猛威を振るう「鳥インフルエンザ」に対抗すべく、鳥たちにワクチンを打つときがやってきた

鳥インフルエンザ(H5N1)が世界的に猛威を振るうなか、専門家たちの間で静かな議論が沸き起こっている。食用や採卵用のニワトリ、シチメンチョウ、アヒルにワクチンを投与することについての議論だ。
dozens of birds flying over a field
Photograph: JIM WATSON/Getty Images

鳥インフルエンザ(H5N1)の猛威が止まらない。これまでに76カ国を直撃し、各国に緊急事態宣言を発令させ、動物由来の疾病としては史上最悪の感染爆発を米国にもたらしたこの疫病が、野鳥や家禽を襲い続けているのだ。

国際獣疫事務局(WOAH)の報告によると、世界で1億4,000万羽を超える家禽がこのウイルスによって死んだり、感染拡大を防ぐ目的で殺処分されたりしているという。また、正確な死亡数は把握されていないが、野鳥の間にも壊滅的な被害が広がっている。

何らかの手段による歯止めが必要だ。6,000万羽に及ぶ家禽を失った米国では、業界がこれまでずっと抵抗し続けてきたある手段について、専門家たちの間で静かな議論が沸き起こっている。食用のニワトリ、採卵用のニワトリ、シチメンチョウ、アヒルにワクチンを投与することについての議論だ。

ワクチン接種に踏み切れない理由

話し合う必要などないようにも思える。もとより人間に対するインフルエンザの予防接種は日常化しており、すでにニワトリにも生後数日のうちに何種類ものワクチンが投与されているからだ。

しかし、家禽を対象に鳥インフルエンザのワクチンを的敵に接種している国はごくわずかだ。ワクチンが使われるようになれば各国で輸入禁止措置がとられ、米国の輸出市場が大打撃を受けるばかりか、家禽貿易に関連するさまざまな業種が互いに敵対関係に陥る恐れすらある。また、食の安全に対する消費者の不安をあおることにもなりかねない。

こうしたことから業界は、表向きは思い切った手段をとることには反対している。しかし、家禽関連企業の研究員たちは、公式な場では決して口にしないものの、ほかに有効な出口戦略は見当たらないと密かに話し合っている。米国内の業界に近いところで働く研究者たちの間でも、ワクチン投与を始める以外の選択肢はなさそうだが、米国が単独でワクチン接種に踏み切ることもできないとの意見が多い。

「ワクチン接種については世界規模で議論されています。世界全体で決断すべき問題だからです」と、獣医師でジョージア大学家禽疾病診断研究センターの臨床准教授でもあるカレン・バーンズ=グローガンは言う。ジョージア州では、米国で最多の年間約13億羽のブロイラーと食用ニワトリが生産されている。「WOAHから米連邦政府、個々の貿易相手国まで、あらゆる関係者がひとつになって決断を下さなければならないでしょう」

しかし、その決断に成功が保障されているわけではない。2015年に起きた鳥インフルエンザの大流行を機に、連邦政府はH5N1型ウイルスに対するワクチンの備蓄を命じた。しかし、その数は限られており、流行中のウイルスの勢いを止めることはできないだろう。

米農務省はいまのところワクチンの使用を許可していない。また、数十億羽の鳥を守るために供給を拡大するとなると、ワクチン製造企業に多大な負担を強いることになるだろう。接種はおそらく手作業になるので、大量の人員が必要になるはずだ。

さまざまな野鳥にも未曽有の被害

こうした議論は喫緊の課題になりつつある。鳥インフルエンザの人間への感染も続いている。ごく最近もカンボジアに住む11歳の少女が亡くなり、その父親にも症状が現れるという事例があった。

しかし、この親子が感染したウイルスは現時点で鳥たちの間にまん延しているものとは株の種類が異なり、彼らから別の人に感染した形跡もなかったという。鳥インフルエンザは哺乳類への適応を加速しており、直近ではペルー沖のアシカやスペインの養殖ミンクの死亡が報告されている。

正確な数はわからないものの、鳥インフルエンザのせいでほかにも膨大な数の野鳥が死んでいることは間違いない。野鳥はウイルスを媒介することはあっても、自らは発症しないというこれまでの図式に変化が生じているのだ。

「さまざまな野鳥の個体群が未曽有の被害を受けています」と、鳥類学者でジョージタウン大学アースコモン(地球共生)研究所の所長を務めるピーター・マーラは言う。「カツオドリをはじめ、大量の鳥が姿を消しました。被害は米国だけでなく、欧州全域を含む西半球全体で発生しています。おそらくアフリカ大陸にも及んでいるでしょう」

業界全体でバイオセキュリティ体制の強化を図っているにもかかわらず、家禽の間にはさらに感染が広がっている。感染爆発が動物たちに与える苦痛は甚大だ。進行が早いこの病気は、ある著名な専門家がかつて「ニワトリのエボラ出血熱」と呼んだほどのひどい苦痛をもたらす。さらに米国の一部の獣医師からは、病気の拡大防止を目的としたニワトリの一般的な殺処分法、すなわち養鶏場の換気を止めて熱中症で死なせる方法が残酷すぎると訴える声も上がっている。

また、衝撃は食料供給にも及んでいる。22年に採卵用のニワトリが大量死した影響で、卵の流通量は29%減少し、価格は2倍になった。

ワクチン接種がもたらす課題

メンドリたちの惨状を見ると、複雑な事情からワクチン接種が難しくなっていることがうかがえる。

商業用の家禽は使途によって種類ごとに寿命が決められている。ブロイラーは6~7週間で成鳥になるが、シチメンチョウは市場に出せる体重に育つまで半年ほどかかる。採卵用のニワトリや、ブロイラー生産用の“種鶏”と呼ばれるニワトリは、1年以上の生存を許される。メンドリは生後約26週を過ぎるまで卵を産めないからだ。

長く生きるはずの採卵用のニワトリやシチメンチョウのほうがインフルエンザによる死亡率が高いことは、妙な話ではあるが注目に値する事実である。採卵用のニワトリは1カ所の養鶏場に数百万羽という膨大な数が飼育されているので、ひとたびウイルスの襲来を受けると大量のニワトリが死んでしまうことが一因かもしれない。そうなると、ワクチン接種は鶏卵やシチメンチョウの生産に最大の恩恵をもたらすと言えそうだ。

ところが、米国における家禽類の国際貿易は、鶏卵でもシチメンチョウでもなく、ブロイラーがその大半を担っている。肉はもちろん、米国の消費者が見向きもしない脚のような部位も輸出される。米農務省によると、21年のブロイラー肉の輸出による収益は50億ドル(約6,700億円)を超えたという。

一方で、米国から鶏肉を輸入している複数の国が、ワクチンを投与されたブロイラー肉の受け入れを長年にわたり拒否している。ワクチン投与とインフルエンザ感染に対するニワトリの免疫反応が酷似していることから、安全なニワトリと感染したニワトリを区別できないからだという。つまり、米国産の家禽類のうち最もワクチンの必要性が低いブロイラーを飼育する農家が、ワクチンを使うことで経済的に最も大きいリスクを負うことになるのだ。

接種の有無を判別する新たな手法

しかし、H5N1ウイルスの攻撃が世界中で激しさを増すにつれ、そうしたリスクの読み方も変わっていくのかもしれない。

22年秋にパリで開催された国際会議では、鳥インフルエンザ用ワクチンの使用に対する「無用な障壁の排除」について意見が交わされた。また同年11月には、欧州連合(EU)が一定の条件のもとで家禽へのワクチン接種を認める新たな規制条項を発表し、23年3月に施行されることになった。最近になってH5N1の攻撃を受け始めた中南米の各国は、1月の初めから相次いで家禽に対するワクチン接種の開始を発表している。

これに対して米農務省は21年後半、5カ年計画の研究プロジェクトを承認した。プロジェクトの目的は、鳥インフルエンザに対抗する新たなワクチンを見つけること、ワクチンの効き目を立証する手段を確立すること、そうしたワクチンを投与することでかえってワクチンの効かない変異株を出現させてしまう可能性を探ることだという。

鳥インフルエンザ研究者の一部には、ある方法を使えばワクチンを投与された鳥と感染した鳥を明確に区別できると以前から主張している人々がいる。「DIVA(Differentiating Infected from Vaccinated Animals 感染動物とワクチン接種済み動物との識別)」と呼ばれる手法だ。

まず、ワクチン製造に使われる流行中のウイルス株のタンパク質1種類をほかの成分に替えて、分子マーカーをつくる。ワクチンを投与されたニワトリの場合、検査すると野生株ではなく交換された株に対する抗体が検出され、ワクチン接種によって免疫が得られたことがわかる。こうして、輸出入の安全を確保できる仕組みだ。DIVAは00年と01年の2回にわたりイタリアで用いられ、H7N1およびH7N3ウイルスによる鳥インフルエンザの感染爆発を鎮静化した実績をもつ。

「ほかの国々からは、実施に伴うコストを考えると、ワクチン接種にさほどの価値はないと何度も指摘されました。ワクチンそのものの費用だけでなく、検査を実施したり、接種後の鳥の移動を制限したりする費用が必要になるからです」と、イタリアのボローニャにあるジョンズ・ホプキンスSAISヨーロッパのグローバルヘルス部門シニアフェローのイラリア・カプアは言う。カプアはベネチアの動物感染予防実験研究所(IZSVe)に所属していたころ、DIVAをイタリアで用いることを提案したウイルス学者だ。「しかし、特定の群れがワクチン接種済みで、なおかつウイルスに感染していないことを証明できるシステムを使えば、貿易障壁を崩せるのです」

毒性の高いウイルスへと変異する可能性

イタリアでは数年にわたり猛威をふるったH7株の波が(ひとりのオランダ人獣医師の命を奪いはしたものの)鎮静化したことで、また同じころ危機的状況にあったほかの国々では国の予算不足や研究所の設備不足により同様のシステムを開発できなかったことで、DIVAは徐々に使われなくなった。しかしあの当時と、H5N1型インフルエンザが世界に蔓延してしまった現在とでは、事情が異なる。

H5N1型ウイルスに襲われた家禽や野鳥の多さは、単にこのウイルスの破壊力を示しているわけではない。このウイルスが今後さらに多くの宿主を見つけ、その体内で毒性の高いウイルスへと変異する可能性があることを物語っているのだ。

この現実が広く知られるようになれば、家禽類へのワクチン接種はさらに緊急性を帯びるだろうと専門家は言う。インフルエンザが池や沼で、あるいは空から落ちてくるフンや、換気扇のカバーをすり抜けて侵入してくる小鳥を介して、野鳥から家禽に感染することは以前から知られている。しかし、同じ状況でウイルスが家禽から野鳥に感染することもあるのだ。

組織的に野生の鳥たちにワクチンを投与することはとうていできないが、身近にいる鳥に対しては可能であろう。

WIRED US/Translation by Mitsuko Saeki/Edit by Daisuke Takimoto)

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