深海で発見された「10カ月前のサンドイッチ」は、なぜ腐らず“新鮮”でおいしかったのか?

深海に沈んだ潜水艇で約10カ月後に発見された昼食用のサンドイッチやスープが、なぜ腐敗せずおいしく食べられる状態だったのか──。この謎を解く鍵は、深海における微生物の働きにあった。
Bologna Sandwich
Lauri Patterson/Getty Images

マサチューセッツ州南東部のマーサズ・ヴィニヤード沖で、潜水艇「アルビン号」が事故に遭ったのは1960年代後半のことだった。乗組員3名を乗せた球形の白い船は、潜航するため海中に下ろされていた途中でケーブルが切れ、沈み始めたのである。

乗船していた科学者はショックを受け、軽い打撲傷を負いながらもどうにか船外に脱出した。しかし、アルビン号はハッチを開けたまま降下し続け、最終的に水深約4,500フィート(約1,372m)の海底に沈没した。そんな情けないとも言える状況になってしまったのである。

この潜水艇は完成から数年しか経っていなかったが、すでにさまざまな任務をこなしていた。例えば、66年にスペイン沿岸上空で軍用機2機が衝突した際には、落下してしまった70キロトンの水爆の回収に貢献している。今度はアルビン号が助けてもらう番というわけだ。

沈没から10カ月が経った“ランチ”の味

沈没から10カ月後、アルビン号は海底から引き揚げられた。この件は現在も活躍するアルビン号にとっては、ささいなことにすぎない(もっとも定期的に部品を交換しているので、建造時の潜水艇を構成していた部分は現存していない)。

だが、この事故によって貴重なものが残された。それは、不思議なことに保存状態がいいランチだった。アルビン号の乗組員は必死に脱出したとき、サンドイッチ6つ、ブイヨンスープ入りの魔法瓶2本、リンゴ数個を船内に置いてきたのである。

アルビン号が回収された後、この水浸しになっていた“ごちそう”の状態に、ウッズホール海洋研究所(WHOI)の研究者は驚いた。リンゴは海水で少し塩漬けになったようだったが、それ以外は劣化していなかった。サンドイッチはいい匂いで、具のボローニャソーセージ(アルビン号が沈没した68年のもの)はまだピンク色だったのだ。

しかも、リンゴもサンドイッチもおいしかった。研究者は実際に少し食べて確かめたのだ。魔法瓶は水圧でつぶれていたが、中に入っていたスープを温めると、リンゴやサンドイッチと同様に「申し分なくおいしかった」という。

深海のほうが腐敗が遅いという研究結果

回収されたランチが腐敗する前に科学者が急いで調査したこの観察結果は、71年に科学誌『Science』で発表されている

ランチが冷蔵保存されてから数週間で腐敗する前に、研究者はボローニャソーセージをかじるだけでなく、食品の化学的性質や食品に集まってきた微生物の活動も測定した。その結果、深海と海面上とで同じ温度に調整した場合、食品の腐敗は深海のほうが海面上より100倍遅いという結論に達したのである。

そこで、なぜ深海のほうが食品の腐敗が遅いのかが問題となった(ちなみにこの問題は何十年間も研究者を悩ませている)。60年代当時の研究者たちは、寒冷で高圧の深海で実験したことがほとんどなかったのだ。

一方で研究者たちは、深海には極限の状況でも有機物を分解できる微生物が数多くいると推測していた。深海では研究者の推測より微生物の数が少なかったのかもしれないし、推測とは異なる種類の微生物がいたのかもしれない。

もしくは、酸素が十分ではなかったのかもしれない。あるいは単に寒冷すぎたのか、高圧すぎたのか。答えを出すことは困難だった。しかし、時が経ち、炭素の固定に海が果たす役割について科学者の理解が進むにつれ、この保存状態のいいランチの謎の核心にある問題は、より差し迫ったものになっている。

深海の微生物ならではの特性が明らかに

人間が大気中に放出した炭素の約3分の1は海に吸収され、その大半は海底の最深部に貯蔵されると考えられている。このため、炭素が海中に吸収される量と大気中に戻る量を、正確に把握することが重要だ。

その量を把握することが特に重要なのは、炭素の循環プロセスを操作したい場合である。例えば、光合成で空気中の炭素を除去して藻を生やす海草を育ててから、それを深海の海溝に定着させて炭素を貯蔵する取り組みのような場合だ。

研究者にとって深海炭素の研究が困難な理由は、主に海底の状態を海面上で再現することが難しい点にある。研究者は通常、微生物の活動を測定できる機器を備えた調査船のデッキに海水を汲み上げる。ところが、それによって海底の状態について食い違いが生じるのだと、ウィーン大学の生物海洋学者のゲルハルト・ヘルンドルは説明する。

微生物は船上では、得られる養分を総じて喜んで食べる。それどころか、船上での微生物の食欲はとても旺盛で、船上での観察はほとんど意味がない。

微生物が得られる養分量を船上と深海とで比べると、船上のほうが深海よりはるかに多い。このため、船上で微生物の食欲が旺盛であって当然なのだ。「海面上でこの種の測定をすると、常に食い違いが生じます」と、ヘルンドルは語る。

そこでヘルンドルのチームは、船上での観察ではなく、はるか昔のアルビン号のサンドイッチの例に従って新たな実験に挑戦した。実際に微生物が生息している場所に自律型装置を設置して微生物を培養すると、深海では微生物が養分を喜んで食べる場合が海面上よりはるかに少ないことに、すぐに研究チームは気づいたのだ。

そして、この違いをもたらす要因は「圧力」であると指摘したヘルンドルのチームの研究論文が、このほど『Nature Geoscience』に掲載された。深海には超高圧の環境を好む微生物、いわゆる好圧性微生物が生息しており、うまく代謝をしている。

しかし、この種の微生物はヘルンドルが調査した微生物群のごく一部であり、全体の約10%にすぎない。それ以外の微生物は深海にはあまり適応できていなかったのだ。水深がもっと浅い環境なら適応していたのかもしれないが、深海まで沈んでしまっていたのだろう。

深海での実験から見えてきたこと

ヘルンドルのチームは貴重な機会を生かし、こうした実験を世界中で繰り返した。世界の海盆をつないで1,000年以上かけて一周する栄養豊富な水のベルトコンベヤー(メキシコ湾流を含む)から、サンプルを採取したのである。

ヘルンドルによると、それは深海科学者だけが参加する航海だった。研究チームには時間の余裕があり、厄介な浅瀬を巡るわけでもなく、藻類研究者に気を揉まれることもなく、水深4,000mの海中で実験を進めた。そして何時間もかけて深海から水を汲み上げたのだ。

こうした新しい手法による実験結果から、先行研究における大きな食い違いを示すデータを得られたのだと、マイアミ大学の海洋学者で今回の研究には携わっていないヒラリー・クローズは言う。「過去の測定に不備があったことがわかりました」。つまり、深海で微生物が有機物を分解する働きを抑えているのは、圧力なのである。

物質の分解を抑える要因は、ほかにも数多くある。そうした要因のひとつに、深海に沈んでいる炭素の大半が昔のものであることも挙げられる。WHOIの調査によると、炭素は数万年も前のものだという。このような炭素系分子は時間の経過によって酸化しているので、深海の微生物の食欲をそそらない。

炭素系分子より新しく、微生物にとって“おいしい”物質もある。しかし、微生物の多様性が原因で、そのような物質の分解が遅くなっているという説もある。特定の分子の分解に適しているのは、多様な微生物のうちほんの一部に限られるからだ。

さらに圧力の制約もあるので、炭素が二酸化炭素(CO2)に戻る速度は特に速いわけではない(こうした要因から、アルビン号のランチに関する当初の仮説の多くが部分的には正しいことがわかる)。

“教訓”としての深海のサンドイッチ

これらを総合して考えると、深海に計画的に炭素を固定する取り組みにとっては好都合かもしれない。アルビン号のサンドイッチ(そして海草やその他の物質のバイオマス)が呼吸する微生物によって分解されると、そこから発生した炭素は原則として気体(ガス)となって大気中に放出される可能性が高くなる。

しかし、微生物がサンドイッチを食べないなら、それでも構わないのではないだろうか。バイオマスは分解されず、そのまま深海に沈んだ状態でいることになる。

かつてヘルンドルは、この種の事例の正しさを自らの研究が証明していると確信していた。ところがいまは、深海に計画的に炭素を固定する取り組みに疑問を感じている。

ヘルンドルによると、海中に大量のバイオマスを投入する手法は、あまりに複雑な点が多すぎるという。クジラの死骸や大量の海草をいきなり海に投げ入れると、微生物の活動がいつになく活発になるかもしれない。

微生物の活動が活発になる理由は、いくつかある。ひとつはクジラの死骸などのバイオマスには、深海に沈む前の浅い海を漂っている段階で、すでに大量の微生物が付着しているかもしれないことだ。微生物は深海の極限の状況で動きが遅くなっても、そのまま深海にいて空腹のはずである。

あるいはクジラの死骸は、その上を流れる水の圧力によって、死骸に含まれる炭素が実際に閉じ込められるほど深く沈む前に分解されてしまうのかもしれない。もしくは、微生物の活動が活発になるか否かは、クジラの死骸が海底に沈む場所や、そこで食物を探す生物群の正確な構成に左右されるのかもしれない。

海洋学者のクローズによると、微生物の活動が活発になる理由は微妙かつ極めて特殊であり、特によくわかっているわけではないという。「深海で何が微生物の代謝率を調整しているのか、知る必要があります。微生物はどのような種類の有機物に反応しているのでしょうか? そうした有機物の分解に微生物は適しているのでしょうか?」

その上、外洋の深海では養分の分解は遅いかもしれないが、海底の一部では生物が比較的多いことも挙げられる。ヘルンドルは海底にあるクジラの死骸の観察結果について、次のように語る。

「クジラの死骸は驚くほど速く分解されています。海草を海中に投げ入れても同じことが起きるでしょう。ですから、わたしはこのような地球工学的な考えはかなり疑わしいと思っています」

このような懐疑論は、アルビン号に放置されたランチをWHOIの研究者が調査した 70年代にも存在していた。当時は、いまとは異なる地球工学が話題になっていた。それは、大量の有機廃棄物を海中に沈めて海を肥沃にすることで食物連鎖を支え、魚の個体数を回復させるという手法である。

当時の研究者たちは、保存状態がよかったアルビン号のランチを「教訓」とみなしていた。つまり、深海には神秘的で驚異的なことが依然として残っており、人間が完全に理解していない化学的・生物学的プロセスがあることを気づかせてくれるものだと考えていたのだ。

そのうちいくつかの謎は解明されたとはいえ、深海には解明されていない問題が残っている。それが依然として真実なのである。

WIRED US/Translation by Madoka Sugiyama/Edit by Daisuke Takimoto)

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