ハエの「遺伝子編集」によって農作物の被害を減らそうとする試み

米国の農家が、食べごろの果物を好むハエの被害に苦しんでいる。駆除するには、害虫も益虫も無差別に殺してしまう農薬を使うのが従来の方法だが、「CRISPR」を使った遺伝子編集でハエの数を減らすという新たな方法の模索が始まっている。
Drosophila suzukii a fruit fly
Photograph: Tomasz Klejdysz/Getty Images

ミバエの一種であるオウトウショウジョウバエが米国で初めて見つかったのは2008年のことだ。果物を運ぶ東南アジアからの貨物船に便乗し、米国本土に上陸したものと思われる。カリフォルニア州のラズベリー畑で最初に発見されて以来、このハエはほかの州にも急速に勢力を広げていった。

腐った食べ物に群がる一般的なミバエとは異なり、オウトウショウジョウバエは食べごろに熟れた果物を好む。このハエのメスはのこぎりの歯に似た形の産卵管を使って果物の皮を破り、果肉に卵を産みつける。卵からかえった幼虫が外に飛び出す際に、果物は台無しにされてしまうのだ。

「CRISPR」で害虫の繁殖を阻止

この害虫が作物にもたらす被害の総額は毎年数億ドルに上る。ハエを駆除する手段として、生産者たちは害虫も益虫も無差別に殺してしまう農薬に頼らざるを得ない。しかし、化学薬品をまき散らす方法に代わる──あるいは少なくともその必要性を最小限に抑える──新たな手段の開発に取り組んでいる科学者たちがいる。

そうした手段のひとつとして、米農務省(USDA)の研究者チームは23年5月、ある実験をオレゴン州の温室で開始した。人工的に生殖能力を失わせたオスのハエを使う方法だ。実験に使われる「遺伝子編集バエ」は、ミズーリ州セントルイスを本拠地とするバイオテクノロジー企業のAgrageneが、野生のハエの増殖を抑える目的で開発したものだ。

このハエを自然環境に放し、去勢したオスを野生のメスと交尾させることで、繁殖を食い止めようという発想である。「環境をさほど傷つけずに、元気な果物や野菜を提供できる技術だと考えています」と、AgrageneのCEOであるブライアン・ウィザビーは言う。

Agrageneの科学者チームはDNA編集ツールの「CRISPR」を使い、ハエの胚に含まれる2つの重要な遺伝子を不活性化した。それぞれオスの生殖とメスの発育に不可欠な遺伝子である。結果的に、生殖能力を失ったオスのみが卵からかえり、メスはすべて死んだ。「実際に作物に害を与えるのはメスですから、群れにメスが増えては困るわけです」とAgrageneの研究開発部長を務めるステファニー・ガメスは言う。

ただし、遺伝子に編集を加えたハエを屋外に放すには、まず条件を満たした温室内でテストを行う必要がある。AgrageneはUSDAの承認を得たうえで、米政府の研究者グループと共同で実験を行っている。オスの「遺伝子編集バエ」を投入することで、温室内の「未編集バエ」の数をどれだけ減らせるか、そこで栽培されているブルーベリーへの影響をどの程度防げるかを調べているのだ。この実験は2~3カ月間続けられる予定だという。

Agrageneは現在、24年中に屋外での実験を開始できるようUSDAに申請中だ。最終的にはオスの去勢バエを、成虫になる直前のサナギの状態で、小型の段ボール箱に詰めて販売したいと考えている。この段階のサナギは繭の中でじっとしているので、農園への輸送も容易だ。Agrageneのウィザービーによると、ハエの成虫を生きた状態で運んでみたこともあったが、途中で何匹も死んでしまったという。段ボール箱を畑に置いておけば、羽化した成虫がメスを求めて箱から飛び出すはずだ。

ハエの繁殖を抑えるには野生のハエ1匹に対しオスの去勢バエが4~5匹の割合で必要になるため、被害の深刻さによって畑に放す去勢バエの数が決まるとウィザービーは考えている。放出されたオスのハエは生殖能力を失っているので、メスと交尾しても卵は生まれない。オウトウショウジョウバエの寿命はわずか数週間なので、第1世代が死んだ後も個体数を減らし続けるには、何度も遺伝子編集バエを投入しなければならない。ウィザービーによると、Agrageneは温室での実験では週に1度の投入から始める予定だが、屋外の畑では短期間に何度も放出する必要があるかもしれないという。

「時間をかけて十分な数のオスを放出できれば、害虫の駆除は可能です」と、細胞生物学と発生生物学を専門とするカリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)教授のオマール・アクバリは言う。アクバリはハエの遺伝子編集技術を最初に開発し、Agrageneに同技術の使用を許可した研究者である。

進む「遺伝子ドライブ」の研究

害虫駆除の手段として不妊化技術を用いる発想は以前からあった。米国政府は、家畜に寄生してその肉を食べるラセンウジバエの幼虫を駆除する目的で、この技術を1950年から利用している。去勢したオスのラセンンウジバエを放してメスと交尾させると、このメスの産む卵は孵化しないため、北米や中米地区では、この方法でハエを退治してきた。

ただし、ラセンウジバエのオスは遺伝子操作ではなく、放射線を当てて去勢する。この方法の難点は、放射線の濃度が高すぎるとハエの生殖能力そのものが損なわれてしまうので、確実に交尾させるには野生のハエ1匹に対し去勢バエを数十匹単位で何度も放す必要があることだ。

それに対し、ノースカロライナ州立大学(NCSU)の研究者チームは、何度も放出を繰り返さずに済む別の駆除方法の開発に取り組んでいる。NCSUでは、「遺伝子ドライブ」と呼ばれる技術を使ってメスの繁殖を防ぐ研究が行われている。遺伝子ドライブとは、遺伝の法則に逆らって特定の遺伝形質を優先的に群れ全体に広める、つまり「ドライブ(促進)」するよう開発された技術である。

6月に発表された論文のなかで、昆虫学者のマックス・スコットらの研究チームは、CRISPRを使ってメスの性的発育に必要な「性決定遺伝子(dsx)領域」を不活性化する技術について説明している。同チームは、CRISPR技術を用いてハエの胚に遺伝子編集物質を注入するとともに、どのハエに望ましい変化が現れたかを確認できるよう、蛍光タンパク質も注入したという。

このハエたちが十分に成長したところで、正常なdsxをもつ野生のハエと交尾させた。通常は親の遺伝子に加えられた変化を子が受け継ぐ確率は50%ほどとされるが、この遺伝子ドライブ実験においてはハエの子の94~99%が変異を受け継いでいた。変異遺伝子を受け継いだメスは生まれつき不妊で卵を産めなかった。一方、オスの子は同様の変異を受け継いでいても生殖力に異常はなかった。

Agrageneの手法とは異なり、こちらのオスは繁殖を続け、変異した形質を次の世代に伝え続ける。この方法なら、継続的に遺伝子を拡散して未来の世代のハエたちを退治できるうえ、ハエを追加投入する必要もない。

「ハエの増殖を抑えようとするなら、メスの産卵に必要な遺伝子を狙い撃ちにするべきでしょう。次の世代を産むのはメスなのですから」と研究チームのスコットは言う。

研究室のケージで飼育されているハエの数を、遺伝子ドライブ技術によってどれだけ減らせるか、数理モデルを使って予測したところ、野生のハエ4匹に対し変異バエを1匹放せば、8~10世代後には全体数を大幅に減らせることがわかった。ハエの寿命は1世代につき2週間ほどなので、研究室のハエを絶滅させるには20週間程度を要することになる。同チームは現在、実際にケージに入れた遺伝子編集バエを使い、遺伝子ドライブによってハエの数がモデル予測通りに減っていくかを確かめる実験を行っている。

病気を媒介する蚊の増殖を抑える手段として遺伝子ドライブの開発を手がける研究者たちはほかにもいるが、そうした蚊が実際に屋外に放出された例はまだない。「この方法は多くのリスクを伴います。いったん蚊を放してしまうと、いかなる調整も不可能だからです」と、UCSDの研究室で同じようにオウトウショウジョウバエの遺伝子ドライブの研究に取り組むアクバルは言う。リスクのひとつとして挙げられるのは、標的となる種が生物学的に近い種と交配した場合に、遺伝子ドライブの効果がほかの在来種や希少種に及んでしまう「スピルオーバー」が発生する可能性だ。

また、遺伝子ドライブが機能を停止する恐れもある。CRISPRはゲノムの特定の領域を認識することで機能する。野生のハエであっても、この領域に自然変異を起こしていれば、遺伝子ドライブの影響を免れる可能性がある。「研究室で扱うハエの群れだけをみると、遺伝的変異は少ないはずです。ところが、野外に出れば膨大な数のハエを相手にすることになります。そこでは遺伝的変異も頻繁に発生するはずです」と昆虫学者のスコットは言う。

ミシガン州立大学で害虫の管理について研究する昆虫学者のハンナ・バラックは、遺伝子ドライブの研究には将来性があるものの、農業従事者が実際にこの技術を導入するにはかなり時間がかかるだろうと語る。米国政府は遺伝子ドライブ技術に関する規制を明確に示しておらず、科学者たちも、この分野の研究は慎重に進めるべきだと口をそろえる。それでもバラックは、この技術には一定の強みがあると見ている。「CRISPR技術は、力ずくで群れを全滅させようとする代わりに、少数のハエを放して、群れ全体に影響を与える遺伝子をいきわたらせようとしている点に期待がもてます」と彼女は言う。

去勢したオスを放出する方法には大量のハエが必要になるため、個々の農家では実行が難しいかもしれないとバラックは言う。それより、遺伝子編集バエの反復的な放出は、大規模な生産者団体や政府が行うべきではないかと彼女は考えている。

周辺環境への影響でリスクを考慮

どちらの方法を用いるにしても、気がかりなのはハエの根絶が周辺に住むほかの生き物にどう影響するかという点だ。例えば、こうしたハエを駆除することで、ほかの動物の食料源を奪ったり、別の有害種の繁殖を許したりすることにはならないだろうか。

オウトウショウジョウバエはそもそも侵略的外来種であり、米国への上陸はごく最近のことなので、完全に駆除しても生態系への影響は最小限で済むはずだとバラックは考えている。「リスクとメリットを比較しなければいけません」と彼女は言う。「オウトウショウジョウバエの大繁殖を阻止するには、おそらく小さいでしょうが、環境への影響もあるでしょう。一方で、外来種から作物を守って農場運営を維持するには、農薬の使用を増やさざるを得ません。このふたつのリスクをてんびんにかけるわけです」

WIRED US/Translation by Mitsuko Saeki/Edit by Mamiko Nakano)

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