手術を“民主化”するナノロボットと、自然を解明する集団的知能:世界最大のロボットカンファレンス「IROS 2022」レポート

世界最大であり、最も影響力のあるロボット技術の研究会議のひとつである「IROS 2022」が、10月23日から27日にかけて京都市の国立京都国際会館で開催された。「共生社会のための身体化されたAI」(Embodied AI for a Symbiotic Society)をテーマに開催されたIROS 2022のインスピレーションを、プレナリースピーチのレポートでお届けする。
手術を“民主化”するナノロボットと、自然を解明する集団的知能:世界最大のロボットカンファレンス「IROS 2022」レポート

体内を旅する、ナノサイズのドローンが手術を“民主化”する

プレナリースピーカーとして最初にメイン会場に立ったブラッド・ネルソン教授のスピーチは、まさに「IROS 2022」(IEEE/RSJ International Conference on Intelligent Robots and Systems)のテーマを具体的に感じとれる内容だった。ネルソン教授が語ったのは手術を民主化するマイクロロボットだった(講演タイトル:The Robotics Part of Micro and Nano Robots)。

ネルソン教授は、スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETH)のマルチスケール・ロボット・ラボ(Multi-Scale Robotics Lab)に所属し、2002年からロボット工学と知能システムの交差点で研究を続けている。ネルソン教授の関心は、ミリメートルからナノメートルサイズの微小な、知的な機械を研究する「マイクロロボティクス」と「ナノロボティクス」にある。

ナノスケールの微小さと知的な機械の交差点にあり、わたしたち人間にもっともインパクトがある領域が、医療だ。ネルソン教授が目指すのは、ナノサイズのロボットを遠隔操作し、実際の手術を行なう未来だ。

Multi-Scale Robotics Lab - ETH Zurich

「最初の課題は、微小な機械をどのように動かすか、どのようにエネルギーを与えるかでした。わたしたちが03年から着目してきたのは、磁気でした。磁場勾配や回転磁場によって、ナノサイズのデバイスを駆動するということです」とネルソン教授は話す。

このマイクロロボットの凄みは映画『ミクロの決死圏』(原題: Fantastic Voyage)を手術に実装してしまったことにある。ネルソン教授らは、09年から磁気によって微小なデバイスをコントロールする「磁気ナビゲーションシステム」(MNS)を開発。改良を重ね、軽量化とともに非常に正確な動作を実現した。その正確さは、脳卒中の手術に使われる医療デバイスに結実する。

動画で15秒ほどのシーンに出てくるデバイスがナノフレックス・ロボティクスが開発する「Navion RMN」。プレイステーションのコントローラで作業を行なうことができる。

現在ネルソン教授がメンターと共同創業者をつとめる、ETHのマルチスケール・ロボット・ラボからスピンオフしたスタートアップ「ナノフレックス・ロボティクス」(Nanoflex Robotics)では、脳卒中の治療を実現するソフトロボット・システムを開発している。磁気ナビゲーションシステムによって、独自開発されたガイドワイヤーとカテーテルを脳の奥深くまで正確に挿入することが可能だ。その操作性と手法は、まるで極小のドローンで体内を旅するかのようだ。

同技術のインパクトについて、ネルソン教授は脳卒中が世界で2番目に多い死因であることを挙げる。脳卒中の治療には、医師が患者の脳から血栓を物理的に除去する外科的な治療がとられることが臨床的利益が大きいとされているが、非常に専門的で困難かつ繊細な作業が求められるという。同社のソリューションは、現在利用可能なあらゆるデバイスよりも操作性に優れ、安全で、使い勝手がよいという。

「この技術は世界の手術へのアクセスに大きなインパクトを与えるだろう。現在の世界人口は約80億人だが、そのうち約50億人が安全で安価な手術にアクセスする手段をもっていない。この技術を発展させ、ゆくゆくは手術を民主化できればと願っている」とネルソン教授は展望を語る。手術を限られた超絶技巧の世界から開放し、多くの人々を救う未来をつくるのは、職人ではなく、極小のロボットなのだ。

巧みな自然の知能をロボットで理解する

iROS2022では、毎朝9時にプレナリースピーチが開かれる。プレナリースピーチをまず聞いて、その後は分科会や各プログラムに行動が別れていく。会場で歩いていて「あのスピーチはヤバかったね」とすれ違う多くの人々(ドイツのマックスプランク研究所で学習の研究をする博士課程の学生などだ)が口にしていたのが、プリンストン大学のラディカ・ナグパル教授のプレナリースピーチ「集合的な人工知能へ(Towards Collective Artificial Intelligence)」だった。ナグパル教授は、プリンストン大学で機械工学科とコンピュータサイエンス科を担当し、自己組織化群ロボット工学研究室(SSR)を率いている。群ロボット工学、バイオインスパイアードアルゴリズム、自己組織化集合的知能の研究の第一人者である。

自然界の生物は、それぞれの課題(すなわち生存)を解決するためにさまざまな群れをつくる。コンピュータサイエンティストであり、ロボット工学者であるナグパル教授の興味はそれらを「集合的知能(Collective Intelligence)」として捉えることだ。

「非常に多くの個が、どのようにしてシンプルなルールによって集合し、非常な複雑な振る舞い(個を遥かに超える知能の獲得)をするのだろう?」ナグパル教授は熱帯のパナマに生息する軍隊アリについて話す。

「軍隊アリは集合的知能のスペクタクルな例だと言えます。何百万匹ものアリが共同生活をし、自分の身体を使って巣をつくり、餌を集めるために道をつくります。ときには自らの身体をつかって“橋”のような構造をつくります(地形による困難を克服)。驚くべきことに、彼らはこれらのことを、リーダー不在でやってのけるのです」(ナグパル教授)

軍隊アリがつくる“橋”。自然発生的に生じ、役目を終えると消えてなくなる。彼らの集団生活を安定させる上で不可欠な集団的知能と言えるだろう。

こうした自然の巧みな集合的知能がアルゴリズムによって支配されているとしたら? 人工的なロボットでそれらが再構築できるだろう。これがナグパル教授の言う「集合的人工知能(Collective Artificial Intelligence)」だ。そしてナグパル教授は、こうした集合的知能を、ラボで再構成することを試みている。そのひとつが、軍隊アリによる「自己集合(self-assembly)」による“橋”の再構成だ。

アリからロボットへ、どのようにその知能を再構成をしていくのか。

「生物学者が立てた仮説によると、個の軍隊アリは、非常にシンプルなルールで行動しているということです。すなわち、移動と静止です」(ナグパル教授)

軍隊アリの行動には2つのモードがあるという。つまり自身の上にほかのアリがよじ登ってきたら静止(橋モード)し、来なくなれば移動(歩行モード)をするということをルールとして行動しているということだ。

ナグパル教授らは、これらのルールを「フリッピー(Flippy)」というキュートな名前のロボットに触覚によるコミュニケーションとして組み込み、シミュレーションを試みた。すると実際に生物学者の仮説の通りに、ロボットたちは橋をつくりはじめたのだ。

ロボットには、実際に軍隊アリが用いる接触によるコミュニケーションも実装されている。振動によって、ほかのアリと接触しているかなどの情報を取得する。1:28あたりより、橋がどのように形づくられるか、そしてどのようにばらばらの群れへと戻っていくのか、シミュレーションがある。

「今回示したのは一例に過ぎません。今後の展望は軍隊アリにインスパイアされたソフトロボットを実現するうえで考えられた集団的知能、触覚のコミュニケーションを、どのように応用していけるのか、とても楽しみです」(ナグパル教授)

最新の論文では、ナグパル教授らの研究グループは、個の軍隊アリが橋の構成に参加するか離れるかの決定は、橋の現在の状態と平衡状態との差に依存していることを明らかにしている。結果として、橋への参加は橋の性能が高いときに、離脱はアリの数が多いときに促されていることがわかったという。これは、多くの生物学的・工学的システムにおいて重要な特徴である「ヒステリシス」(物質や系の状態が、現在与えられている条件だけでなく、過去に与えられた影響を受けることによって成立している現象・状態)を安定化させることにつながる知見だという。

ナグパル教授は、軍隊アリのほかにも、魚の群れの構造をロボットで再現する研究も進めている。「ブルースウォーム(Blueswarm)」と名づけられたロボットによるプロジェクトでは、魚が群れのなかでどのように暗黙の協調を行なっているのかを探求している。応用研究には、魚類に匹敵する群れを形成する能力をもつ水中ロボットによる環境モニタリングなどが視野に入っているという。

「何千という個が集団として何をなしえるか。それこそまさにサイエンスではないでしょうか。これこそが人間の集団的知能だと言えるでしょう」(ナグパル教授)

ナグパル教授は、ロボット工学が自然科学のための知性となる可能性を示したと言える。スピーチは大きな拍手と、終わらないかのような質疑応答が寄せられ、幕を閉じた。

これらのプレナリースピーチの内容は、ナグパル教授の言葉を借りれば、個としてのひとが解き得ない問題を、世界規模の集合的知能であるロボット工学が解いてみせる、その奇跡的なクリエイティビティの讃歌であったように思われる。その讃歌に、世界中から集ったロボット工学者やコンピュータサイエンティストは静かなる熱狂をしていた。

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