空気の流れで演算する布製の“コンピューター”、米国の研究者が開発

空気の流れで演算するというシンプルな布製の“コンピューター”を、米国の研究チームが開発した。その最初の応用例は、ボタンを押すだけで電力いらずでフードを上げ下ろしできるジャケットだ。
computer interfaced rain jacket
Courtesy of Dan Preston

ビデオ通話にログインしてきたダン・プレストンは、平凡なデザインのボタン留めのシャツを着こなしている。ごく普通の服装を好む人物のようだが、ライス大学の機械工学者である彼が語ろうとしているのは、独創的かつ斬新なファッションデザインの話なのだ。

プレストンが率いる研究チームが開発した光沢のある黒いジャケットは、まるでコンピューターのように論理演算を実行する。ところが、そこに電子装置は一切使われていないのだという。

具体的に説明すると、これはボタンを押すだけでフードを上げ下ろしできるジャケットで、フードの状態を記憶するために容量1ビットの単純な記憶装置が内蔵されている。つまりプレストンの言葉を借りれば、これは「非電子かつ高耐久型の演算装置を内蔵した布製デバイス」なのだ。

この設計の奇抜さについて強調しておかねばならないだろう。このフード付きジャケットには、オープンソースの小型コンピューターボードとして知られる「Arduino」をはじめ、いかなる半導体も使われていない。バッテリーも不要だ。

プレストンたちのチームは、まず市販のナイロンタフタ生地をカットして接着剤で貼り合わせ、空気で膨らむパウチをつくった。大きさは名刺の半分ほどだ。そのパウチに細く柔らかいチューブをつなぎ、ジャケットに埋め込む。

ジャケットのボタンを押すと、小さな容器に収められた二酸化炭素がパウチに送られる。パウチの収縮に応じてフードに仕込まれたエアバッグが膨らんだり縮んだりすることで、フードを上げ下げできる仕組みだ。

Courtesy of Dan Preston

電子の代わりに空気で制御

ジャケットの外見はコンピューターというよりも、自転車のタイヤを思わせる。だが、そこに取り付けられた空気入りパウチは電子式のトランジスターに似た働きをしているのだと、プレストンは言う。

トランジスターは電子回路のなかで電圧に応じて電子の流れ、つまり電流を制御する。「このジャケットでは電圧を加える代わりにボタンを押し、電流の代わりに空気を流すわけです」と、プレストンは説明する。

プレストンたちのチームは、いわば「空気ベースのNOTゲート」を完成させたのだ。電子回路で高電圧に相当する「1」という数字を「NOTゲート」に入力すると、低電圧を意味する「0」に変換される。このフード付きジャケットの場合、流れ込んでくる高圧の空気がパウチを通過することで低圧に変換され、逆に低圧の空気は高圧に変換される。

この技術の起源は、冷戦時代の防衛作戦にさかのぼる。電磁パルスを用いた敵軍による妨害活動を防ぐため、空気を使う装置がこの時代に開発されたのだ。

「最先端のウェアラブル技術をさらに越えようとする研究者たちの活動は、本当に素晴らしいと思います」と、ウィスコンシン大学マディソン校の機械工学者のマイケル・ウェナーは言う。ウェナーはプレストンらの研究には関与していない。

布を使って「空気圧ロジック」とも呼ばれる空気ベースの論理演算を駆使するプレストンのチームの発想は、かなり斬新だ。FitbitやApple Watchのようなウェアラブル端末は、ほとんどが「既存のデバイスを少しずつ改良したものにすぎません」と、ウェナーは言う。

このジャケットは、ゴムやシリコーン、布のように柔軟性に富んだ素材でつくられたプログラミング可能な自動機械を意味する“ソフトロボット”のカテゴリーに分類される。人間との共同作業に適したソフトロボットの開発に乗り出す研究者は、ここ数年で増えている。総じてソフトロボットの動きは精度において金属製ロボットに劣るが、触れた感じが柔らかい。

「作業中に金属製ロボットに激突されたら、運がよくても病院行きは免れないでしょうね」と、ウェナーは言う。「ところがソフトロボット、つまりこの程度の大きさのエアバッグであれば、どこかに当たったとしても笑って済ませられるはずです」

Courtesy Dan Preston

要するにソフトロボットは、より簡単かつ安全に人間の日常的な動きに順応できるはずなのだ。プレストンの装置は布製なので、この“インテリジェント・ジャケット”は電子機器や固い部品だらけのコートに比べ、着心地が普通の上着に近い。

「たいていの人はすぐに慣れてしまいますから、何か変なものを着ている感覚はないはずです」と、アリゾナ州立大学の機械工学者であるチャン・ウェンロンは言う。チャンはこの研究には関与していない。

それに布製のコンピューターは、半導体でできたコンピューターよりしなやかだ。

このジャケットの堅牢性をテストするために、研究チームは布製パウチを組み合わせてつくった部品をメッシュの袋に入れて20回ほど洗濯機にかけたという。ほかにもトヨタのピックアップトラック「タコマ」の2002年モデルに何度もひかせるなど、プレストンが「普通の服ならよほどのことがなければ遭遇しない」ような状況を想定した実験を繰り返した。

そしてこれらのテスト後も、パウチは変わらず機能したという。Apple Watchで同じことをしたらどうなるか想像してみてほしい。

補助具としても広がる用途

このジャケットは、主に布を使った演算装置の実現可能性を示すためにつくられた。しかし、フードの上げ下ろしが困難な障害者の補助具としても使えるのではないかと、研究チームは考えている。

ジャケットのほかにも研究チームは、肩の関節部分で腕の上げ下ろしを助けるシャツも開発した。シャツの胴の部分に取り付けたパウチから空気を送り、脇の下の蛇腹式の袋を膨らませる仕組みだ。「米国では人口の4分の1もの人々が、10ポンド(約4.5kg)の荷物の上げ下ろしに何らかの困難を感じているとの報告があります」と、プレストンは言う。

Courtesy of Dan Preston

ジャケットの試作品をつくる際に、研究チームは材料として長さ100mのナイロン生地を購入した。布の購入量としてはかなり多いように思われるかもしれないが、スタンフォード大学の材料科学者でプレストンのチームの一員でもあるヴァネッサ・サンチェスによると、たいていの業者に最低でも一度に1kmは購入してほしいと言われるという。少量の布を必要とする研究者たちの発注に慣れていないのだ。

「よく『注文量が少なすぎるよ』と文句を言われるんです」と、サンチェスは言う。「これは切実な問題で、研究がかなりうまくいったとしても、サンプルはせいぜい数カ月おきにしかつくれません。そのたびに何度も業者に電話して頼み込まなければならないのです」

それでも研究チームは、将来的に活動の規模を広げたいと考えている。プレストンによると、一般の消費者にもこの技術を利用してもらえるよう会社設立の準備が進んでいるという。また、臨床試験で衣類としての安全性を確認し、医療現場でも活用できるようにしたいと彼は語る。

アクションを“自動化”できる服が実現する?

いまのところ、このジャケットが実行できるのは単純な論理演算のみだ。しかし、プレストンのチームはこれまでにさまざまなコンポーネントを開発しており、将来的にはそれらを組み合わせてさらに複雑なタスクを実行できる装置を完成させたいと考えている。

例えば、今後つくられるジャケットには温度センサーが搭載され、その測定値をもとに何らかのアクションを実行できるようになるかもしれない。「あらゆる機能においてコンピューターに匹敵するものをつくれるはずです」と、プレストンは言う。「確かにもう少し時間はかかるかもしれませんが、理論上は可能なのです」

プレストンによると、現段階で彼らのジャケットは1秒間に1つの論理演算しかできないが、一般的な家庭用コンピューターは1秒に10億を超える演算を実行している。実際、このジャケットは短いコマンド列しか実行できない。いくつかの工学的な課題に加えて演算速度の問題があるので、こうした布ベースのロボット機器を商業ベースに乗せるにはまだ5~10年はかかるだろうと、アリゾナ州立大学のチャンは言う。

将来的にプレストンのチームは、二酸化炭素入り容器の使用をやめたいと考えている。ソーダメーカーの「ソーダストリーム」のようにガスを補充する必要があり、不便だからだ。代わりに周りの空気を使ってフードを膨らませたいと考えているという。

実際に別のプロジェクトとして、すでに発泡素材でつくられた靴の中敷きの開発が進んでいる。靴を履いて歩くと、腰に装着した袋に1歩ごとに空気が送られる仕組みだ。これと同じものをジャケットに取り入れる予定だという。

プレストンは着る人の気持ちを感知して要求に応える衣服についても構想中だという。例えば、着ている人が腕を上げようとするタイミングをセンサーが検知し、ボタンを押したりしなくてもどこかが膨らむような服が今後は登場するかもしれない。

「この論理演算システムを活用することで、周囲の環境や現在の状況によってとるべき行動をウェアラブルロボットに選ばせることが可能になるはずです」と、プレストンは言う。こうしたファッションの人気が、ますます膨らんでいくことを期待したい。

WIRED US/Translation by Mitsuko Saeki/Edit by Daisuke Takimoto)

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