邦訳が待ちきれない! 2023年に世界で刊行された注目の本10選|WIRED BOOK GUIDE

年間100冊以上の英米の新刊を読むデジタルハリウッド大学教授の橋本大也。今年もそのなかから最も翻訳が待ち望まれる10冊(+1)を『WIRED』読者のためにセレクト、年末の人気企画をお届けする。
2023年に世界で刊行された注目の本10選|WIRED BOOK GUIDE
PHOTO: DAIGO NAGAO

白人にアジア人の物語を語る権利はあるか? そして誰が何を語ってはいけないのか

Yellowface by R.F. Kuang

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物語は、中国系米国人のアテナ・リューと白人のジューン・ヘイワードという2人の作家を中心に展開する。人気作家のアテナが不慮の事故で亡くなり、その場に居合わせた友人のジューンはアテナの未発表の小説『The Last Front』の原稿を盗み出す。この本は、第一次世界大戦中の中国人労働隊の知られざるドラマを扱っていた。ジューンはその作品を編集し、自分の作品としてエージェントに送った。出版社のすすめによりペンネームを "ジューン・ヘイワード "からアジア的な響きの "ジュニパー・ソング "に改名した。『The Last Front』はニューヨーク・タイムズのベストセラーになる。

ジューンは一躍、時代の寵児になった。しかし、SNSでは白人であるジューンにこのようなディープな中国人のドラマが書けるはずがない、盗作だという声があがる。自然言語処理の技術を使い、アテナとジューンの文体の類似性を指摘する者も現れる。大炎上を起こし精神的に追い込まれたジューンだったが、出版社は彼女の盗作疑惑を深く追及することはなかった。ネットで炎上すればするほど、本は売れるからだ。

タイトルの「yellowface」は、米国の演劇や映画において、白人の俳優がアジア人のキャラクターを演じるために、人種の特徴を強調するメイクをした差別的な慣習を意味する。サイレント映画『蝶々夫人』(1915)では白人女優が、物語内で白人男性に搾取される日本人少女を演じた。パールバック原作の映画『大地』(1937)ではヒロインの中国人女性をドイツ人女優が演じてアカデミー賞を受賞した。オードリー・ヘップバーン主演の『ティファニーで朝食を』では歯並びの悪い日本人男性ユニオシ(名前が変だ)を米国人の白人俳優が演じた。この配役は少し批判されたが、作品はアカデミー賞を総なめにした。

この小説は文化の盗用をする表現者だけでなくそれを可能にするシステムに対する告発でもある。ジューンは盗作を否定し、嘘を上塗りして切り抜けようとする。エージェントや出版社は、ジューンの嘘にうすうす気づいているが、彼女を人気作家としてプロデュースする。売れるからという理由でイエローフェイスを横行させた映画業界と同じだ。

R.F.クアンはイエローフェイスの愚かしさを非難するだけではなく、行き過ぎたキャンセルカルチャーの馬鹿馬鹿しさも、ユーモアたっぷりに風刺している。異なる立場の人間の物語を想像で書いてはいけないのだとしたら文学など成り立たない。誰がどの物語を語る資格があるのか、それを決めるのは誰なのか、何が文化の濫用にあたるのか? 言語から文化の搾取を問題提起した前作『Babel』と同様に、現代の複雑な文化状況を理解しようとする者にとって『Yellowface』は必読の書である。


20世紀の天才が発明したAIが21世紀の人間の天才を打ち負かすシンギュラリティの物語

The Maniac by Benjamín Labatut

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2023年、映画ではオッペンハイマーが話題だったが、書籍ではこの本によってフォン・ノイマンの年だった。ベンジャミン・ラバタットは、ブッカー賞にノミネートされたことのあるチリの作家で、史実と創作が入り混じった歴史ドキュメンタリーに定評がある。

物語は1933年、アインシュタインの友人で、オーストリアの物理学者ポール・エーレンフェストが、養護施設にいた15歳の息子を銃撃した後、自らの命を絶つ衝撃のシーンで幕を開ける。天才と狂気の境界からイノベーションが生まれてきたことを暗示する序章だ。

前半では、コンピューターと人工知能(AI)、天気予報と原子爆弾を発明した天才フォン・ノイマンの生涯が関係者の証言というかたちでドキュメンタリーとして描かれる。フォン・ノイマンの妻、娘、物理学者ユージン・ウィグナー、リチャード・ファインマン、ジュリアン・ビゲローらが登場し、フォン・ノイマンの人間離れした知的能力に圧倒されたエピソードを語る。

タイトルは狂気であると同時にフォン・ノイマンがロスアラモス国立研究所で開発した初期のコンピューターMANIAC(Mathematical Analyzer, Numerical Integrator, and Computer)を意味する。ソフトウェアとハードウェアを分離し、ソフトのプログラミングが可能なノイマン型コンピューターは、現代のコンピューターの基礎になった。最初のチェスプログラムのAIもMANIACの上で開発された。フォン・ノイマンは晩年には自己複製機械の創造に取り組んだ。この機械は人間の理解や制御を超えて、自律的に進化する能力をもっていた。病に倒れて錯乱したフォン・ノイマンはこれを完成させずに1957年に他界した。

この本の後半は、ノイマンの死から約60年後の2016年が舞台になる。主人公は韓国の囲碁名人イ・セドル。彼が最新の囲碁AIであるAlphaGoに、五番勝負のうち4回敗れ、引退を宣言した経緯が語られる。20世紀の最高知性フォン・ノイマンが生み出した人工知能が、21世紀の人間の最高知性を打ち負かした瞬間だった。ビッグデータを学習し、人間を超えた知能を持つAIにイ・セドルは翻弄された。人間の完全な敗北のように思えた。しかしイ・セドルは一度だけAlphaGoを打ち負かす。勝負の決め手となったエキセントリックな一手は、人間の理性と狂気の狭間から生まれてきた。AlphaGoはその一手を目にして錯乱し、制御不能になったのだった。

『The Maniac』は単なる小説の域を超えている。AIの次に来るものは、追い込まれたセドルが覗き込んだ不可知の深淵の中にある。現代のコンピュータの誕生から最新のAIの行きつく先までを、史実に忠実だがドラマチックな物語として味わえる傑作だ。


君たちはどう生きるか? 高度成長期のシンガポールを舞台に描かれる切ないラブストーリー

Great Reclamation by Rachel Heng

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シンガポールは1926年に英国の植民地になった。第二次世界大戦中の42年から45年の間は日本に占領され「昭南島」と改名された。戦後は再び英国の植民地に戻ったが63年に独立を宣言し、マレーシア連邦を結成したが政治的に分裂し、65年には連邦を追放される形で分離独立した。シンガポールの当初の国土は582平方キロメートルで淡路島の大きさの国だったが、高度経済成長の50年間で国土面積を2割増やし、東京23区を上回る722平方キロメートルに拡大した。この国土拡大は大規模な海の埋め立て計画(The Great Reclamation)によるものだった。

英国植民地時代の41年、シンガポールの海辺の町で物語は幕を開ける。漁師の家に生まれた7歳の男の子アー・ブーンはやせっぽちで海を恐れ、近所に住む同い年の少女サイオク・メイとばかり遊んでいた。漁師の子どもなのに海が苦手なアーは弟から馬鹿にされていたが、ある日、彼には不思議な能力があることが発見される。アーにはほかの人間には見えない幻の島を見つけることができるのだった。幻の島の漁場のおかげで漁師たちは豊かな生活をすることができた。

戦争が始まり日本軍が町を侵略する。アーの父親は軍に連れ去られ行方不明になる。日本の支配が終わると再び英国人の植民地に戻ったが、すぐに独立に向けた政治的に激動の季節を迎える。政治活動家として殉死した両親をもつサイオク・メイは、自身もまた左翼活動に身を捧げる。彼女は幼馴染のアーを都会での政治活動に誘うが、アーには戻らなければいけない漁師町の実家があるのだった。

そしてシンガポールは高度経済成長の時代に突入する。英語を学んだアーは故郷の漁師村の再開発プロジェクトに関わる。それはサイオクが戦う政府の手先になるということだった。ふたりは経済発展と引き換えに故郷のコミュニティと環境が破壊されるのを目の当たりにする。

幻の島を見る力があるアーは、経済発展の未来が見えている。だから村人たちに伝統的な生活を捨てさせ、近代的な都市生活に導こうとする。逆にサイオクは経済発展で破壊される故郷を守ろうと抵抗する。ふたりとも故郷の村を大切に思っているが、敵対する陣営に属していることが明らかになる。理想を選ぶのか、愛を選ぶのか。幼いころから愛し合っていたふたりに試練が訪れる。

高度経済成長のなかで人々の価値観が変わっていく。正解がない時代に理想をもって生きる登場人物たちの生きざまが鮮烈で切ない。シンガポールの込み入った歴史がドラマを複雑にしているが、アーとサイオクの数十年間に及ぶラブストーリーが中心に大きな流れをつくっている。大河のような物語だ。


漂流した無人島で人間の醜い本性がむき出しになる大人版『蠅の王』のような難破船ドキュメンタリー

The Wager: A Tale of Shipwreck, Mutiny and Murder by by David Grann

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1742年1月28日、ブラジルの海岸に30人の瀕死の男を乗せたボロ船が漂着した。彼らは英国海軍の船ウェイジャー号の乗組員だった。ウェイジャー号は250人を乗せてスペインの輸送船を襲う秘密任務に当たっていたが、41年5月に嵐でパタゴニア沖の島に難破した。彼らはそこで食糧不足と病に苦しんだが、難破した船から木材を回収して脱出船を建造し、100日以上をかけて航海して遂に生還を果たしたのだった。多くの乗組員が厳しい漂流生活で死んだ。船長のデビッド・チープ大尉も死亡したと報告された。生存者たちは英国に英雄として帰還した。

ところが6カ月後、もう一隻の小さなボートが3人の男を乗せてペルー沖に漂着する。3人のうちのひとりは死んだはずのデビッド・チープ大尉だった。英国に帰国したチープは、先に戻った生存者たちの報告は真っ赤な嘘であると暴露した。島で食糧不足に悩まされた乗組員たちは無政府状態に陥ったのだった。一部の隊員たちが反乱を起こし、船長のチープを瀕死の状態で島に残し、帰還していた。

チープの訴えによって軍事法廷が開かれて、島で何が起き、なぜ大勢の死者が出たのかが明らかになっていく。チープは船長に昇格して日が浅かった。本国から遠く離れ、船を失い、人肉食を始める者がいるほどの飢餓に苦しむ状況になると船長の権威が疑われた。部下たちは、生きて帰れるか分からないのに軍の階級に何の意味があるだろうかと考えるようになった。チープは権力を維持するため、食糧庫から窃盗を働いた乗組員を厳罰に処するが、それがさらなる暴力の連鎖を引き起こす。

まるで大人版の『蠅の王』だ。少ない資源をめぐる争いで秩序が崩壊し人間の本性が剥き出しになっていく。醜い権力闘争のなかに政治の原型が見えてくる。船長のチープ、ジョン・バイロン中尉(有名な詩人の祖父)、士官ではない砲手のジョン・バルクレーら幾人かの生存者の視点で同じ出来事が語られるが、それぞれに異なる正義があった。そして軍事法廷の下した判決は意外なものだった。

デビッド・グランはエドガーアランポー賞を受賞した『花殺し月の殺人──インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』(Killers of the Flower Moon: The Osage Murders and the Birth of the FBI, 2017)や映画化された『ロスト・シティZ──探検史上、最大の謎を追え』(The Lost City of Z: A Tale of Deadly Obsession in the Amazon, 2009)のように、忘れられた過去の大事件を題材にする作家で、現実の証言をベースに淡々と、恐ろしい出来事を語るのがうまい。ノンフィクションだが一級のスリラーだ。


80代の名誉教授夫婦による連続猟奇殺人事件、スティーブン・キングの最新作は文句なく傑作だ

Holly by Stephen King

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第1章の15ページを読んで、残りを読まないでいられる人がどれだけいるだろうか。天才ストーリーテラーのスティーブン・キングの最新作は、若い女性探偵が連続殺人事件を捜査するスリラー。近年の作品のなかでもキングの筆に特別な勢いを感じる傑作だ。「わたしはホリー・ギブニーと離れることができなくなったんだ。彼女は『ミスター・メルセデス』の脇役のはずだったが、すっかり物語をもっていってしまい、わたしの心も奪ったんだ。ホリーはもうわたしの手を離れて生きているよ」と書くほど、キングの主人公に対する思い入れが強い。

魅力的な登場人物はホリーだけでない。彼女が対峙する連続猟奇殺人犯(この本は犯人捜しの本ではない)で、大学の側のビクトリア朝の邸宅に住む80代の夫婦も、アントン・シュガーやハンニバル・レクターのような、強烈に個性的でアイコニックなキャラクターだ。夫のロドニーは生物学の名誉教授で、妻のエミリーは英文学の名誉教授。ロドニーは衰えアルツハイマーの症状が出ている。エミリーは頭は回るが、神経痛で歩くこともままならない。一見、何もできなさそうな弱々しい老夫婦が、中身はこれ以上ないほど邪悪で、次々におぞましい事件を起こす。

1947年生まれの76歳のキングは、自分とは異なる思想をもつ(トランプ支持者で反ワクチン主義者)高齢者の殺人鬼を描きたかったとあとがきで書いている。ふたりは身体能力が低い代わりに周到な準備をして獲物を罠にかける。犠牲者に地獄が待っている。しかし80代でよぼよぼの名誉教授の夫婦を疑う者はいない。この街で行方不明になった娘の母親からホリーは捜査を依頼されるが、なかなか真犯人にたどり着くことができない。

物語の現在は2021年に設定されており、パンデミックの真最中だ。ホリーはコロナで母親を亡くしたばかり。登場人物たちの間でワクチンを何回打ったかが頻繁に話題になる。探偵事務所のパートナーのピートはコロナに感染して休んでいる。だから、ホリーはひとりで捜査を進めなければならない。若いホリーは感染対策に熱心で、老教授は懐疑的という対比がある。コロナをうまく設定に利用したコンテンポラリーな作品だ。


サルマン・ラシュディが描くインド版の『百年の孤独』

Victory City by Salman Rushdie

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14世紀、戦乱が続くインドで、敗戦国の女たちは自ら炎に飛び込んで集団自殺した。母を失った9歳の少女パンパ・カンパーナに神パヴァティが憑依した。神は告げた。「血と炎の中から、命と力が生まれる。まさにこの場所に偉大な国が誕生し、世界の驚異になるその帝国は2世紀続くだろう。そして、おまえは女たちがこんな風に焼き殺されることがなくなるように、男たちの女たちに対する考えを改めるために戦うのだ。おまえは長く生きて栄光と挫折を見るだろう、すべてを見て物語を語り、語り終わったらすぐに死ぬだろう。それから450年間、おまえを思い出すものはいないだろう」

フッカとブッカという牛飼いの兄弟がパンパの住む土地にやってきた。彼女はふたりに国づくりを命じた。ふたりは指示された場所に行き、種をまくと荒野に不思議な町が現れた。フッカとブッカは順番で王位に就くことにした。パンパは王と結婚して女王となった。住民たちは過去の記憶をもっていなかったので、パンパは住民たちに偽の過去の記憶を吹き込んだ。ビズナガという国ができた。この物語はパンパが書いたビズナガ国の歴史書であり、女性のユートピアを目指し挫折する250年の物語である。

パンパは歳をとらない。夫や子どもたちは老いて死んでいく。彼女は愚かな息子たちを追放し、賢明な娘たちに国を任せようとするが、14世紀のインドは男性社会であり、彼女の理想の国づくりは妨害される。王室が世代交代してパンパは女王から摂政になるが、やがて政略に負けて、王国を追放されてしまう。パンパは魔法の森に隠れ、100年にもわたって王国を奪還するチャンスを狙い、曾々々々々孫娘の代で実現する。

パンパは自らがつくり出した国と国民に250年間翻弄され続ける。フェミニズムの理想は夫や息子たち、他国から王家に嫁いでくる女たちには一向に理解されない。一時的に何かを改革できても世代交代すれば元に戻ってしまう。神の力をもつパンパでも、ひとりでは社会を変えることができない。もどかしさが物語に漂う。

戦争、叛乱、宮廷の謀略、宗教改革、ビスナガは多くの災難に見舞われる。そのほとんどは人間の欲望、虚栄心、嫉妬やライバル意識が引き起こす人災だ。だが人々は歴史から学ばない。マジックリアリズムと繰り返される人間の愚かな歴史、この物語はインド版『百年の孤独』である。ラシュディの知的でユーモラスな文体は、この作品を書くためにあるのではないかと思えるくらい内容にマッチしている。


コンピュータを「パーソナル」にしたのはジョブズでもゲイツでもなくこの5つのソフトウェアだ

The Apple II Age: How the Computer Became Personal by Laine Nooney

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1980年代のパーソナル・コンピューターの創世記は、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズのような起業家の観点か、あるいはアップルII、TRS-80、コモドールPETなどのハードウェアという観点から語られることが多い。この本はそうではなく、Apple II用に開発された5本のソフトウェアこそコンピューターの「パーソナル化」の原動力だったというユニークな視点で歴史をとらえ直す。

いまは忘れ去られた定番ソフトが5つの章を構成している。

  1. VisiCalc(表計算):79年にApple II用に最初にリリースされた表計算ソフトのVisicalcは、Apple IIの「キラーアプリ」と見なされ、約100万部を売り上げた。ハーバード大学MBAの学生だったダン・ブリックリンは友人のボブ・フランクストンと共に電子スプレッドシートで、大きな紙のグリッドに数字を手書きし計算を行なっていた時代を終わらせた。
  2. Mystery House(ゲーム):80年にOn-Line SystemsによってリリースされたアドベンチャーゲームMystery Houseは、ロベルタ・ウィリアムズによってストーリーとイラストが描かれ、夫のケン・ウィリアムによってApple II用にプログラムされた。この世界初のグラフィックアドベンチャーゲームはハードウェアの売り上げに大きく貢献した。
  3. LockSmith(コピープロテクト外し):81年にOmega MicroWare IncによってリリースされたLockSmithは、フロッピーディスクのコピープロテクトを外してソフトウェアをコピーするユーティリティで、Apple IIユーザーの誰もが使用していたが、公式のランキングでこのソフトの名前は掲載されなかった。
  4. The Print Shop(デザイン印刷ソフト):84年にBroderbundによって発表されたThe Print Shopは、家庭用プリンターで看板、ポスター、バナーを作成するためのクリップアートとテンプレートのライブラリを提供した。
  5. Snooper Troops(エデュテイメント):82年にSpinnaker Softwareによって開発された、エデュテイメントソフトの元祖Snooper Troopsは、ミステリーアドベンチャーを通じて、子どもたちの語彙を増やし推論能力を高めると評判で全国の学校に導入された。

これらの5つのパーソナルユースのソフトがなければアップルのマシンは、企業や大学のなかで使われるだけだったというのだ。ソフトウェアがなければハードウェアはただの箱に過ぎなかった。コンピューターを真に「パーソナル」に変えたのは、ジョブズやゲイツではなく、初期の人気ソフトとそれらを開発した小さな企業の創業者たちだったという見方もできるのだ。


「それ以外の万物理論」は知的好奇心とユーモアの絶妙なブレンドで本年のベストエッセイ集だ

The Theory of Everything Else by Dan Schreiber

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英国のラジオ・プロデューサーでコメディアンのダン・シュライバーによる、主流の科学では異端と見なされているトピックについての軽妙なエッセイ集。幽霊、地球外生命体、タイムトラベル、超能力、シンクロニシティ、陰謀論など、あらゆるオカルト的なテーマが全部入りである。信じられない体験談や事件報道が次々に紹介される。ネス湖のネッシー、エリア51、ユリ・ゲラーの超能力のようによく知られた話もあれば、そうでないものもある。トピック選びのバランスから優れている。

PCR検査の発明者で1993年にノーベル化学賞を受賞した米国人科学者キャリー・マリスは、85年午前6時ごろ自宅近くの道を歩いていたときに、光るアライグマに英語で話しかけられたという。彼は2019年に死去するまで、その光るアライグマはエイリアンであり、前後の記憶を人工的に消されたと真剣に主張していた。おかしなことを言っていたのは彼だけではない。発明王エジソンは幽霊を信じていた。量子力学のパウリはシンクロニシティというオカルトめいた偶然の一致の理論を信じていた話など、有名な科学者の奇想の事例がほかにも取り上げられる。

シュライバーは文章のエンタテイナーだ。彼が語るのは、知っていても知らなくてもいい情報ばかりである。しかし、彼の文章を数行読んだら、どうでもいいことではなくなる。科学者たちの奇想や奇妙な体験談が、なぜだか公にはされていない、知られざる真実に至るカギのように思えてくるのだ。シュライバーならば地球平面説のグルにだってなれるだろう。

絶妙なトピック紹介と並んでこの本の魅力はシュライバーのユーモア感覚だ。オカルト的テーマを扱っているが、彼自身はおそらくどれも信じていない。常に対象から一定の距離を保って、こんな話があるんだと情報を提供する。信憑性ありげに語るが決してそれが本当だとは言わない。そういう話もあるよと言うだけなのである。


自由国家の唐突な終焉:今年のブッカー賞受賞作は淡々としたリアルさに背筋が凍る政治ホラー小説

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Prophet Song by Paul Lynch

舞台はアイルランドのダブリン、主人公は生物学の研究者で4人の子どもの母親アイリッシュ・スタック。ある日、彼女の家を秘密警察の男ふたりが訪問する。彼らは教師で労働組合のリーダーである彼女の夫ラリーが関わったストライキについて尋問をして帰っていった。最近、右派政党の国民連合が政権を握り、政府は市民の権利を制限する方向に向かっていたが、アイリッシュもラリーもまだこの時点では事態を深刻には捉えていなかった。

しばらくしてラリーが集会参加中に逮捕され、音信不通になる。アイリッシュは4人の子どもと認知症の父親の面倒をひとりで見なければならなくなった。政治は右傾化を強め、反発する人々が抵抗運動を組織し始めた。アイリッシュはカナダに移住した姉から、子どもたちと共に国を出ることを薦められたが、差し迫った危機感を感じておらず、その申し出を断ってしまう。

社会に不穏な雰囲気が漂った。高校生で集会に参加したことがあった長男のマークも政府に目を付けられていた。マークは大学に行きたかったが軍から召集令状が届いた。アイリッシュは政治的な圧力で仕事を失った。暴動とテロリズムが頻発し、国は内戦状態に陥っていく。子どもにパスポートが発行されず、もはや家族でカナダへの移住も不可能だった。

アイルランドを舞台にしているが、これは日本であっても米国であってもおかしくない。自由主義の先進国だと信じていた社会が、じわじわと保守主義、全体主義に変容していく。気がついたときにはディストピアに閉じ込められている。声を上げられるときに上げなかったことを後悔しても、もう遅い。少し前まで当たり前だった自由で平和な生活はどこにもないのだ。

カエルをぬるま湯に入れて少しずつ熱すると、カエルは熱さに気がつかずに茹で上がって死ぬ。この小説はゆでガエルの恐怖をリアルに描いている。アイリッシュは有能で家族愛に満ち法律を守る善人だが、鍋から飛びだす決断ができない。第二次大戦時の日本やドイツの国民も大半の人はいつの間にか沸騰する鍋の中にいたのかもしれない。リアリティが恐ろしい。

文体は切れ目のない長い段落が特徴で、物語のテンションを高める。文章は長いが、読みやすくて、詩的で、読む体験自体を楽しめる。


原爆と原発の爆発を両方体験した日本人が読むべき「終末」8年後を生きる母子の交換日記

The Blue Book of Nebo by Manon Steffan Ros

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今年最高のヤングアダルト文学だが敢えて大人に薦めたい。主人公はウェールズの小さな町ネボの丘の上に孤独に暮らす母親ローウェナと14歳の息子ディラン。ふたりは一冊の青いノートに交代で日記を書いていく。互いの日記の内容は絶対に読まないという約束をして。ふたりにはそれぞれの秘密があった。両方のエントリーを読める読者だけが本当に起きていることがわかる構成になっている。

8年前の2018年に「終末」があった。「終末」が何なのかは読者に説明されず、登場人物たちも詳しくは知らない。状況の描写から、核戦争か原発事故が起きて国が壊滅したように見える。電気もテレビもインターネットもなくなった。道にクルマは走っておらず、空に飛行機も飛んでいない。ふたりが暮らす町では、ほかの住民は逃げ出して、隣家の住人が一組いるだけだ。外部との連絡はなくなった。

異常な状況だが、ディランにとっては物心ついてからずっとそのような世界なので危機感はない。ディランには「終末」後に生まれてきた幼い妹がいる。兄妹が遊ぶ野原には奇形の動物がいる。読者はそれが放射線による遺伝子の異常だとわかるが、ディランには分からない。ディランは不気味な動物を可愛がる。

母親ローウェナも世界で何が起きたのかは知らない。しかし、自分たちが深刻な状況に置かれていて、子どもたちを守らねばならないと必死である。幼い娘の父親が誰なのかは彼女しか知らない。読者は彼女の回想から「終末」以降に何が起きたのかを少しずつ知る。ディランの日記では靄がかかっていた部分、怖い現実が明らかになる。

本作はウェールズ語の原作『Llyfr Glas Nebo』を作者自身が英語に翻訳したもの。『ネボの青い本』は2019年ウェールズの年間ベストブック賞で3部門を受賞し、その後英訳版も児童文学の最高の賞であるカーネギー賞を受賞した。児童文学であるが、幼い子どもが読んでも内容を理解できないだろう。むしろ大人の読書に値する作品だ。

原爆と原発の爆発を経験した日本人は、この本の記述の不気味さ、恐ろしさが倍増して感じられる。11年の福島第一原子力発電所が爆発してから数週間の記憶がよみがえる。放射線量を毎日確認し、これから何が起きるか分からない不安の日々だったが、我々は幸運にも日常を取り戻すことができた。もしもさらに原発事故が悪化して放射線で東日本が壊滅していたらどうなっていたか、ネボの青い日記はそんな暗黒の並行世界を彷彿とさせる。


フランス人作家が日本の田舎を舞台に描いた文化融合ゴーストストーリーに心打たれた

Festival of Shadows: A Japanese Ghost Story by Atelier Sento

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最後に11冊目の番外編として今年最高のグラフィックノベルを紹介する。若いフランス人のユニット、アトリエ・セントー(銭湯)による作品の英訳化。主人公は日本の田舎の村に暮らす少女ナオコ。夏になると村では「影の祭り」が行なわれる。成仏できない霊が影となって訪れる。影の世話人の役割を担う村人は、影を迎えて、1年間一緒に暮らす。影の話を聞いてやり、この世に残した未練を忘れさせて、死者の世界に送り出すのが世話人の仕事だった。

母親を亡くしたナオコは、昨年から影の世話をするようになった。しかし1年目に迎えた少女の霊とはうまくコミュニケーションができず成仏させることはできなかった。2年目に彼女のところへやってきたのは若い画家の影で奇妙にクルマを恐れている。交通事故で亡くなった霊なのかもしれない。今年こそはうまくやってみせるとナオコは決意する。

フランス人の作家が日本のお盆の習慣にインスパイアされた作品のようだ。フランスの感性と日本の文化が見事に調和して傑作になった。日本の四季の風景が美しく、日本的スピリチュアルワールドの神秘が、見事に表現されていて驚く。ナオコが世話をする画家が、女性に優しすぎて、若干フランス人のように感じることを除けば、描き方に違和感はない。

ナオコと画家の霊が出会い、影の祭りの設定が説明された後、物語は予想しなかった方向へ進む。舞台はいったん都会へ移動し、そしてまっすぐ切ないラストに向かう。伏線が回収されて、すべての謎が明らかになる。完璧なプロットである。よくできた2時間の映画を観たような気になるグラフィックノベルだ。

アトリエ・セントーはフランス人のセシル・ブラン(Cécile Brun)とオリヴィエ・ピシャール(Olivier Pichard)とのユニット名で、前作の『鬼火』は外務省主催の第11回日本国際漫画賞で優秀賞を受賞している。日本文化のイベントで出会ったふたりは一緒に日本を旅行した。その後、セシルは1年間日本に留学することになり、ふたりは新潟で生活した。その経験から、自分たちを主人公にして描いた妖怪の話が前作だった。わたしは『鬼火』も読んだことがあるが、完成度ははるかに『Festival of Shadows』が高い。これまでに読んだバンド・デシネのなかでもこれは1, 2位を争うレベルだ。

橋本大也|DAIYA HASHIMOTO
デジタルハリウッド大学教授兼図書館長。生成AIのベンチャーブンシンのCEO。ビッグデータと人工知能の技術ベンチャー企業データセクション創業者。同社を上場させた後、顧問に就任し、教育とITの領域でイノベーションを追求している。著書に『英語は10000時間でモノになる』(技術評論社)『データサイエンティスト データ分析で会社を動かす知的仕事人』(SB 新書)『情報力』(翔泳社)、書評集『情報考学 Web時代の羅針盤 213 冊』(主婦と生活社)、翻訳書に『アナロジア AIの次に来るもの』(早川書房) がある。多摩大学大学院客員教授。早稲田情報技術研究所取締役。

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