ペンローズ・タイルを量子誤り訂正符号に変換:量子コンピューター開発の新発見

数学者をはじめとする研究者の間で有名な非周期タイリングであるペンローズ・タイルと量子エラー訂正との間に数学的関連性があることが、ふたりの研究者によって証明された。周期的パターンをもたない図形が量子情報を守るとはどういうことだろうか?
ペンローズ・タイルを量子誤り訂正符号に変換:量子コンピューター開発の新発見
ILLUSTRATION: SAMUEL VELASCO/QUANTA MAGAZINE

バスルームの床にタイルを貼るなら、最もシンプルな選択肢は正方形だ。格子状に隙間なく並べられ、そのパターンが無限に続く。正方形が形づくるこの格子には、ほかの多くのタイリングパターンと共通する性質がある──全体をそのまま一定量ずらすと、元の模様とぴったり重なるのだ。しかし、多くの数学者にとってこのような「周期的」なタイリングは退屈だ。ほんの一部を見ただけで全体の模様がわかるのだから。

1960年代、数学者たちははるかに複雑で変化に富む「非周期的」タイル集合を研究し始めた。最も有名なものは、博学な物理学者でのちにノーベル賞を受賞するロジャー・ペンローズが70年代に考案した、2種類の菱形を使うタイリングだろう。この2種類のタイルを並べることで、さまざまに異なるパターンが無限に続く「ペンローズ・タイル」を形成できる。ただしこの場合、どのようにタイルを並べても周期的なパターンは決して得られない。

ブリストル大学の物理学者ニコラス・ブリュックマンは、「現実には存在するはずのないタイリング」だと言った。

半世紀以上にわたり、非周期タイリングは数学者および数学好きの人々、その他多くの分野の研究者を魅了してきた。そしていま、ふたりの物理学者が、一見無関係に思えるコンピューター科学の一分野と非周期タイリングとの間につながりを発見した──今後の量子コンピューター開発において、エラーを防ぐために情報をいかに符号化するかを探究する基盤になるものだ。査読前論文を掲載するサイトであるarxiv.orgに11月に投稿した論文で、ふたりはペンローズ・タイルをまったく新しいタイプの量子誤り訂正符号に変換する方法を示した。また、さらにほかの2種類の非周期タイリングを用いた同様の符号も構築した。

この意外なつながりはシンプルな事実から見つかった。非周期タイリングと量子誤り訂正符号には、システムのうちの一部を知っても全体については何もわからないという共通点があるのだ。

「このように、あとから振り返ってみれば見事なほど明白で、『どうして自分は気づかなかったのか』と思う、そういうことは時にあるものです」と、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの量子情報研究者であるトビー・キュビットは言う。

禁断の情報

通常のコンピューターは、0と1というふたつの異なる状態をもつビットを用いて情報を表す。量子ビット(qubitとも言う)にも同じくふたつの状態があるが、0と1の状態が共存する、いわゆる「重ね合わせ」の状態にもなりうる。多くの量子ビットで構成される精巧な重ね合わせ状態を利用することで、量子コンピューターは特定の計算を従来型のコンピューターよりもはるかに高速に実行できる。

だが、量子の重ね合わせは気まぐれだ。重ね合わせ状態にある量子ビットを観測すれば0か1どちらかの状態に収束してしまい、実行中の計算が台無しになる。しかも、量子ビットとその環境との間の相互作用が不安定であることによっても、観測による量子状態の崩壊が引き起こすものと同様のエラーが発生する。原因が研究者のおせっかいであれ、迷子になった光子の影響であれ、量子ビットが変にいじられれば計算は無効になってしまうのだ。

ロジャー・ペンローズは、非周期的なパターンのみを形成する2種類の菱形の組み合わせを考案した。彼の足元に広がる模様がそうだ。

PHOTOGRAPH: ANDREW FOX/ALAMY/AFLO

このように極めて壊れやすい性質を考えると、量子コンピューティングなど絶望的だと思えるかもしれない。しかし95年、応用数学者のピーター・ショアが量子情報をうまく保存する方法を発見した。彼のコーディングにはふたつの大きな特性があった。ひとつは、個々の量子ビットにのみ影響するエラーなら耐えられること。もうひとつは、発生したエラーを修正する手順を備えているため、エラーが積み重なって計算が頓挫する事態を防げることだ。これは史上初の量子誤り訂正符号であり、このふたつの特性はのちのすべての量子誤り訂正符号においても核をなす特徴である。

ひとつめの特性の原理はシンプルだ。秘密情報は分割されたほうが脆弱性が低くなる。スパイ組織のネットワークも同様の戦略を採用している。各スパイはネットワーク全体についてほとんど知らないので、たとえ個人が捕まっても組織に危険は及ばない。ただし、量子誤り訂正符号においてこのロジックはもっと極端になる。量子のスパイネットワークでは、一人ひとりのスパイは一切何も知らないが、ほかのスパイと出会えば多くの情報が入るのだ。

各種の量子誤り訂正符号は、集合的な重ね合わせ状態にある多数の量子ビットに量子情報をそれぞれ異なる方法で分散させる。この手順により、物理的な量子ビットの集まりが仮想的にひとつの量子ビットへと変換される。長い量子ビットの配列でこのプロセスを何度も繰り返すと、やがて演算の実行に使えるほど多くの仮想量子ビットが得られる。

各仮想量子ビットを構成する物理的な量子ビットは、陰で活動する量子スパイのようなものだ。ひとつを観測しても、そのビットが属する仮想量子ビットの状態は何もわからない。この性質を「局所的不可識別性」と呼ぶ。それぞれの物理量子ビットは情報を符号化していないので、ビットひとつのエラーで計算が台無しになることはない。重要な情報は、ある意味すべての場所に存在しているが、特定の場所には存在しないのだ。

「個々の量子ビットから情報を得ることはできないのです」とキュビットは言った。

いかなる量子誤り訂正符号でも、符号化された情報に影響を与えることなくひとつ以上のエラーを吸収できる。しかし、エラーが積み重なればやがてはみな屈してしまう。そこで登場するのが、量子誤り訂正符号のふたつめの性質、実際のエラー訂正である。これは局所的不可識別性と密接に関連している。個々の量子ビットでエラーが起きても情報は何も破壊されないので、それぞれの訂正符号特有の手順を用いれば、いかなるエラーも常に修正可能なのだ。

バスに乗って

カナダのウォータールーにあるペリメーター理論物理学研究所でポスドクをしていたジー・リーは、量子誤り訂正の理論をよく知っていた。しかし、2022年の秋に同僚のレイサム・ボイルと会話を始めた時点でその話題はまるで頭になかった。ふたりはウォータールーからトロントへ向かう夕刻の便のシャトルバスに乗っていた。非周期タイリングの研究者であり現在エディンバラ大学に所属するボイルは、当時トロントに住んでおり、渋滞にはまることも多いそのバスをしょっちゅう使っていた。

「普段はさんざんな移動でした」とボイルは言う。「でも、あの日は最高の時間になりました」

その運命の夜が訪れる前もリーとボイルは互いの研究内容を知っていたが、研究分野が直接重なることはなく、1対1で話したことさえなかった。しかし、非周期タイリングと無関係な分野を専門とする数多くの研究者と同様、リーもその研究に興味をもっていた。「無関心でいるほうが難しいです」と彼は言う。

ボイルが局所的不可識別性という特性にについて言及したとき、リーはそれまで単に興味があっただけの非周期タイリングにすっかり心を奪われた。この研究分野において、局所的不可識別性という言葉は特別な意味をもつ。同じ2種類のタイルの組み合わせにより、全体で見れば異なる模様のタイリングが無限に生成されるが、一部の領域のみを調べてもほかのタイリングと区別することはできない。なぜなら、どれほど大きな有限の領域でも、ほかのあらゆるタイリングのどこかにも同じパターンが現れるからだ。

「もしわたしがあなたをひとつのタイリングの中に座らせ、生涯かけてそこを探索させても、あなたはそこがそのタイリングなのか、あるいは別のタイリングなのかを決して知ることができません」とボイルは言う。

予測不可能なタイリング
ペンローズ・タイルのような非周期タイリングは、単純な繰り返しパターンにはない特殊な性質をもつ。
周期的(PERIODIC)
正方形のタイルは、ずらせばほかの部分と重なる周期的なパターンを形成する。
非周期的(APERIODIC)
この2種類のタイルで単純な繰り返しパターンをつくることはできない。
局所的不可識別性(LOCAL DISTINGUISHABILITY)
ふたつのペンローズ・タイルは等しくないが、一方に存在するあらゆる有限の領域は他方にも現れる。
※個々のペンローズ・タイルの縁のへこみは、わかりやすくするためタイリングの図からは省略されている。


ILLUSTRATION: MERRILL SHERMAN/QUANTA MAGAZINE

リーにとって、これは量子誤り訂正における局所的不可識別性の定義と驚くほど似ていると思えた。彼がその関連性について話すと、ボイルもすぐに魅了された。量子誤り訂正と非周期タイリングの基礎となる数学はそれぞれ異なるものだったが、その類似性は座視できないほど興味深かったのだ。

リーとボイルは、非周期タイリングの集合をベースとした量子誤り訂正符号をつくることで、両分野の間の局所的不可識別性の定義をさらに緻密に関連づけられないだろうかと考えた。ふたりは2時間のバス移動の間話し続け、トロントに到着する頃にはそのような符号の開発が可能だと確信していた。あとは、それが可能であることを厳密に証明すればいいだけだ。

量子タイル

リーとボイルは、シンプルかつなじみのあるペンローズ・タイルを出発点にすることにした。そのタイリングを量子誤り訂正符号に変換するためにはまず、この特殊な環境で量子の状態とエラーがどのように表れるかを定義しなければならない。この点は簡単だった。ペンローズ・タイルで覆われた無限に拡がる平面は量子ビットの格子のようなものなので、量子物理学の枠組みで説明できる。量子状態を0と1の代わりに特定のタイリングとして考えるのだ。エラーが起きてもタイリングパターンのうちの一部が欠けるだけであり、それは量子ビット配列内で起きたエラーが量子ビットの小さな集合を消すのと同じである。

次のステップは、通常の量子誤り訂正符号における仮想量子ビットのように、局所的なエラーの影響を受けないタイリング構成を突き止めることだった。解決策は、通常の符号と同様、重ね合わせを利用することだ。慎重に選ばれたペンローズ・タイルの重ね合わせは、世界一優柔不断なインテリアコーディネーターが提案した浴室のタイル模様に似ているかもしれない。ごちゃごちゃした設計図の一部がほんの少しでも欠けていれば、全体の模様に関する情報はいっさい得られないのだ。

ジー・リーは、量子誤り訂正符号と非周期タイリングが備える同じ名称の性質の間に興味深い類似点があることに気づいた。

COURTESY OF ZHI LI

このアプローチを成功させるためにはまず、異なるペンローズ・タイル間の違いにおけるふたつの性質を区別する必要があった。いかなるタイリングでも、任意の方向にずらしたり回転させたりすることで無限に新しいタイリングを生成できる。このようにして生成されたタイリングはすべて「同値類」と呼ばれる。

しかし、すべてのペンローズ・タイルがひとつの同値類に属するわけではない。ある同値類に属するタイリングを、回転と平行移動を組み合わせて別の同値類のタイリングに変換することはできない。無限に拡がるそれらの模様は質的に異なるのだ。それでも、局所を見て識別することはできない。

同値類内の違いとその枠を越えた違いを区別することで、ついにリーとボイルは誤り訂正符号の構築を実現した。通常の量子誤り訂正符号では仮想量子ビットを物理量子ビットの重ね合わせのなかに符号化することを思い出そう。タイリングベースの符号においてこれと類似の状態は、ひとつの同値類に属するすべてのタイリングの重ね合わせである。この種の重ね合わせ状態にあるタイルで平面を充填する場合、全体の量子状態に関する情報を一切明らかにせず並べていく手順が存在する。

「ある意味ペンローズ・タイルは、量子コンピューターが発明される前から量子エラーの訂正について知っていたのです」とボイルは言う。

リーとボイルのバスでの直感は正しかった。掘り下げてみれば、ふたつの分野の局所的不可識別性の定義自体が区別不可能だったのだ。

パターンを見つける

数学上はうまく定義されたが、リーとボイルが開発したコードは実用的とは言えなかった。ペンローズ・タイルの辺は一定の間隔で配置されないので、分布を示すためには離散的な整数ではなく連続性のある実数が必要になる。一方、通常の量子コンピューターには量子ビットの格子のような離散的システムが用いられる。しかも、ペンローズ・タイルが識別不可能なのは無限平面上の局所においてのみであり、有限の現実世界には簡単に当てはまらない。

レイサム・ボイルはリーと協力し、非周期タイリングに基づく量子誤り訂正符号を構築した。

PHOTOGRAPH: ELINA MER

「非常に不思議な関連性です」と、デルフト工科大学で量子コンピューティングを研究するバーバラ・テルハルは言う。「でも、実用を目指す価値はあるでしょう」

実用化への一歩として、リーとボイルはすでに基礎となる量子系が有限である場合と離散的である場合の2種類のタイリングベースのコードを構築している。離散的なコードも有限化することはできるが、ほかの課題が残る。最も一般的な量子誤り訂正符号はランダムに分散したエラーに対処できるが、いずれのタイリングベースの有限の符号もクラスター化されたエラーしか訂正できない。これがタイリング符号の本質的な限界なのか、それとももっと巧妙に設計すれば解決できるのかはまだわからない。

「ここから継続して行なえる研究がたくさんあります」とブリストル大学の物理学者フェリックス・フリッカーは言う。「優れた研究は皆そのようにして探究を続けるべきです」

理解を深める必要があるのは技術的に細かい部分だけではない。今回の新発見は根本的な問題も提起している。次にとるべきステップとしてひとつ確かなのは、ほかにどのようなタイリングがコードとして機能しうるかを知ることだ。つい昨年、1種類のみで非周期タイリングをつくり出せる図形が発見された。「このような最近の進歩が量子誤り訂正の問題とどのように結びつくのか、それがわかったらとてもおもしろいでしょう」とペンローズはメールで述べた。

別の方向性の研究としては、量子誤り訂正符号と特定の量子重力モデルとの関連性を探ることもできる。20年の論文で、ボイル、フリッカー、そして故マデリン・ディケンズはその種のモデルの時空幾何学に非周期タイリングが現れることを示した。しかし、その関連性が見られるタイリングの性質は、リーとボイルの研究においては何の役割も果たさない。量子重力、量子誤り訂正、そして非周期タイリングは、まだようやくその輪郭が明らかになってきたばかりのパズルピースであるようだ。非周期タイリング自体の研究もそうだが、これらのピースがいかにして組み合わさるのかを解明するためには極めて細かな作業が必要だろう。

「これらの異なる要素を深い部分で結びつけるものがあるはずです」とフリッカーは言う。「そのつながりはわたしたちの興味をかき立てながら、解明される日を待っているのです」

※本記事は、サイモンズ財団が運営する『Quanta Magazine』(編集については同財団から独立)から許可を得て、転載されたオリジナルストーリーである。同財団は、数学および物理・生命科学の研究開発と動向を取り上げることによって、科学に対する一般の理解を深めることを使命としている。

(Originally published on Quanta Magazine, translated by Risa Nagao/LIBER, edited by Michiaki Matsushima)

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