仮想空間でも戦闘訓練、米軍が「独自のメタバース」を構築している

メタバースに注目しているのはテック業界だけではない。米軍は軍事関連企業などとタッグを組んで独自のメタバースを構築し、VRやAR、AIを用いた対戦訓練や戦闘シミュレーションにまで活用を進めている。
MIKE KILLIAN PHOTOGRAPHYRED 6
Photograph: MIKE KILLIAN PHOTOGRAPHY/RED 6

米軍の2名の戦闘機のパイロットが高高度における実験的なメタバースを体験したのは、2022年5月10日のことである。カリフォルニアにある砂漠地帯の数千フィート(約1km)上空を飛行する2機のジェット機「Berkut 540」を操縦していたパイロットたちは、このとき独自の拡張現実(AR)ヘッドセットを装着していた。

このヘッドセットは現実世界の映像に、幽霊のように光りながら上空で並行して飛ぶ給油機の画像を重ね合わせるシステムと接続されている。実験ではひとりのパイロットが見守るなか、もうひとりが仮想の給油機から給油する手順を実行したのだ。これこそ、生まれたばかりの軍事メタバースの世界である。

メタバースの熱狂にとらわれているのは、シリコンバレーだけではない。テック企業が仮想世界における戦略の立案に奔走しているように、多くの防衛関連のスタートアップや軍事関連企業、そして投資家たちも、その定義や実用性が必ずしも明確ではなくてもメタバースの話題を頻繁にするようになったのだ。

メタバースに必要な主要技術であるARや仮想現実(VR)、ヘッドマウントディスプレイ、3Dシミュレーション、人工知能(AI)による仮想環境の構築は、すでに防衛の世界には存在している。これらはメタ・プラットフォームズ(旧社名はフェイスブック)の最高経営責任者(CEO)のマーク・ザッカーバーグが思い描く仮想世界ほどは洗練されておらず、かわいらしくも広大でもない。

だが、その点が重要でもある。そしてメタバースに関連するこれらの技術は、たとえ民間で普及しなかったとしても防衛産業では大きく発展する可能性があるのだ。

軍事版のメタバースへようこそ

AR、AI、ビデオゲームのグラフィックスの技術を組み合わせることで、例えば戦闘機のパイロットは数Gの加速度がかかる状態で、中国やロシアの戦闘機といった仮想の敵と空中戦で戦う練習ができるようになった。

従来のフライトシミュレーターよりはるかに現実的なテストでパイロットの実力を測れると、この技術を開発したAR企業のRed 6は説明している。「どんな敵とも戦えます」と、Red 6の創業者で最高経営責任者(CEO)のダニエル・ロビンソンは語る。「敵は個人による遠隔操作か、AIによる操作が可能です」

Red 6のAR技術は消費者向けのARやVRヘッドセットよりも厳しい条件下で動作し、さらに低遅延で高い信頼性を実現しなければならない。同社は現在、ARやVRでさまざまな状況を再現するプラットフォームの開発に取り組んでいるという。「わたしたちが構築しているのは、まさに軍事版のメタバースです」と、ロビンソンは説明する。「空中で繰り広げられる多人数参加型のゲームのようなものですね」

メタバースに関連するアイデアの一部は、すでに最新の軍事システムに組み込まれている。例えば新型戦闘機「F-35」用のハイテクヘルメットには、機体周辺の映像に遠隔で取得したテレメトリーデータや標的の情報を重ねて表示するARディスプレイが搭載されているのだ。

米軍がマイクロソフトにARシステム「HoloLens」の戦闘員向け版となる「Integrated Visual Augmentation System(IVAS)」の開発に220億ドル(約2兆9,700億円)を上限に支払うと発表したのは、18年のことだった。

近年ではVRやARは日常的な軍事訓練の一環にも取り入れられている。仮想環境で船員らが船舶の運転や共同作業をこなせるシステム「Project BlueShark」を、米海軍研究局と南カリフォルニア大学のクリエイティブ・テクノロジー研究所が共同開発したのは14年のことだ。

「Project Avenger」と呼ばれる別の取り組みは、米海軍のパイロットの訓練に用いられている。米空軍は航空機の管理や任務をパイロットに教えるためにVRを活用している。VRは退役軍人の慢性疼痛や心的外傷後ストレスの治療にも役立てられている。ボーイングは整備士が実際の飛行機に乗り込む前に、飛行機での作業を練習ができるAR環境を構築した

最近の米軍は、より複雑な仮想世界の活用を模索し始めている。また、メタバースの世界を思わせる仮想世界と仮想世界をつないだり、組み合わせたりすることにも関心が高まっている。米空軍が、米国から日本にまで及ぶ広い地域から250人以上が出席する上層部会議を仮想環境で開催したのは、21年12月のことだ。

「こうした技術の統合に未来があります」と、仮想世界関連の技術を開発するImprobableで防衛部門のゼネラルマネージャーを務めるケイトリン・ドールマンは語る。同社は英国軍の演習のために個別に制御可能な10,000以上のキャラクターが登場する仮想空間上の広大な戦場を開発しており、米国防総省とも提携している。

「実地に忠実であるという軍の要請を満たすため、非常に複雑なシミュレーションになっています」と、ドールマンは言う。「プレイヤーとして人がシミュレーションに参加できますし、軍がよくしているようにキャラクターをAIで動かすこともできます」

フェイスブックが14年に買収したVR企業のオキュラス(Oculus)の創業者パーマー・ラッキーは、VRとメタバースに全面的に取り組むというザッカーバーグの決断は、商業界がメタバースに寄せる期待を膨らませたと指摘している。「その1〜2週間後くらいから、四半期の決算発表でどの会社も投資家から『メタバースについての戦略は何か』と聞かれるようになりました」と、ラッキーは指摘する。

ラッキーが防衛テクノロジー企業のアンドゥリル(Anduril)を共同創業したのは17年のことだ。いまはメタバースに多くの関心が集まるようになったが、防衛産業にも大きな可能性があるという。その主な理由は、軍事訓練が非常に重要かつコストがかかる領域だからだ。

とはいえ、こうした技術を有用なものにしようと過度にリアルにする必要はないと、ラッキーは指摘する。アンドゥリルでは、必要な部分だけにこうした技術を使うようにしているという。

「わたしたちのVRでの取り組みは、どれもほかの方法よりVRを使う独自の利点があるものばかりです」と、ラッキーは語る。例えばアンドゥリルでは、ドローンを操作する訓練や、地上に設置されたセンサーから得た特定エリアの情報を表示するといった用途に活用している。

ザッカーバーグが構想しているメタバースと同じように、新しい軍事システムもうまく機能するためにAIに大きく依存している。Red 6が開発したAR技術は、戦闘機のパイロットがAIが制御する航空機と対戦する20年10月の実験に使われている。これは米国防高等研究計画局(DARPA)のAIによる空中戦プロジェクトの一環として開発されたものだった。

スタートアップのEpiSciが開発したAIの戦闘機は、試行錯誤を繰り返すことで敵を出し抜き、圧倒する術を習得している。AIは最終的に人間を上回るスキルを身につけ、人間の対戦相手に毎回勝利するまでになった。

DARPAの別のプロジェクト「Perceptually-enabled Task Guidance(知覚によるタスク攻略のガイダンス)」は、兵士が何をしているのか観測し、音声や音、画像でアドバイスするAIアシスタントの開発を目的としている。特定の環境下でのみ機能するボーイングのARシステムと比べると、このようなシステムは現実世界を理解できなければならない。

DARPAでこのプロジェクトを担当するプログラムマネージャーのブルース・ドレイパーは、軍が研究している技術の本当の価値は現実と仮想世界との融合にあると語る。

「メタバースはほとんど仮想の世界です。仮想世界は訓練には使えますが、わたしたちが住んでいるのは物理的な世界なのです」と、ドレイパーは説明する。「軍事は本質的に物理的な世界のことであり、抽象的なメタバースの世界ではありません」

実装面での課題

とはいえ、仮想世界と現実世界を融合させる取り組みは課題に直面している。マイクロソフトから流出したメモに基づく報道によると、HoloLensの米軍版のARヘッドセットであるIVASの開発に取り組む人々は、ユーザーから低評価を受けると予想していたことが22年3月に判明したのだ。

さらに国防総省による22年4月の監査では、結果的に米軍による投資は無駄に終わる可能性があると結論づけられている。これに対してマイクロソフトのシニアコミュニケーションマネージャーのジェイソン・クルヴィラは、IVASの可能性に言及する軍高官のいくつかの声明を紹介している。また、国防総省の21年の報告書では、問題を解決しながらIVASを迅速に開発する重要性について論じているという。

こうした注目度の高い莫大な資金が絡む試みは、軍事用メタバースを推進する人々に自信を与える結果となった。「これが軍事訓練の未来であると確信しています」と、アンドゥリルに投資しているデータ解析ソフトウェア企業パランティア(Palantir)でグローバル防衛部門のリーダーを務めるダグ・フィリッポンは語る。

フィリッポンはRed 6に投資するSnowpoint Venturesの共同創業者でもある。「これは未来の軍の戦い方や意思決定の方法であるとも考えています。つまり、戦うだけでなく意思決定に関係するということなのです」

アンドゥリルのラッキーによると、同社はすでに訓練任務や戦闘でこれを実現する技術の開発に取り組んでいる。「わたしたちにとって次の大きなステップで非常に期待していることは、主力製品から前線の兵士が身に着けるヘッドアップディスプレイにデータを送って表示できるようにすることです」と、ラッキーは説明する。

とはいえ、こうした最先端技術がどれだけ前線や訓練に導入されるのかは、まだ不透明な状況にある。実際に配備される技術は、メタバース推進派が想像するよりかなり単純なものになることが多いのだと、パデュー大学教授のソリン・アダム・マテイは指摘する。マテイは米軍向けに仮想の戦場訓練プラットフォームを開発していた人物だ。

IVASヘッドセットを単純化したものが、最終的にAR技術を搭載したライフルスコープに導入されるかもしれないと、マテイは指摘する。「戦場で敵を撃ったり撃たれたりしているとき、装備品に気を向ける余裕はありません」と、マテイは指摘する。

技術が有用であるために、メタバースほどの広大さは必要ないという。「メタバースを例えに使うことは慎重になったほうがいいでしょうね。メタバースは強力ですが、限界もありますから」

WIRED US/Translation by Nozomi Okuma)

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