ニューラリンクの動物実験でサル死亡、イーロン・マスクの主張と異なる記録の中身とは

ニューラリンクの動物実験でサルが死亡した原因は脳インプラントではないと、イーロン・マスクは発言している。ところが、医療倫理団体はマスクの主張を調査するよう米当局に要請しており、『WIRED』の独自取材で彼の主張とは異なる事実が浮かび上がった。
ニューラリンクの動物実験でサル死亡、イーロン・マスクの主張と異なる記録の中身とは
ANJALI NAIR; GETTY IMAGES; UC-DAVIS/PRCM

脳とコンピューターをつなぐブレイン・コンピューター・インターフェイス(BCI)を開発するニューラリンク(Neuralink)での研究に使用されたサルの死に関する最近のマスクの発言に対し、証券詐欺の可能性があるという申し立てがなされている。

ニューラリンクがBCI技術の実験中に死亡したサルたちは末期の病気を患っており、同社のインプラントを使用した結果として死亡したわけではない、というのがマスクの主張だ。これを受け、医療の倫理を追求する非営利団体が米証券取引委員会(SEC)の高官に宛てた書簡で、マスクの発言を調査するよう求めたのは9月20日(米国時間)のことである。同団体の主張は、インプラント手術に起因する合併症が死につながったとする獣医学的な記録に基づくものだ。

マスクがソーシャルメディアのX(旧Twitter)のユーザーへの返信で、サルたちの死を認めたのは9月10日だ。いずれのケースも「ニューラリンクのインプラントを使用した結果」であることを否定し、研究者らは「死期が近い」個体を慎重に選んでいたとマスクは語った。

また、これに関連してマスクはニューラリンクの動物実験は「探索的なもの」ではなく、確かな科学的仮説を裏付けるために実施するものだと昨秋のプレゼンテーションで説明している。「非常に慎重に進めている」とマスクは話していたのである。

ところが、『WIRED』US版が検証した公的記録と、ニューラリンクの元従業員およびカリフォルニア大学デービス校にあるカリフォルニア国立霊長類研究センター(CNPRC)の現職の研究者とのインタビューを通じて、ニューラリンクの動物実験の全貌はマスクの主張とはまったく異なるものであることが浮かび上がった。

調査資料には、昨年初めて公開された獣医学的な記録も含まれる。これにはニューラリンクの実験対象となった最大で12匹のサルが経験した恐ろしい苦痛の描写が含まれ、どのサルも安楽死させていたことが記されていた。この記録はニューラリンクについてのマスクの発言に対するSECの潜在的な調査の根拠となる可能性がある。

ニューラリンクは人間用の初の商用的な脳とコンピューターをつなぐインターフェースを実現するという目標に向かって進んでいる。だが、その道中で米連邦政府の機関による複数の調査に直面しているのだ。

マスクの発言の真偽

SECへの書簡は、生体動物実験の廃止を目指す非営利団体の「Physicians Committee for Responsible Medicine (PCRM)」が送ったものである。サルの死についてのマスクの発言は誤解を招くものであり、マスク自身も「それが偽りであることを知っていた」とPCRMは主張している。またニューラリンクの投資家に対しては、ニューラリンクで開発されている製品の安全性とその「市場性」について「真実を知る権利がある」と同団体は伝えている。

「ニューラリンクは安全なデバイスを提供すると主張しており、それを投資すべき理由に挙げています」と、PCRMで動物実験の代替手段の研究を主導しているライアン・マークリーは語る。「マスクの嘘は、これらの探索的研究で実際に起きたことをごまかす手段であるとわたしたちは見ています」

イーロン・マスクがXに投稿したニューラリンクのサルに関する投稿は76万回以上閲覧されている。SECが18年にテスラに関連する証券詐欺でマスクを起訴した際、当局はマスクのXのアカウントが投資家の情報源になっていると主張していたことをPCRMは書簡で指摘した。SECはニューラリンクを含む非上場会社が提供する証券を監督する立場にある。最近の提出書類によると、同社は外部の投資家から2億8000万ドル(約416億7,000万円)以上を調達しているのだ

SECに問い合わせたが、PCRMの書簡に対するコメントは得られなかった。ニューラリンクからも、マスクの発言やPCRMの申し立てについての具体的な質問についての回答は得られていない。

動物実験の凄惨な記録

報道によると、ニューラリンクは17年3月に創業している。それから1年と経たずして、開発中の脳に埋め込むチップを検証するために同社は多くの動物を取得した。

17年9月から20年末まで、同社はカリフォルニア国立霊長類研究センター(CNPRC)の職員の協力の下、研究を進めている。CNPRCはカリフォルニア大学デービス校にある、米連邦政府が出資している生物学研究のための施設だ。マスクはニューラリンクで義肢を刷新し、人の脳が人工的なデバイス、さらには脳同士でコミュニケーションをとれるインプラントを開発することを目指している。

PCRMが引用したカリフォルニア大学デービス校の獣医学的な記録には(『WIRED』US版もカリフォルニア州の公的文書の開示請求を通じて記録を取得した)、外科的手術でサルの脳に電極を移植した後に発生した一連の合併症の詳細が記されていた。この合併症には血性下痢 、部分的な麻痺、そして「脳の腫れ」と一般的に呼ばれる脳浮腫が含まれる。

例えば、19年12月に実施されたインプラントの「生存性」を判定する実験的な手術では、デバイスの内部の部品が移植中に「外れてしまった」と記されている。手術後、研究者らは一晩中、カリフォルニア大学デービス校が「アニマル20」と識別するサルを観察した。記録によると、サルが手術した部位を掻いたことで、そこから血性の分泌物が出た。また、コネクターを引っ張ったことでデバイスの一部が取れたと記されている

この問題を解消する手術が翌日に実施されたが、真菌および細菌の感染が発生していた。獣医学的な記録には、いずれの感染もおそらく解消されないとあり、その一因として感染部位をインプラントが覆っていることが挙げられていた。このサルは20年1月6日に安楽死させられている。

別の獣医学的な記録には、19年3月に死亡するまでの数カ月間における「アニマル15」と識別される雌のサルの状態が詳細に記されていた。このサルはインプラントの手術の数日後、明確な理由もなく頭を床に押し付け始めた。これは痛みや感染の症状であると記録には書かれている。職員の観察によると、このサルは血が出るまでインプラントを引っ張ったり掻いたりして不快に感じていたものの、ケージの床に寝転んで同室のサルと手をつないで過ごす時間も多かった。

しかし、「アニマル15」は次第に体をうまく動かせなくなり、研究所の職員を見ると自分で制御できないほど震え始めた。サルの状態は数カ月かけて悪化し、最終的には職員によって安楽死させている。死後に解剖した際の報告書によると、サルの脳内には出血が見られ、ニューラリンクのインプラントによって大脳皮質が「局所的に損壊していた」。

さらに、別のサル「アニマル22」は頭部のインプラントが緩み、その後20年3月に安楽死させている。死後に解剖した際の報告書には、インプラントを頭蓋骨に固定する2本のネジが「簡単に取り外せる」ほど緩んでいたと記されている。「アニマル22」の解剖時の報告書には明確に、「この問題は純粋に機械的なものであり、感染により悪化したものではない」と書かれていた。これが事実であれば、ニューラリンクのチップのせいでサルが死んだわけではないというマスクの主張と真っ向から対立する。

「死期が近い」サルではなかったという証言

マスクがXに投稿したニューラリンクの動物実験の対象は「死期が近い」とする内容を同社の元従業員に見せた。するとこの従業員は、そのような主張は「ばかげている」とし、「まったくのでっち上げ」に近いと話した。「手術を施すまでに1年ほどサルたちを管理していました」と元従業員は説明する(元従業員は報復を恐れて匿名での情報提供を希望している)。この実験では最大で1年の行動訓練が必要だったという。実験の対象は死に近いサルではなかったということだ。

CNPRCで現在研究を進めている博士候補生もニューラリンクのサルの基本的な健康状態についてのマスクの主張に疑問を呈している(この博士候補生もキャリア上の報復を恐れて匿名での情報提供を希望した)。「かなり若いサルを使っていました」と言う。「そうしたサルがまだ成体になっていないにも関わらず、何らかの理由で末期的な状態であったとは考えづらいです」

「イーロン・マスクの発言についてコメントすることはありません」とカリフォルニア大学デービス校の広報担当者は話している。

人間を対象とした臨床試験をまもなく開始

もしSECがマスクの発言を調査することになれば、これはニューラリンクの動物実験に関連した米連邦政府による少なくとも3つ目の調査となる。ロイターは22年12月、米農務省の監察総監室がニューラリンクの一部の動物実験の対象の扱いを調査していると報じた。また米国運輸省は23年2月、ニューラリンクによる抗生物質の耐性をもつ病原体の輸送の安全性に不備があるという申し立てに基づいて調査をしている。

これらの調査は、米食品医薬品局(FDA)が22年初頭にニューラリンクの人間を対象とする臨床試験の承認申請を却下した後に実施されたものだ。ロイターの報道によると、FDAが主に懸念していた点はデバイスのリチウムバッテリーに関する問題、およびインプラントのワイヤーが脳のほかの部位に移動する可能性についてである。その後、FDAは23年5月に同社に対して人間を対象とした臨床試験の実施を承認している。

ニューラリンクは、人間を対象とした臨床試験をまもなく開始する見通しだ。独立した審査委員会から、麻痺を患う人が考えるだけでコンピュータのキーボードやカーソルを操作できるようにする研究の承認を得たことを、同社は9月19日に発表している

WIRED US/Translation by Nozomi Okuma)

※『WIRED』によるブレイン・コンピューター・インターフェイス(BCI)の関連記事はこちら


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