死者の精子を採取して妊娠することは間違いではない

生涯添い遂げることを約束した夫に先立たれたとしても、その故人の精子を使って妊娠することのハードルが米国では下がりつつある。医学会が設けたガイドラインによれば、同意が故人と取れており、それが書面に書かれていれば問題ないとされているが、倫理面において賛否が分かれている。
死者の精子を採取して妊娠することは間違いではない
Photo-Illustration: Wired Staff; Getty Images

テレビ報道記者のディラン・ライオンズがフロリダで2023年の始めに殺害されたとき、彼の婚約者は大きなショックを受けた。ライオンズは、婚約者と彼の間に子どもを授かることを夢見ていたという。そんな彼の意志を継ぐことを望んでいるだろうと思った彼女は、泌尿器科医に連絡をとり、ライオンズの遺体から精子を取り出すことに成功した。そしていま、ライオンズの婚約者は、ライオンズの子どもを妊娠するために体外受精を実施する予定だという

死んだ夫の精子を使って妊娠するために闘う、悲嘆に暮れる女性たちの話は、世界中で話題になることが時折ある。保守的な考えをもつ人々は、この技術は「不自然」であり、子どもたちを「父親がいない世界」に引きずり込むものだと非難する。また、性の問題と死にまつわる問題が混ざっていることから、こうした話題に不快感を示す人々もいる。

それでも専門家によると、1980年の研究で初めて事例が報告されたこの技術に対する要望は、明確な統計はないものの、この数年間で増加しているという。死体から精子を取り出す方法そのものは単純で、通常は小さな外科的処置を伴う。だが、精子の採取を求める人たちは、多くの倫理的な壁に直面している。

立ちはだかる同意と倫理の壁

米国の多くの施設は、米生殖医学会(ASRM)の倫理委員会が2018年に設けたガイドラインに従っている。ASRMのガイドラインは、いくつかの問題に関しては単刀直入に記している。死後精子回収(PMSR)の希望について、明確な説明と同意が故人によって書面に起こされているのであれば、精子の採取は倫理的だというのだ。

一方で、故人がその行為を望んでいないことが明確に記されていた場合は、いかなる要求も拒否される。また、この要求をするにあたっては、家族の誰よりも配偶者に優先権が与えられていることも明記されている。

しかし、「ドナーの明確な許可」が得られることはまれであると、スタンフォード大学生物医学倫理センターのディレクターを務めるデヴィッド・マグナスは語る。誰も不測の事態で死ぬとは思っていないからだ。また、死亡時に臓器提供の希望を聞くことは一般化されているが、PMSRについては聞かれることはない。夫婦が不妊治療プログラムに参加し、死後の遺伝物質に関する意思を明確に宣言しなければならなかった場合を除いて、同意の明確な証拠を提出できるのは例外的なことだと言える。

もうひとつの障壁となるのが、この処置に設けられている死後24時間以内の採取というカットオフポイントだ。しかし、マイアミ大学が発表した臨床報告では、死後106時間(4日以上)まで精子は生存能力があることが判明した。

この進展により、PMSRはより多くの人々にとって選択肢となるかもしれない。その結果、黙示の同意にどのような判断を下すことができるのか、悲しみのどん底にいる人々がこうした重大な決断を下せるのかといった、多くの倫理的問題が提起されることになるのだ。

イギリスに拠点を置く臨床泌尿器科医であり、研究所の所長を務めるグラム・バハドゥールは、死後生殖について「医学のあらゆる分野で遭遇する最も過酷かつ困難で、倫理的に繊細な難問のひとつです。これには、複雑な道徳的、倫理的、そして法的な懸念があります」と、04年に説明している。死や故人に関連するほかの決断と同じように、軽々しく扱ってはならない問題なのだ。

子どもをつくることは基本的な権利

死者は敬意をもって扱うべき存在であり、その人が望んだであろうことを実行するときには誠意を持って行動すべきである、という考えがほとんどの社会の根底にある。このことは、死体への配慮や遺言の存在、そして死に際の願いが尊重されていることを見れば明らかだ。

死者の利益を保護することは非常に重要である。このため、死後の選択に関して黙示の同意が存在することはありえないと疑う人も存在するのだ。実際ASRMによると、PMSRを禁じている司法管轄区は、死者に対するほかの犯罪と同じように、「精子の採取は、死者の遺体に対する許されない侵害とみなしている」という。

たとえ誰かが実子を望んでいたとしても(例えば生前に積極的に子どもを授かろうとしていたとしても)、死んだあとに親になることを望んでいたとは考えられないと、批評家は主張する。ケンタッキー大学で家族科学の教授を務めるジェイソン・ハンスが主張しているように、「死んだあとに親になると、親として生きることを意義深いものにしてくれる経験を得られない」という意見もある。死んでしまうと、命を落とした父親には何の利益もないということだ。

しかし、経験という観点から見ると、死んだ父親には何の害もないということも考えなくてはならない。ASRMも問いかけているように、「死者にはそもそも利害関係があるのだろうか。死人に害が及んだり何かを得たりすることはあるとは思えない」と考えることもできるのだ。

死後に親になることは、本質的に非倫理的なものではないという事実を説明するものではある。だが、精子の採取は故人が望んでいたことなのか、もしくは、少なくとも反対していなかったのかをわたしたちは見極めなくてはならない。そのための最善の方法は、故人と最も近かった人物を信頼することだと、マグナスとハンスは語る。

マグナスによると、これはほかの終末期医療で実施されている手法を利用することで可能になるという。医療チームは、患者が何を望んでいたかを文書化することなく終末期の決断を下すことがよくある。遺言を事前に残す患者は20〜30%程度しかいないのだ。

医師たちは家族に判断を委ねることもある。「わたしたち病院の者よりも(家族のほうが)、この人のことを知っていますから。入院して初めてお会いしましたし」と言うことがあると、マグナスは語る。

「子どもをつくるかどうかの決断が、生きるか死ぬかの決断より必ずしも重みがあるとは言い切れません」と、マグナスは主張する。「そのような状況では、愛する人が決断を下すことを認めるべきではないでしょうか」。ハンスもこれには賛同しており、「残された配偶者が精子の採取を求めた際に、故人はそれに同意したとみなすことはできますし、そうあるべきだと思います」と付け加えている。

さらに、ジュリアン・サヴァレスキュのような思想家が現実的な観点から主張しているように、このような状況では同意を前提とすべきである。同意を深く望んでいるパートナーのため、そして子どもがいたほうがよいと思えば、子どものためにもなるからである。ハンスが言うように、「米国の最高裁判所では、子づくりは基本的な法的権利とみなされている」ことから、同意が得られるはずの片方の親がもう生きていないからといって、この権利は変わらないはずだ。

もうひとつ考慮すべき点として、将来的に生まれてくる子どもの生活が挙げられる。特に、父親のいない子どもをこの世に送り出すことは倫理的ではないといった心配や、多くの期待をもたせて子どもを産むことは不公平だといった懸念があるかもしれない。

だが、シングルマザーは精子ドナーによる生殖補助医療を受けることは可能であり、しばしば受けている。また、世の中の子どもたちの大半は、生まれる前や生まれた直後に親を亡くしている場合が多い。このような子どもたちが存在すべきではないという意見や、こうした子どもたちは生きる価値がないといった議論は存在しないのだ。

PMSRの目的は子づくりだけではない

マイアミ大学の症例報告によって、精子の採取に推奨される24時間という時間枠が変更される可能性がある。だが、死後数日のうちに、このような重大な決断を遺族に迫ることが倫理的に許されるのだろうか、という疑問は問い続けなければならない。

遺体の尊厳が社会全体においてまだ一般的に絶対的なものとみなされているのであれば、採取を開始することの心理的な余波に人々はどのように対処するのだろうか。また重要な点として、ASRMは、「悲しみを乗り越えカウンセリングを受けるための十分な時間」を確保するためにも、配偶者が精子を使用するまで少なくとも1年は待つよう定めている。

結局のところ、遺族は精子を使えるようになるまで1年ほど待たなければならない。このため、遺族らは悲嘆に暮れている間は子どもを身ごもるという決断は避けつつ、精子を使う選択肢を残すことができるのだ。

精子の採取を実施することに対するリベラル寄りの反対意見には、遺伝的な血統に固執し、伝統的な異性愛を規範とする家族の概念に頼りすぎているというものがある。また、このような処置を受けられるのは、かなり裕福な人たちだけであることも見逃せない(一般的に不妊治療には健康保険が適用されないことが多いので、こうした前衛的な処置にも適用されることはないだろう。また、凍結保存された精子には多額の保管費用がかかるのだ)。だが、これらの問題は、不妊治療の不公平さと同じように、実子をもとうとするあらゆる積極的な試みにも当てはまるものなので、精子の採取に限られた問題ではない。

興味深いことにPMSRのほとんどの症例では、配偶者のほとんどが生殖補助医療に亡くなった配偶者の精子を使うことはないと、マイアミ大学の医学博士で臨床報告書の著者であるランジス・ラマサミーは語る。「人々は気持ちを切り替えていくものです。こうした処置を望む大きな理由は、子どもを産むことではなく気持ちの区切りをつけること、そして選択肢を少なくとも用意しておきたいのだと思います」と、ラマサミーは語る。

深く考えずにPMSRを実施してはならない。故人が生殖補助医療に同意していないことが明らかな場合、倫理に反することは明らかだからだ。しかし、多くの場合、PMSRは倫理的に許されるものであり、子孫を残す権利を行使する方法として、また悲しむ権利を行使する方法として、人々が望むように妊娠することは許可されるべきである。

悲しむ人がどのように悲しむかを決められるのは当人しかいないはずだ。死者が言葉を発せないのであれば、故人を最もよく知る人々が死後の未来について決定するのがいちばん適切だと言えるだろう。

「PMSRはひとつの悲嘆の過程とも言えます」と、スタンフォード大学のマグナスは付け加える。「人々は、愛する人に少しでもしがみつこうと必死なのです」

WIRED US/Translation by Naoya Raita)

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