツール、情報の提供先は、各自動車メーカーの販売代理店ネットワークに限られる。書簡には、「自動車修理業界では健全な競争が維持されている」との文言がある。

しかし、購入した製品は消費者自身が自由に修理できるようにすべきだと訴える「修理する権利」の擁護者たちは、この文言に疑問を呈している。彼らに言わせると、この合意は最新の車載カメラや各種センサーが生成する車両の位置、速度、加速の具合、車両のハードウェアやソフトウェアの働きといった一連のデータを、クルマの所有者が自由に扱うことを認める内容ではないという。

擁護派の人々は、今回の合意のせいで自動車メーカーやその系列の修理業者がますます有利になり、将来的に小さな独立系の修理店や自宅で修理を請け負う人々が業界から締め出されるのではないかと危惧している。そうなれば、クルマの持ち主たちは手頃な料金ですぐに愛車を修理してもらえる場所を見つけにくくなるだろう。また、必ずこの約束を守るよう自動車メーカーに強制できる仕組みもないと彼らは訴える。

「自動車メーカーがどう動くか、クルマの所有者や修理業者が本当に情報を入手できるのかという点について、合意によって何かが変わるとは思えません」と、ポール・ロバーツは言う。ロバーツは、「修理する権利」の擁護を目的としたITおよびサイバー関連の専門家たちの組織であるSecuRepairs.orgを設立した人物だ。

特に、独立系修理業者とアフターサービス用部品業者のための米国最大の業界団体Auto Care Associationが今回の合意に参加していない点は注目に値する。ハイテク機能を満載したクルマの修理を希望する消費者はいくつもの大きな壁にぶつかるはずだ。しかし、今回の合意はそのことに言及していないと、同団体の会長を務めるコリー・バートレットは指摘する。

小規模な、特に地方で営業する修理業者は、最新の車種を修理できないことがある。高額なツール、定期購入品、必要な技術研修の費用を賄えないからだ。こうした経費は数十万ドルに上ることがある。クルマの構造がより複雑になり、アプリやインターネットに移行するサービスが増えるにつれ、こうした業者は必要な情報に手が届きにくくなることを恐れている。

「独立系の修理業者が無理のない価格で容易に情報を入手できるようにして欲しいのです」とバートレットは言う。彼は、米国の北部と中西部で修理店向けアフターサービス用自動車部品販売を展開するAutomotive Parts Headquartersの社長兼最高経営責任者(CEO)でもある。

情報はタダで手に入らない?

米国のクルマ文化や自動車業界には、持ち主が自分でクルマを修理するDIYの習慣や、自動車メーカーと関わりのない独立系修理工場の伝統が長く残っている。世界的自動車メーカーの大半が加入する業界団体のAlliance for Automotive Innovation(AAI)によると、衝突事故専門の修理業者が参加するAAI公認のネットワークは、いまでも自動車のディーラーとは無関係の業者が全体の70%を占めているという。

多くの修理店、特に会費を払ってこうした認定業者のネットワークに参加している修理業者の多くは、今回の合意が成立する前から自動車修理に必要な情報の入手には苦労していなかったという。ノースカロライナ州ヒッコリーにある自動車修理会社K & M Collisionの副社長で、今回の合意覚書に署名した3団体のひとつであるSociety of Collision Repair Specialistsの副会長を務めるマイケル・ブラッドショーによると、K & M Collisionはキア、ゼネラルモーターズ、ベントレー、リヴィアンを含む自動車メーカー30社の認定プログラムへの参加権を維持するために会費を支払っているという。

ブラッドショーは、「修理する権利」擁護派の意見にある程度は賛成だ。しかし、今回の合意は、すでに彼が手にしている以上の恩恵をもたらすものではなかったという。「これまでも、データや修理関連の情報が存在していれば、いつでも手に入れることはできました」とブラッドショーは言う。しかし、自動車の修理に必要なツールや認証や情報を得るために、修理業者がときにはかなり高額な支払いを強いられることについて、特に問題とは思っていないと彼は言う。

自動車メーカーの認証プログラムに参加するには費用がかかるが、それは当然の出費だとブラッドショーは考えている。メーカー各社は多額の費用をかけて自動車技術の開発に取り組み、修理に必要な書類を作成しているからだ。修理作業を安全かつ効率的に行うために必要な経費なら、いくらでも払うつもりだと彼は言う。

「情報がタダで手に入るようになれば、その内容はやがて劣化していくでしょう」と彼は言う。自動車メーカーにとって、さまざまなリソースを投入してまで修理業者のために正確な情報を用意する意味がなくなってしまうからだ。「必要なデータに金を払えない企業は、社員のトレーニングや会社の設備への投資を怠っているということです」

確固たるガイドラインの必要性

業界全体で制度を見直し、データの規格化と公開を自動車メーカーに強制しない限り、自動車販売各社は修理に必要な情報へのアクセスを制限したり、傘下のディーラーを利用するよう顧客を誘導したりして、利益の引き上げを図るだろうと警戒する修理業者もいる。

自動車から生まれるデータの直接の所有権がクルマの持ち主にあることが明確になり、自動車メーカーの特殊なツールやシステムを用いる必要がなくなれば、クルマの所有者はデータをもとに自分で点検や修理を行うこともできるし、自由に業者を選んで修理を任せることもできるはずだと彼らは言う。

「心配なのは、確固としたガイドラインが示されなければ、いずれ自動車メーカーはクルマに関するデータへのアクセス権を、わたしたちには手の届かない値段をつけて収益化するだろうということです」と、メリーランド州で複数の店舗をもつ自動車修理企業Dynamic Automotiveの共同経営者であるドウェイン・マイヤーズは言う。

「目の前の状況だけでなく、5年後や10年後のことを考えなければなりません」と、「修理する権利」擁護派のロバーツは言う。「いま、早いうちに手を打つ方が簡単なはずです」

おそらくは意図してのことだろうが、今回の合意は米下院の知的財産・インターネット小委員会による「修理する権利」に関する公聴会の直前に発表された。すでに超党派の下院議員グループが、この件に関する法案を提出している

この公聴会は、20年に住民投票で可決されたマサチューセッツ州のある法案をめぐる論争が、米国中に広がったことを受けて開催された。自動車が生成するデータをその所有者が全面的に管理することを認める法案だ。業界団体のAAIはこの法案に異議を唱えて同州を提訴し、施行を阻止しようとした。この件の判決はまだ下されていない。

しかし、マサチューセッツ州の検事総長は23年6月、データの公開を拒否する自動車メーカーに対し、規則違反を理由に罰則の適用を開始する予定だと発表した。その数日後、米運輸省は、車両をハッキングの危険にさらす恐れがあるとして、このマサチューセッツ州法に従わないよう各自動車メーカーに通告した。その文書の内容は、かつてバイデン政権が「修理する権利」をめぐる問題について約束した内容と矛盾する印象を与えるものだった。

AAIの広報担当者であるブライアン・ワイスは、係争中であることを理由にマサチューセッツ州法に関する発言を拒んだ。しかし、今回の合意が他州の「修理する権利」関連の政策にどう影響するか、あるいはそもそも影響があるか否かについては、政策担当者の判断に委ねられると彼は語った。

覚書に署名した業界団体は、州の規定とは対立する形で「修理する権利」を定義する連邦法を強く推している。州ごとにルールを定めると、さまざまな法律の寄せ集めが生まれ、DIY派や独立系の修理業者に一貫性のない義務を課すことになる可能性があるからだ。これは、23年1月に農機具メーカーのジョンディアと農業関連の大手業界団体が「修理する権利」を保証する合意書に署名したものの、農機具の修理に必要なツールやソフトウェアを農業従事者が自由に入手できることを確約する内容ではないと、擁護派たちに批判された出来事を反映している。

メリーランド州で独立系の修理工場を経営するマイヤーズは、いま顧客に自分のクルマに関するデータの所有を認めれば、何よりもまず「自分のクルマをどこで修理するかを決める権利を顧客に与えることになります」と言う。一方で、彼は未来にも目を向けている。

「自動車メーカーがどんなデータを集めているのか、いつかはわかるでしょう」と彼は言う。その理由も明らかになるはずだ。しかしマイヤーズはいますぐに、クルマの所有者の権利が確立され、自由に情報を扱えるようになることを望んでいる。持ち主の意に反するやり方で情報が利用されていることがわかってからでは遅すぎるのだ。

WIRED US/Translation by Mitsuko Saeki/Edit by Mamiko Nakano)

※『WIRED』による車の関連記事はこちら


Related Articles
Mechanic is using a diagnostic car code reader
消費者が電子機器や自動車を自ら修理できる「修理する権利」という考えが広がる米国で、電子化が進む自動車に関して対立が深まっている。ハッカーによる侵害を招いて安全面でのリスクが高まると、米国政府が主張しているのだ。
article image
現代では「壊れたら買い替える」が常識になっているが、ベルリンに拠点を置くOpen Funkは、誰にでも修理ができるミキサー「re:Mix Blender」を通して、この習慣を変えようとしている。

毎週のイベントに無料参加できる!
『WIRED』日本版のメンバーシップ会員 募集中!

次の10年を見通すためのインサイト(洞察)が詰まった選りすぐりのロングリード(長編記事)を、週替わりのテーマに合わせてお届けする会員サービス「WIRED SZ メンバーシップ」。毎週開催のイベントに無料で参加可能な刺激に満ちたサービスは、無料トライアルを実施中!詳細はこちら