グーグルの発明が人知れず公開されているサイトは「先行技術」を守れるか

無料サイト「TDCommons」は特許を申請するほどではない発明を守るためにグーグルが運営している。しかし、防衛公開を目的としているにもかかわらず、米特許商標庁の目にとまりにくいなどの課題もある。
Collage of a lightbulb a patent drawing and a Google sign
Photo-illustration: Jacqui VanLiew; Getty Images

グーグルの3人の開発者が、ビデオ会議でのプレゼンテーションで口ごもってしまう人を助ける未来的な方法を考案したのはつい最近のことだ。発表者の脈が上がったり、「えー」と言う回数が多くなっていることをアルゴリズムが検出すると、その人の声を模倣する生成AIのボットが代わりにプレゼンを続けてくれるというものだ。

しかし、この新しい機能が同社の大きなイベントや学術誌で発表されることはなかった。代わりに、グーグルが密かに所有し、9年間出資してきたTDCommons.orgというあまり知られていない無料のウェブサイトに掲載された1,500ワードの記事で紹介されている

TDCommonsに掲載されているアイデアへのリンクを2023年に『WIRED』が受け取り、それに興味をもつまで、グーグルがこのウェブサイトの存在についてメディアに話したことはこれまでなかった。

発明を掲載するTDCommons

TDCommonsのサイトには、質の高い睡眠のためにスマートホーム関連のデバイスを連携させるグーグルの最新の発明や、モバイル端末での検索結果のプライバシーを保護する方法、AIを使って写真を分析し、ユーザーの活動を要約する方法などが掲載されている。グーグル以外の企業の投稿もある。HPシスコVISAを含む約150の組織が発明をこのサイトに投稿しているのだ。

このウェブサイトは、数万ドルをかけて特許を出願する価値はないものの、潜在的に有益なアイデアを掲載するためにある。グーグルなどの企業は、技術的な詳細を公開し「先行技術」として確立することで、ほかの人が類似の発明で特許を取得することを阻止し、将来的な紛争を回避しようとしているのだ。

グーグルはTDCommonsに投稿された発明1件につき1,000ドルのボーナスを、それを発案した従業員に与えている。これは特許の出願者に提供している報酬の10分の1だ。とはいえ、この方法でなら、従業員は通常なら口外できない自分の仕事について自慢できる共有可能なリンクをすぐに手に入れることができる。

シンプルなサイト

テック業界では競合の活動を妨害したり、現金を引き出したりするのに特許が用いられている。TDCommonsはそんな業界で自由なイノベーションを育む環境を確保するために、グーグルがこれまで長期的かつ声高に進めてきた数々の取り組みに付随するものだ。サイトは地味で目立たないかもしれないが、必要な役割は十分に果たしている。

「防衛公開(defensive publications / dpub)の魅力は、それを掲載するウェブサイトがシンプルでもいい点です」とグーグルの特許ポリシーの責任者であるローラ・シェリダンは話す。「日付を明確にする必要があります。そして、掲載文書を閲覧できるようにする必要があります。それ以上に何かする必要はほとんどありません」

しかし、この実験的なサイトは普及において政府の官僚主義に阻まれ、発明をより多く掲載している他サービスとの競争で苦戦している。まだ改善できる部分はあると、シェリダンも認めている。TDCommonsが特異ではなく重要なサイトとして扱われるようになるためには、より多くの発明が掲載されるようにならなければならない。

とはいえ、このサイトは一般の人が企業の内部で起きている技術的な創造性について知る機会を拡げ、そうした活動により多くのリソースが投じられるようにする独自の可能性を示している。

防衛公開のオンライン化

TDCommonsの基となっている戦略の起源は、1950年代にまでさかのぼる。当時、多くの発明品で有名だったIBM、そして後にXeroxは公開技報と呼ばれる情報を掲載した冊子を発行し始めた。そこに掲載されている発明が自社のものであると主張し、「先行技術」として確立させるために、企業はこの冊子を特許庁に送っていたのだ。米特許商標庁(USPTO)によると、23年9月末までの12カ月の間に特許申請の約84%が却下されたが、その要因の少なくとも一部は、先行技術によるものだった。

00年代初頭のインターネットブームのなか、起業家たちはこうした防衛公開をオンラインデータベースにすることに可能性を見出した。IP.comは21万5,000件の発明を掲載し、arXiv.orgを含む外部サイトの数百万の文書を検索できる機能を提供しており、この分野の筆頭企業と見なされている。

ただし、TDCommonsとは異なり、IP.comへの発明の投稿や閲覧は無料ではない。IP.comに発明を掲載するには395ドル(最大25ページ)かかり、閲覧者は文書のダウンロード1件につき40ドル、無制限の利用には月額49ドルを支払う必要がある。IP.comによると、USPTOはIP.comの最大の顧客で、同庁に在籍する9,200人の審査官と監督者の大半が有料会員となっている。

グーグルは15年1月にTDCommonsを立ち上げるまで、特許を取得する価値を長らく疑問視していた。重要な革新性がなく、グーグルとしては特許を取得するに値しないと考えるものも多かったのだ。しかし、グーグルがハードウェアに深く関わり、特許侵害の訴訟から自社を守るために費用がかかるようになると、同社はより多くの発明に対して特許を取得し始めた。そして自社だけでなく、ほかの発明家をより適切に守れる方法を模索し始めたのだ。

「本来ならば付与されるべきではない特許が付与されてしまう問題については、誰もが気にしています」とシェリダンは話す。そこで、グーグルの特許関連の弁護士であるラジュ・ゴヤルは投稿と閲覧が無料でできる防衛公開のサイトをつくることを思いついたのだ。

普及の課題

しかし、このサイトはあまり普及していない。グーグルは過去2年間で公表しようとした発明の約15%において、特許を申請する代わりにTDCommonsに掲載している。特許は通常、申請から一般公開まで18カ月もかかるのだ。

サイトの設立以来、合計6,700件の発明が投稿されている。しかし、これはニューヨークに拠点を置く非公開企業のIP.comが1年に平均して公開している件数よりも少ない。スマートフォンのセンサーで地震を検出し警告する機能など、TDCommonsにグーグルが公開した発明には実際の製品に使われているものもある。

このウェブサイトは、グーグルで発明されたものを誰でも閲覧できるという魅力があるが、グーグルにとって有益なものになるかどうかはわからない。同社はTDCommonsに発明を掲載することで、類似技術の特許の取得を阻止できたかどうかを細かく追跡していない。それに、この取り組みによってグーグルに対する訴訟を阻止できたかどうかを測ることも難しい。「改善の余地はあります」とシェリダンは話す。チューリッヒの法律事務所E.Blum & Coのシニア特許弁護士であるカート・サッターが欧州の特許記録をざっと調べたところ、IP.comが引用されていた件数はすべての1%未満で、TDCommonsはそれよりもはるかに少なかったという。

IP.comとの差

防衛公開が他者による類似技術の特許の取得を効果的に阻むには、先行技術を探しているUSPTOの審査官の目に止まる必要がある。特定のサイトが検索結果のどれだけ上位に表示されるかを推定するツールによると、TDCommonsの評価は低い。つまり、審査官がウェブを検索しても簡単には見つけられないということだ。また、グーグルがUSPTOに何年も前から掲載を求めているものの、IP.comを含む数十の情報元が一覧化されているUSPTO公式の調査資料にTDCommonsは含まれていない。グーグルもUSPTOもその理由について明確には説明できなかった。

より多くの企業がTDCommonsを利用するようになれば、その重要性は増すかもしれない。しかし、必読になっていないウェブサイトに発明を投稿したい企業は少ないと、グーグルのシェリダンは話す。ほかのテック企業に話を訊いたところ、現時点で防衛公開の活用は特許戦略の主軸ではないと話していた。

データサービス企業のNetAppやIBMからスピンオフしたKyndrylなどの顧客は優れた検索機能、暗号化技術で署名されたタイムスタンプによる公開日時の証明、編集サービス、そしてUSPTOがよく利用している点に魅力を感じて、自社の発明を公開するためにIP.comに課金していると、IP.comの製品管理ディレクターであるジム・ダーキンは話す。

またサイトを閉鎖する場合には、顧客にそのことを通知し、過去のコンテンツを一括でエクスポートできるようにすることを約束している。この点が、コンテンツを削除する選択肢もないTDCommonsとは異なるという。「ルーヴル美術館に作品を飾ることと、祖母の家の地下室に飾ることの違いと同じです」と、弁理士でありUSPTOの元審査官であるダーキンは説明する。

USPTOの取り組み

グーグルは、約2年前にUSPTOのディレクターに就任したカシ・ヴィダルが仕事に慣れるにつれ、TDCommonsがもっと利用されるようになることを期待している。生成AIプログラムは特許の保持者になれないという判断にまつわる仕事が優先事項であったものの、先行技術を探せるよりよい検索ツールの作成は多くの組織と議論してきた問題であると、テクノロジー分野の弁理士であるヴィダルは話す。USPTOは先行技術を掲載する独自サイトの運営と資金提供に前向きであり、それをどのように実現するかに関する意見をdirector@uspto.govで受け付けているという。

無料の新しいデータベースを支援しようとしたUSPTOによる以前の取り組みはうまくいかなかった。発明に関連する古い企業文書をデジタル化することに焦点を当てたPrior Art Archiveは、USPTOとCiscoの提携で18年に立ち上がった。しかし、いまやMITなどほかの協力組織は離れ、アーカイブの検索機能は機能していない。USPTOの広報担当者であるマンディ・クラフトは、Ciscoとは前進する道を確立できなかったと説明している。Ciscoの広報担当者のブルック・スティックニーは、同社はUSPTOへの協力は惜しまないと回答した。

USPTOとほかの国の特許庁がTDCommonsを利用するようになるまで、この控えめなサイトを維持していくとグーグルは説明している。同社はTDCommonsのサイトの運営を学術系のソフトウェアメーカーであるBepressに委託している。「比較的低コストで運営でき、人々が使用し続ける限り、これからもサイトの維持と投資を続けたいと考えています」とシェリダンは話す。「全体的に恩恵があると考えています。このサイトの背景にある理念を曲げるつもりはありません」

WIRED US/Translation by Nozomi Okuma)

※『WIRED』による特許の関連記事はこちらグーグルの関連記事はこちら


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