脳の組織を傷つけない“注入型インプラント”の探求が始まっている

パーキンソン病や全身まひの治療目的で脳に挿入される金属製の電極は、脳の柔らかい組織を傷つける。このことが長年課題になっていたが、注入して埋め込むゲル素材のインプラントが考案されたことが注目されている。
brain made out of electric nodes
Photograph: Andriy Onufriyenko/Getty Images

現代社会には“サイボーグ医療”の力を借りて生活する人が数十万規模で存在する。パーキンソン病患者のなかにもそうした人々がいる。脳の深部に埋め込まれた金属製の電極を作動させ、体の震えを抑えているのだ。

ほかにも、数はもう少し少ないが、全身まひの人が「インプラント」と呼ばれる脳内埋め込み装置の働きにより、頭で念じた通りにロボット義肢を動かせるようになった例もある。こうした技術が人間の生活の質(QOL)を劇的に向上させることは間違いないが、そこには大きな問題がある。金属と脳は極めて相性が悪いのだ。

脳の組織はゼリーのように柔らかい。無理な力を加えるとバラバラに崩れてしまう。金属のワイヤーを挿入して脳内を探るような行為はあまりに乱暴だ。「組織にナイフを突き刺すようなものです」と、スウェーデンにあるリンシェーピング大学の教授で有機エレクトロニクスを専門とするマグヌス・ベルグレンは言う。

さらに困ったことには、電極を所定の位置にある程度しっかりと固定しておいても、脳の方が小刻みに動いているので、組織がひどく傷ついてしまうのだ。人体の自然な反応として、そこには電極と神経組織を隔てる壁のような瘢痕(はんこん)組織が徐々に形成される。結果的に電極は神経組織の動きを記録したり、刺激を与えたりできなくなる。

この瘢痕形成のせいで、まひ患者の脳に埋め込んで使う小さなヘアブラシのような形の「ユタアレイ」と呼ばれる電極は、通常5年ほどで取り外さなければならない。動いたり話したりする能力を取り戻した患者たちは、再び言葉を失い、動けなくなってしまうのだ。

科学者たちは1950年代には、電極が脳に多大なダメージを及ぼす可能性にすでに気づいていた。また技術者たちは数十年前から、より小さく柔軟性に優れたデバイスをつくることでこの問題を解決しようと力を尽くしてきたが、完成した装置にはそれぞれ欠点があった。柔軟性に富む電極は脳の深部にうまく埋め込む手段がなく、脳の表面に固定するタイプの電極は長く使用するうちに機能しなくなる恐れがあった。

脳の組織を傷つけない無害な素材

ところが、ベルグレンらリンシェーピング大学の研究者たちは、ついにその解決策を見つけたのかもしれない。あらかじめ電極を組み立ててから脳に埋め込む手法ではなく、体の組織に注入すると固まって導電性のポリマーに変わるゲル素材を考案したのだ。

それはどろどろに溶けた金属を型に流し込む作業に似ている。しかし金属とは違い、このゲルは明らかに無害であり、出来上がった電極は周囲の脳組織と同じくらい柔らかく、可動性に優れているのだ。

ベルグレンらのチームはこの成果を、2023年2月に学術誌『サイエンス』で発表した。彼らは現時点で、生きているゼブラフィッシュと死んだヒルを使った実験を完了しているが、いずれにおいても電極が形成され、通電を確認できたという。

電極の安全性についても問題ないようだ。ゼブラフィッシュは頭にゲルを注入された後も元気に泳ぎ、死後にその脳をスライスして調べても傷は見当たらなかった。電極のなかに完全に埋没してしまった神経組織でさえ、異常は見られなかったという。

とはいえ、人間はほかの動物とはまったく違う。ベルグレンはこれまでの経験から、ひとつの生物で成功した方法がほかの生物にも使えるとは限らないことを知っている。

今回のプロジェクトで彼は、まず植物の組織内に導電ポリマーを形成する目的で、すでに完成させていた分子を使ってみることにした。ところが、その分子を動物の体内組織に注入してみても、何も起こらなかった。「プロジェクトの最初の1年間は完全なる失敗に終わりました」と彼は言う。

その後、ベルグレンの研究室で働く助教授のゼノフォン・ストラコサスのおかげで、この問題は解決した。植物の組織内では過酸化水素の働きによって注入された物質が固まるが、動物の体内には固化を促すほどの過酸化水素が存在しないことに彼は気づいたのだ。

そこでストラコサスは、注入物質に別の成分を加えてみた。動物の組織内に存在するグルコースや乳酸塩と結合して過酸化水素を生成する酵素と、その過酸化水素を分解する酵素を加えたのだ。すると、問題なく電極が形成されるようになったという。

外部と通信する手段はまだない

スウェーデンのチャルマース工科大学の教授で、生体電子工学マイクロテクノロジーを研究するマリア・アスプルンドのような専門家の目から見ても、体内で電極をつくるという発想は極めて斬新だ。「化学者たちの手にかかると、わたしには想像もつかないことが実現してしまうようです」と彼女は言う。

だがアスプルンドも、これまで試行錯誤を繰り返してきた電極をつくる技術の考案を諦めるつもりはないという。過去10年以上にわたり、彼女は“脳に優しい”電極の開発に取り組んできたのだ。

アスプルンドが自分の研究を続ける理由のひとつとして、ベルグレンらの新技術については哺乳類を使った実験がされておらず、体内における耐用時間も不明であることが挙げられる。何より大きな問題は、電極が無事に電気信号を伝えられたとしても、その信号を脳から取り出して実際に見られるようにしたり、電流を送って電極から脳に刺激が伝わるようにしたりする手段をベルグレンのチームが確保できていないことである。

方法はいくつかあるはずだ。絶縁ワイヤーをじかに電極に挿入して電気信号を脳の深部から頭蓋骨の表面へと送り、そこでデータを読み取ることも考えられるだろう。しかし、そのワイヤーが脳の組織を傷つける恐れがある。研究チームとしては、どうしても避けたい事態だ。そうなると、電極と同じように脳内に挿入された後で自動的に部品の組み立てが完了し、外からワイヤレスで信号を読み取れるような装置を考案することになるかもしれない。

ベルグレンの研究チームが電極との通信手段を見つけたとしても、数百の神経組織の動きを同時に記録できるNeuropixelsのような最先端機器が相手となると苦戦を強いられるだろう。柔らかい電極でNeuropixels並みの精度を得ることは難しいだろうと、テキサス州のライス大学の准教授で電気コンピューター工学を専門とするジェイコブ・ロビンソンは指摘する。

「性能と侵襲性は常にトレードオフの関係にあります」と、ロビンソンは言う。「技術者たちは、そうした限界に挑み続けているのです」

少なくとも、柔らかい電極の活用法として最初に目指すべきは、脳に刺激を与えることのほうかもしれない。これにはさほど精密さを求められないからだ。また、全身まひの患者に使う場合は記録精度が低くても何らかの恩恵が得られるかもしれないと、ピッツバーグ大学の教授で生物工学を専門とするアーロン・バティスタは言う。バティスタは、脳とコンピューターのインターフェースについてサルを使って研究している。

柔らかい電極では、患者の脳が発する信号をじかに読み取り、よどみなく話せるまでに回復させることはできないかもしれない。しかし、まったく動けない患者にとっては、「はい」か「いいえ」だけでも伝えられるようになれば、それは大きな違いを生むことになるだろう。

ポリマー電極は単に従来型の電極の安全性を高め、複雑な構造にしたものではない。特定の物質が存在する場所でしか形成されないので、ほかとは違う化学的特性をもつ脳内の領域を狙って埋め込むことができるのだ。

ベルグレンとストラコサスは、ゲルの成分の微調整を検討中だという。脳のなかでも乳酸塩が豊富に存在する、細胞の動きが極めて活発な領域のみで固まるようにするためだ。こうした戦略的手段をとることで、突発的な発作を引き起こす脳内領域に狙いを絞ることができる。彼らは近々、てんかんのモデルであるマウスを使ってこの方法を試してみる予定だという。

理論上は、グルコースや乳酸塩ではなく、例えば特定の神経伝達物質を使って電極の形成を促す注入物質をつくることも可能なはずだ。この方法なら、脳内でその神経伝達物質が多く存在する範囲に絞って電極を配置できるので、神経科学者たちは脳内の特定の領域から正確な情報を得ることができるだろう。

ただし、目の前の科学的難題を克服できたとしても、ベルグレンのチームには最終的な課題が残されている。医療現場で使われるさまざまな機器に関わる規制上の制約をかわしながら、実用にこぎつけなければならないのだ。

その作業にどれほど長い時間を要するかは予想もつかない。これまでにない素材を使った技術となれば、なおさらだろう。だがバティスタは、それがどれだけ遠い未来であっても、この発見が電極技術の新時代の到来を予告するものであると確信している。

「いま生きている患者が、柔軟な素材を使った電極の脳インプラント治療を受けられるかどうかはわかりません」と、バティスタは言う。「しかし、いつか誰かがその恩恵を受けられる可能性は、いまやかなり高まっていると言えるでしょう」

WIRED US/Translation by Mitsuko Saeki/Edit by Mamiko Nakano)

※『WIRED』による神経科学の関連記事はこちら


Related Articles
article image
アレン脳科学研究所は81匹のマウスから取得した約30万個の神経細胞の活動データをこのほど公開した。膨大なデータをどのように解析するかという課題はあるものの、脳の各領域のおける働きの解明が進むことが期待されている。
a white device for brain
脳とコンピューターをつなぐインターフェイス(BCI)を首の静脈に挿入することで、考えるだけでコンピューターの操作を可能にする臨床試験が進められている。実用化に向けた重要な段階に入った一方で、患者からは倫理的な課題について懸念の声が上がっている。
article image
人類のコミュニケーションは、複雑なしぐさや無意識での合図をもとに成り立っているとされる。会話というダンスの構造がいま、最新科学によってひも解かれようとしている。

次の10年を見通す洞察力を手に入れる!
『WIRED』日本版のメンバーシップ会員 募集中!

次の10年を見通すためのインサイト(洞察)が詰まった選りすぐりのロングリード(長編記事)を、週替わりのテーマに合わせてお届けする会員サービス「WIRED SZ メンバーシップ」。無料で参加できるイベントも用意される刺激に満ちたサービスは、無料トライアルを実施中!詳細はこちら