ブラジルの「フェイクニュース法」阻止へ、大手テック企業は一歩も譲らない

ブラジルでは、オンラインプラットフォーム上のヘイトスピーチや誤った情報を発見し、削除することを運営会社側に義務付ける、通称「フェイクニュース法」をめぐって議論が続いている。大手テック企業は新たな規制を回避するため、さまざまなキャンペーンを実施していたようだ。
Illustration of two feet digging heels into the ground wearing socks with the Meta and Google logos
Illustration: Jacqui VanLiew; Getty Images

フェリペ・ネトは4,500万以上のフォロワーを抱えるブラジル人ユーチューバーだ。2023年4月28日、ネトはグーグル傘下であるYouTubeから送られてきた、「PL2630」に関する警告メッセージに腹を立てていた。

PL2630とは、ブラジル連邦議会下院に提出されたオンラインプラットフォーム規制の法案で、「フェイクニュース法」とも呼ばれている。この法案は、ヘイトスピーチや偽情報、違法コンテンツを発見して削除することをオンラインプラットフォームや検索エンジンに義務付けるもので、従わない企業には罰金が科せられる。

ネトに送られたメッセージには、PL2630が可決されればブラジル政府はYouTubeのプラットフォームを部分的に支配できるようになる可能性があり、ネトなどのインフルエンサーは裁判を回避するためにコンテンツを削除せざるを得なくなるかもしれないと綴られていた。

ネトに言わせれば、この警告こそがフェイクニュースだった。YouTubeから送られてきたメッセージも、同様の主旨が書かれたYouTubeのブログ記事も、この法案を誤った認識で説明しているという。「法案に反対するよう、クリエーターたちを誘導しようとしているのは明らかです」ネトはYouTubeへの回答として、送られてきたメッセージとそれに対する自身の考えをツイッターに投稿した。そして「よく読んでください。グーグルはこんなにもひどいやり方でクリエーターを利用し、自らの利益を守ろうとしている。こんな行為は一度も見たことがない」とほかのクリエイターたちを警告した。

「プロパガンダ」か「マーケティング」か

しかし、これはほんの始まりにすぎない。グーグルをはじめとするアメリカの大手テック企業は、自らのプラットフォームを規制する新たな枠組みになりかねない法案の成立を阻止するべく、ブラジル国内でさまざまなキャンペーンを展開しているのだ。

法案は、23年5月はじめに下院の採決にかけられる予定だった。そこに至るまでの数週間、ブラジル国内では法案に反対する広告や企業による声明が矢継ぎ早に展開された。

InstagramやFacebook、全国紙に掲載された広告には、この法案にはさらなる議論が必要だと主張するグーグルのブログ記事へのリンクが掲載された。当該のブログ記事によると、法案の一部はまだ議会で議論されておらず、本会議の日程が早すぎるせいで「議会で審議したり、内容を修正したりする余地」が限定されているとのことだ。

下院の本議会が24時間後に迫った5月1日、Googleホームページを開いたブラジルのユーザーたちは、検索ボックス下にこんなリンクが表示されているのを目にすることになった──「フェイクニュース法案によって、ブラジルでは真実と偽りを見きわめるのが、ますます難しくなるだろう」。この一文はブラジル法務省により消費者保護法に違反する「プロパガンダ・キャンペーン」とみなされ、当局はグーグルに対してリンク掲載中は毎時20万ドルの罰金を科すと通告。グーグルはこれを受けてリンクを削除した。

「(メッセージは)企業の立場のため、誰かがお金を払って掲載しているのであり、そういった情報は明示されていなければなりません」と、ブラジル法務省のデジタル著作権担当秘書官を務めるエステラ・アラーニャは話す。

一方、グーグル・ブラジルの広報責任者ラファエル・コレアによると、同社が展開する法案反対への取り組みは「当社の懸念事項を広く周知させるためのマーケティングキャンペーン」であり、選挙に際して投票を呼びかける活動や、新型コロナウイルスのワクチン接種を推奨する活動など、同社が公共の利益を目的に実施してきたほかのキャンペーンと何ら変わりがないとのことだ。コレアに言わせれば、ネトをはじめとするユーザーに送られた警告メッセージは、法案が成立した場合に起こりうる「正当な」リスクを説明したものだという。

フェイクニュース法の採決は、直前になって多くの修正案が提示されたことを理由に、5月1日に無期延期となった。しかし、この法案を巡って世論を形成しようとするグーグルをはじめとする米テックプラットフォームのやり口に、ブラジルの専門家や政府関係者は懸念を募らせている。テック業界が新たな規制を回避しようと策略をめぐらせば、その分だけ業界に厳しい目が向けられることになるかもしれない。

きっかけとなった議会襲撃事件

一部のブラジル国民がソーシャルメディア規制の必要性を強く感じるようになったのには理由がある。それは23年1月8日に起きたブラジル議会の襲撃事件だ。22年秋の大統領選で、前大統領だった右派のジャイール・ボルソナーロは接戦で敗北。そして、左派政党である労働者党のルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ新大統領の任期が始まった年明け、選挙結果に不満をもつ数千人の前大統領支持者が、首都ブラジリアの議会や大統領府、最高裁判所を襲撃したのだ

21年1月に発生した米議会の議事堂襲撃事件と同様に、ブラジル議会襲撃を扇動したのもTelegramなどのSNSプラットフォームだった。とある非営利活動団体の調査で明らかになったところによると、大統領選の正当性を疑ういくつかの広告が、メタ・プラットフォームズの検閲システムを何度もすり抜けていた。「ルラ」という通称で知られるルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ新大統領は、これまでもプラットフォームをもっと積極的に規制する必要性があると公言してきた。

「これらのプラットフォームは対応策を準備していませんでした。しかしさらに問題なのは、ヘイトスピーチや選挙を巡る偽情報に対して、厳しく対応していく姿勢がないことです」と、アドボカシー団体Ekōのキャンペーン責任者フローラ・アルドゥイーニは語る。「ルラ政権は1月8日の議会襲撃事件で痛感しました。『議論を進めて、プラットフォームを効果的に規制しなければならない』と」

一方、米テック企業は、ブラジルの極右派ネットユーザーや議員たちと足並みを揃えて規制と戦おうとしている。グーグルやメタ・プラットフォームズなどのテック企業が右派議員と直接接触した証拠はないものの、「極右派は大手テックプラットフォームと手を組んでいるように見えます。議会では、極右派が何度もグーグルを擁護していましたから」とアルドゥイーニは話す。

「一部の議員たちからは、この法案はソーシャルメディアで聖書の引用を読み上げることすら禁止しているといった発言や、このままでは『真実省』が設立されて国民が検閲されるようになってしまうとの発言がありました」と、ブラジル共産党所属の下院議員オルランド・シルバ(バイーア州の州都サルバドール選出)は語る。YouTube上でも、極右派インフルエンサーたちが同様の表現を用いて、政府による検閲が始まると警告している。

急成長するブラジル市場の価値

グーグルやメタ・プラットフォームズなど、広告収入に頼るテック企業にとって、ブラジルは価値のある市場だ。グーグルはブラジル国内の検索トラフィックのうち97%近くを占有しているし、国民の70%にあたる1億5,200万人がソーシャルメディアのユーザーだ。ブラジルのデジタル広告市場の規模は、22年時点で年間260億ドル(およそ3兆6千億円)にのぼった。

「アフリカをのぞけば、ソーシャルメディア市場の成長スピードはブラジルがダントツ1位です」と語るのは、スタートアップ企業Spectrum Labsの信頼と安全性部門を率いるマシュー・ソエスだ。同社はオンラインプラットフォームと提携してコンテンツの検閲を行う企業であり、ソエスはTikTokの元モデレーターでもある。ブラジルはその影響力の大きさから、南米各国が規制を導入する際の見本となる可能性がある。ブラジルがどっちの方向に動こうが、「南米諸国がそれに準じることはほぼ間違いないでしょう」というのがソエスの考えだ。

ブラジル共産党所属の国会議員であるシルバによれば、大手テック企業が規制を巡る世論を操作しようとすることは、議会を服従させようとすることと同じだ。「わたしは他国のリーダーたちとともに大手テック企業の本社を訪れました。グーグルが経済界の主要アクターとして論争に加わるのは妥当だと考えています」とシルバは言う。「許されないのは、政治に介入したことをひた隠しにし、自社の仕組みとサービスは中立だという印象を与えつつ、その立場を悪用してブラジルの世論を左右することです」

シルバが最もあくどいと名指しするのは、メタ・プラットフォームズとアルファベットだ。しかし、それ以外のプラットフォームもPL2630に反対しているようで、一般市民もそれを認識している。Twitter上でブラジルのエンタメ情報やゴシップを発信しているChoqueiが指摘するところによると、TikTok上のとある動画がPL2630について話し合う内容だったために、ガイドライン違反とみなされて音声が削除された。しかし、TikTokブラジルのパブリックポリシー責任者フェルナンド・ガッロは、同社は法案を支持しているし、法案に関して公に議論することにも賛成だと話す。また、音声を削除したのは誤りであり、いまでは復元済で、PL2630を議論するコンテンツを削除するのは同社の方針ではないとしている。

マリエ・サンティーニは、リオデジャネイロ連邦大学でNetLabを創設し、そのディレクターを務めている人物だ。サンティーニは、法案反対派の企業が繰り広げるキャンペーンを追跡調査し、その結果を23年4月末に公表した。調査は、グーグルがスポティファイならびにメタ・プラットフォームズが運営するソーシャルプラットフォーム上の広告枠を購入していたことを明らかにした。「これらの企業は手を結んでいるように見えます。それを証明することはできませんが」とサンティーニは話す。「共謀しているとは思いますが、はっきりしたことはわかりません」

スポティファイは利用規約のなかで、同プラットフォームでは政治的な広告は流さないと述べているが、PL2630に関する広告が流れた原因についての公式な説明は差し控えた。一方、メタ・プラットフォームズの広報担当者は『WIRED』編集部に対し、法案を巡る同社の立場を表明した4月29日付けブログ記事を読むよう促したものの、同社が法案のことで議員と面会したかと問う質問には回答がなかった。

テック業界はPL2630の成立を防ぐことにひとまず成功したかもしれないが、その代償は大きい。本会議の日程はまだ再設定されていないものの、ブラジル最高裁判所は5月2日、 PL2630を廃案に追い込むために行った活動について証言するよう、グーグル、メタ・プラットフォームズ、スポティファイの経営陣に出廷を求めたことを明らかにした。

PL2630を巡る戦いは終わっていない。暗号化メッセージアプリTelegramは5月9日、この法案は「言論の自由に終止符を打ち」、ブラジル政府に「検閲の権限を与える」ものだと書かれたメッセージをブラジルのユーザーに向けて送信した。そこには、地元の議員に直接訴えることをユーザーに促すリンクも含まれていた。Telegramにはこのところ厳しい目が向けられている。同アプリを使っていたネオナチ集団に関するデータの提出を拒否したことで、ブラジル連邦裁判所にサービスの一時停止を命じられていたからだ。Telegramにコメントを求めたが、返事は得られなかった。

テック業界は、ブラジルにも境界線を引く権利があることを理解しなくてはならないと、アドボカシー団体Ekōのアルドゥイーニは語る。「この種の規制は、世界中ですでに導入が始まっています。具体的に言えば欧州です。ブラジルの法案は、欧州連合(EU)のデジタルサービス法(DSA)とほぼ一致しています」と説明し、テックプラットフォームに対するEUの全面規制に言及した。「世界には優れた規制の前例がすでに存在しています。ブラジルにも同じような規制があっていいはずなのです」

WIRED US /Translation by Yasuko Endo/Edit by Ryota Susaki)

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