虫も痛みや苦しみを感じるのか? 昆虫養殖にも「倫理」や「福祉」が問われる時代がやってくる

食料や飼料として年間1兆匹以上が飼育されるなど、昆虫の養殖は産業化しつつある。今後は家畜と同じように昆虫の飼育や処理にも「倫理」が問われ、「福祉(ウェルフェア)」が求められる可能性が指摘されている。
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Photograph: Amnat Jomjun/Getty Images

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昆虫は奇妙で驚異的な生き物だ。チョウは人間の目では見えない光のスペクトルの一部を見ることができ、紫外線のパターンを見分けることでおいしい植物を見つけている。ガは何百キロメートルもの距離を移動する際に、地球の磁場を頼りに方向を認識している。ハチはお尻を振って、巣の仲間においしい蜜のありかを教えている。昆虫は人類の世界に住んでいる(あるいは人類が昆虫の世界に住んでいる)ものの、両者の世界を捉える感覚はまるで異なるのだ。

とはいえ、人類が昆虫の感覚を理解しつつあるなか、昆虫への接し方も変わりつつある。昆虫の養殖が大々的に広まっているのだ。動物や人間の食料を確保できる高タンパクで低炭素な方法を探そうと企業が競争するなか、昆虫の飼育数は年間1兆~1兆2,000億匹にもなると推定する調査結果もある。影響を受ける生物の数という点で、これまでにない速度と規模で変化が起きているのだ。

これは昆虫と人類の奇妙な関係をさらに複雑にするものである。人は昆虫を殺したり、スプレーで殺虫剤をかけたり、食べたり、潰してきれいな染料をつくったりする。一方で、野生の昆虫の数が激減していることを心配し、人類が食べる作物の受粉を昆虫に頼っている。そして昆虫の養殖が産業化されたことで、人類が引き起こした気候危機に対する解決策として昆虫に期待を寄せているのだ。

しかし、この解決策を進める前に、昆虫についていくつか基本的なことを考える必要がある。昆虫には感覚があるのか。もしそうなら、どのように昆虫を扱うべきなのだろうか。

昆虫は痛みや苦しみを感じるのか?

「人類はいま、昆虫の福祉(ウェルフェア)について話し合う出発点に立っています」と、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)の哲学者のジョナサン・バーチは語る。ここで重要な問いは、昆虫に痛みを感じたり苦しんだりする感覚があるかどうかということだ。ブタやニワトリ、魚にはそうした感覚があることが広く知られている。

英国政府がイカやタコだけでなく、カニやロブスターなどすべての脊椎動物に感覚があると認めるきっかけとなった論文をバーチが執筆したのは、2021年のことだった。昆虫の感覚に関する研究は、これに比べるとまばらにしか存在しない。昆虫は知られているものだけで100万種以上あり、痛みを感じるかどうかの研究対象となった種はそのうちのひと握りにすぎないのだ。

ほかの生物が痛みを感じるかどうかを調べることは、それが人であっても非常に難しい。米国では1980年代半ばまで乳幼児は痛みを感じないという誤解から、手術では一切麻酔を使わないか少量しか使わないことが通例だった。

有名な例としては、1985年にメリーランド州で生まれた未熟児に対して麻酔をかけずに実施された心臓の手術である。後日、手術を受けた子どもの母親であるジル・ローソンが医師に質問したところ、未熟児は痛みを感じないということだった。この科学的な誤解は、ローソンのような人々の運動のかいもあって、のちに覆されることになったのである。

鍵を握る「侵害受容」の存在

科学者は人間の痛みでさえ長いこと理解できなかったのに、昆虫の痛みを理解することにおいて希望はあるのだろうか。答えを探すために、研究者たちが着目している要素がいくつかある。

ひとつは、外界からの痛覚刺激に反応する神経細胞である侵害受容器の存在だ。ただし、侵害受容があることと痛みを感じることは少し異なる。

熱いストーブに触れたとき、痛みを感じる前に腕を自動的に素早く引っ込められるのは、侵害受容器が脳全体を迂回する神経インパルスを送っているからだ。そして侵害受容器が存在するということは、少なくとも昆虫に痛みを感じる生物学上の基本的な機能があることを意味している。

科学者が昆虫の侵害受容を探すとほとんど毎回見つかるのだと、ロンドン大学クイーン・メアリー校の心理学研究センターの創設者で『The Mind of a Bee』の著者であるラース・チッカは語る。甲虫やハエ、ハチ、チョウには侵害受容が存在することが証明されている。また、少なくとも一部の昆虫は感覚の情報を脳内で統合でき、侵害受容器が脳とつながっていることを示す十分な証拠もある。

さらには昆虫が自分の体の傷ついた部分を手入れしている証拠も見つかっている。これも昆虫に感覚があることを示すものだ。シロアリの巣を攻撃して手足を失った仲間を助けるアリさえいる。傷の手当ては感覚があることを示すものであると、基本的には考えられている。

科学者が特定の昆虫に感覚があることを示す複数の根拠を見つけたという事実は、これらの生物が不快な経験をすることがあると主張する十分な論拠になると、チッカは考えている。チッカはハエやミツバチがこれに該当すると考えているが、この結果がほかの種に当てはまるかどうかについては明らかになっていない。

ほとんど進んでいない昆虫の研究

最も一般的に養殖されている昆虫は、コオロギや甲虫、ハエなどだ。しかし、昆虫のなかでもかなり研究が進んでいるハチやアリに比べると、こうした昆虫のことはあまりわかっていない。

さらに、同じ昆虫でも幼虫の研究はさらに少ない。これは別の問題をもたらす。ミルワーム(動物の餌にするために育てられているゴミムシダマシ科の甲虫の幼虫の総称)やアメリカミズアブの幼虫は、成虫になる前に殺してしまうことが多いからだ。昆虫の幼虫は成虫に比べて痛みを感じないのだろうか。この点については、まったくわかっていないのである。

昆虫に感覚があるかどうかの問題はここにある。ひとつの大きな問題を分解すると、1,000の小さな問題が出てくるのだ。どこを向いてもまた別の疑問が湧いてくる。その原因の一部は感覚の研究の対象において、進化の過程で人間にもう少し近い動物が選ばれることが多かったからだ。

「魚類や哺乳類以外の海の生物も見過ごされています」と、トロントのヨーク大学の哲学教授であるクリスティン・アンドリュースは語る。地球上に最も多く存在する生物である微小な寄生虫である線虫についても、同じことが言える。感覚の研究においてもっと広く網を張る必要があるのだ。

「このような生物の感覚を研究することも必要になります。すでに科学者たちはこうした生物の研究をしているのですから、安く簡単にできるはずです」

急速に拡大する昆虫の養殖産業

科学者たちが昆虫の感覚について議論するなか、昆虫の養殖産業は急速に成長している。人類は何世紀も前から昆虫を食べてきたが、その多くは野生のものを捕獲するか、比較的小規模な農場で養殖したものである。ところが、いまやスタートアップによって数千万匹という規模の昆虫をまとめて飼育できる巨大な工場が建設されるようになった。

フランスのスタートアップであるŸnsectは、フランスの都市であるアミアンに工場を建設している。この工場は主にペットや動物用の食料として年間20万トンの昆虫由来の製品を生産できる。ほかにもオランダや米国、デンマークで大規模な施設が建設されているか、すでに稼働が始まっている。

感覚があるかもしれない生物を養殖するのであれば、福祉の基準を設けるべきだとバーチは主張する。いまのところ昆虫の養殖において広く認識されている福祉のガイドラインは存在せず、昆虫の養殖業者に一定の福祉の基準を満たすことを求める法律もほとんどない。

昆虫の養殖業者を代表する欧州連合(EU)の団体は、脊椎動物の福祉法から借りた5つの項目からなるガイドラインを定めているが、高い水準の福祉がどのようなものかについての判断は企業に任せられている。「福祉上の懸念がある場合は、そうした施設の設計や建設の計画段階から介入する必要があります」と、テキサス州立大学教授で昆虫の福祉について研究しているボブ・フィッシャーは語る。

温度、湿度、明るさ、密度、食べるものなど、養殖の際に考慮しなければならない要素はたくさんある。昆虫の養殖業者にとってこれらはすべて工学的な問題だ。つまり、これはできるだけ多くの昆虫が生き残り、費用を抑えて事業を運営できるようにために考慮すべき点であると同時に、動物福祉とも密接に関係する内容でもある。

昆虫の福祉のガイドライン

この点においては、いいニュースがいくつかある。昆虫の幼虫には密集した環境での生活を好むものもいるようだと、英国のケンブリッジに拠点を置く昆虫養殖のスタートアップBetter Originの創業者のフォーティス・フォティアディスは語る。

農家が自分たちでアメリカミズアブの幼虫を育てられるよう、Better Originは10,000匹の幼虫が詰められた暗く湿度の高い環境の複数枚のトレーが収まる容器を貸し出している。「動物にとって高い水準の福祉は、昆虫にとって高い水準の福祉ではないかもしれません。昆虫が何を好むのかを理解する必要があります」と、フォティアディスは語る。

問題は、昆虫が好むことについての理解が非常に限られていることだ。アメリカミズアブの幼虫は密集した環境を好むかもしれないが、成虫はどうなのか。ロンドン大学クイーン・メアリー校のチッカは、昆虫の養殖施設を訪ねたときに見たアメリカミズアブの成虫が、餌もなく密集した環境で飼育されていたことについてこう振り返る。「その様子はわたしには奇妙に映りました」

幼虫の繁殖に使うアメリカミズアブの成虫に餌を与えないBetter Originのような甲虫の養殖場もある。一方で最近の研究では、餌を与えると雌の成虫はより長生きして卵もたくさん産むことが示されている。「成虫に卵を産ませて死なせることが、ほかの動物の養殖と同じように現在の業界の慣習になっています。そして、より福祉の水準の高い昆虫の市場機会が開かれるまでは、これが標準となるでしょう」と、フォティアディスは語る。

最も苦痛を伴わない昆虫の処理方法は?

より大きな問題は、昆虫をどのように処理すべきかという点だろう。EUでは、ほとんどの動物を気絶させてから殺さなければならないが、昆虫に対するそのような規制はない。昆虫を殺すために電子レンジで熱したり、蒸したり、ゆでたり、焼いたり、冷凍したり、ミンチにしたりしても構わないのだ。

Better Originの養殖している幼虫は、生きたまま養殖のニワトリの餌になる。一般的な感覚として時間がかかるより早く死に至らしめるほうがいいという以上に、どの処理方法が昆虫にとって最も苦痛を伴わないものなのかはわかっていない。「このように未知の部分があるなかで、迅速かつ効率的に昆虫を処理できているか理解することが、わたしたちにできる最も重要なことかもしれません」と、テキサス州立大学のフィッシャーは語る。

フィッシャーが問題に感じている点は、そもそも昆虫の養殖をすべきかどうか、ということではない。昆虫の福祉についてもっと真剣に考え、業界にも同じようにしてもらうことなのだ。「昆虫を食品や飼料にすることは、いま起きていることです。そして成長しています。今後10年以内に崩壊することはないでしょう」と、フィッシャーは言う。

しかも、かかわる昆虫の数は膨大であり、福祉の水準が少しでも改善されれば何兆匹もの感覚をもつかもしれない生物の命のあり方に変化をもたらす可能性がある。だからこそフィッシャーは、動物の感覚の研究者と昆虫の養殖業界が対立するのではなく、手を取り合って、より福祉の水準の高い昆虫の養殖とはどのようなものかを考えたいと願っているのだ。

そして、それには2つのことが含まれる。ひとつは、動物の感覚に関する研究をさらに進めることだ。特に最も広く養殖されている種についての研究が求められている。「少なくともこれらの昆虫種については、思いやりのある処理方法や許容できる飼育条件について、ある程度の確証が欲しいところです」と、チッカは語る。「いま、まさにこうした研究が必要なのです」

また、思いやりをかける生物の対象を広げることも重要になる。人はイヌやチンパンジーの目を見て、これらの動物に影響を与えられる感情をもっていると感じやすい。しかし、ミルワームの入った容器を見ても同じ感覚はもちづらいだろう。

とはいえ、人類がこうした生物を大量に養殖するのであれば、慎重すぎるくらい慎重になることが生物に対してできる最も思いやりのある対応かもしれないのだ。

WIRED US/Translation by Nozomi Okuma)

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