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今年で63歳となる作家ジョージ・ソーンダーズは、類いまれなる人物である。誰にも読まれなさそうな物語であると感じるのに、不思議と読まれるものを書いているのだ。
ソーンダーズが2017年に発表した小説『リンカーンとさまよえる霊魂たち』の語り手はタイトルの通りで、理解しがたい性質を抱えたさまよえる霊魂たちだ。この小説はブッカー賞を受賞している。するするとジャンルを横断していくソーンダーズは、ジャンルの決まりを無視しているというより、そもそも決まりを学ぶ気がないことを明確にしている。
カルチャーメディア「Gernica」は、ソーンダーズに得意ジャンルのひとつであるSFとのかかわりについて06年に尋ねている。「若いころはそんなにSF小説は読んでいませんでした」と、ソーンダーズは語っている。
そのあとソーンダーズは、映画『スター・ウォーズ』の1作目で「頭上を飛んでいく宇宙船」を観たときの熱い思い出を繰り広げた。「宇宙船の船底に使用感があったんです。とにかくボロボロで、サビだらけだったことを鮮明に覚えています」
この映像体験が転換点だったと、ソーンダーズは語る。「この映画を観て思ったんです。『どれほど人間が進化を遂げてロボット型のクルマやら何やらができても、ぼくらの人間性がじゃまをしてすべてを台無しにするんだろうな』って」
このインタビューを引用した理由がある。Netflixで配信されているSF大作映画『スパイダーヘッド』は、10年にソーンダーズが『ニューヨーカー』誌に寄稿した『Escape from Spiderhead』という短編小説を実写化したものだからだ(『WIRED』と『ニューヨーカー』は、どちらもコンデナストが発行している)。
主な登場人物はふたりだ。どう考えても倫理的におかしい製薬試験の治験者になってしまった囚人・ジェフと、お気楽げな実験者のアブネスティ。利益のみを追求する製薬の天才や刑務所問題など仰々しい題材にもかかわらず、この作品は人間の弱さに溢れている。
ジェフとアブネスティは友人だ。嘘はついていない。ふたりの友人たちは、本物の友人らしく互いを傷つけあっているのだ。
映画『スパイダーヘッド』の監督は、『トップガン マーヴェリック』の劇場公開で興行的な大成功を収めたジョセフ・コシンスキーだ。主演は筋骨隆々でハンサムなクリス・ヘムズワーズと、マイルズ・テラーが務めている。
そうそうたるキャストとスタッフを見ていると、どういう理屈でつくられたのかはっきりわかるだろう。大物監督にこの奇想天外な物語を咀嚼してもらい、膨らませてもらおうというわけだ。
原作の雰囲気を落とし込めていない
しかし、数々の批評で指摘されているように、この映画ではソーンダーズの原作がもつ独特な魅力が失われている。こうしたなか、ソーンダーズのお家芸ともいえる奇抜で空虚な感じのする用語、特に精神を操る薬品やデバイスの名前(「モバイルパック(MobiPak)」や「ヴォキャブラス(Verbaluce)」「ダークフロックス(Darkenfloxx)」)が映画に残されていた点は褒めるべきだろう。
そしてヘムズワースは、若干とぼけた演技をすることでソーンダーズに敬意を示そうと力を尽くしている。だが、映画の終盤の殴り合いやボートでの逃走をはじめとする映画オリジナルのシーンを観ていると、伝えたいことが何なのかわからなくなってしまう。
Netflixが管理する複雑で見づらいデータによると、米国における『スパイダーヘッド』の公開1週目の総視聴時間は3,500万時間だったようだ。奇抜な米国人作家の短篇を基に膨大な予算を費やしてつくられた非フランチャイズのSF映画なのだから、理論的に考えると大興奮しないSFファンはいないだろう。
しかし、残念ながら『スパイダーヘッド』の大部分は出来が悪く、残念な結果に終わっている。ソーンダーズの物語が秘めたポテンシャルの先に、もっとやれることがあったはずだからだ。
社会経済的な地位にもよるが、刑務所での奇妙な実験についての調査記事を読んであきれることも、自分でそれを体験することも、2022年の米国では確実に可能だ。適当に検索しただけでも、21年夏にアーカンソー州で新型コロナウイルス感染症の治療を受けていた4人の男性に関する記事が見つかった。
「患者たちは、ただちに視力障害や下痢、血便、胃けいれんなど、一連の副作用に悩まされるようになった。家畜に使われる抗寄生虫薬のイベルメクチンが同意なしで大量に処方されていたことがわかったのは、あとになってからだった」
この“同意”という素材を、監督のコシンスキーは作品の起爆剤として使っている。もしあなたが映画版の被験者だとしたら、最終的には誰かを殴るしかなくなるだろう。一方、ソーンダーズの原作の被験者から聞こえてくるのは、途切れることのない声なき叫び(と言えばいいのだろうか)だ。
身体的に屈強とはいえない俳優なら、ソーンダーズの作品をどんなふうに表現してくれたか考えずにはいられない。世界を前におびえ、打ちのめされているように見える俳優たちならどうだっただろうか。ジェシー・アイゼンバーグやマイケル・シャノン、ジェシー・バックリーが出演していたら、と想像は膨らむばかりだ。
メディア情報サイト「Mashable」は映画『スパイダーヘッド』をソーンダーズの原作と比較して、「映画『エクス・マキナ』の系統に連なる抑制の効いた内省的な密室SFに仕上がる可能性を原作は秘めていた」と指摘している。これは見事な比較で、読んでいると『エクス・マキナ』の愛すべきダンスシーンを思い出した。
『エクス・マキナ』の監督であるアレックス・ガーランドによると、あのダンスシーンは「雰囲気をぶち壊し、視聴者の目を覚ますもの」を映画に入れたいという直感から生まれたと語っている。視聴者は笑っていいのだ。笑うべきなのだ。
『エクス・マキナ』のなかでは絶え間なく恐怖が忍び寄り、そしてこのシーンがやってくる。このシーンにどんな意味があるのかは、また別の話だろう。
SF作品の本質が描かれていない
『スパイダーヘッド』を観たあと、SF的なチャーリー・カウフマンの映画や、過剰さをうまく生かしたポン・ジュノ監督の映画『スノーピアサー』、ワークライフバランスを寓話的に描いたApple TV+のドラマ「セヴェランス」についても考えさせられた。
上に挙げた作品は、とっぴでばかばかしいシーンが大半を占めている。Netflixのドラマ「ブラック・ミラー」の第1話では、首相が脅迫されてテレビに映された豚とセックスすることになる。客観的に見るととんでもないシリーズの始め方だが、このエピソードは個人的なお気に入りだ。壮大な二元論にとらわれていないSF作品は、どこかぬけていて、とても素晴らしいものになる可能性がある。
こうしたなか、映画『スパイダーヘッド』は、ラストシーンで最大の罪を犯している。ラストシーンは紋切り型のアクションシーンで、すべての登場人物はそこで「正しい」運命を確保しているのだ。
ソーンダーズの原作も、同じような過ちを犯していることは言及しておきたい。(もっとずっと複雑ではあるが)主人公が恐怖から逃れる方法が提示されている。
最高のSF作品とは、いま生きている世界が「どう見えるか」ではなく、それを「どう感じるか」を描くものだと定義づけるのであれば、声なき叫びを永遠に響かせておくことが誠実な展開というものではないだろうか。
(WIRED US/Translation by Taeko Adachi/Edit by Naoya Raita)
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