20周年を迎えた『ロード・オブ・ザ・リング』、造形作家リチャード・テイラーが語る「中つ国」のヴィジュアルの秘密

英国の文学者J.R.R.トールキンの代表作といえば『指輪物語』や『ホビットの冒険』。ファンタジーの金字塔ともいえるこの作品が初めて映像化されてから20年が経った。その美しい世界観はいかにつくられたのか。これからの造形技術のあり方はどう進化していくのか──。監督と二人三脚で世界観をつくり上げ、アカデミー賞を数々の部門で受賞した造形作家のリチャード・テイラーに訊いた。
The Lord of the Rings
©Sara Orme

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映画『ロード・オブ・ザ・リング』と聞いて、どんなヴィジュアルを思い浮かべるだろう。

主人公のホビットのサム、とがった耳のエルフのレゴラス、白いあごヒゲの魔法使いガンダルフ──。多くの魅力的なキャラクターが、トールキンが生み出した「中つ国(なかつくに)」で友情を育み、戦いを繰り広げてきた。

英国の文学者​​J.R.R.トールキンは1954年に『指輪物語(The Lord of the Rings Vol. 1. The fellowship of the ring)』を出版した。『指輪物語』は1937年に出版された『ホビットの冒険(The Hobbit, or There and Back Again)』の続編にあたる。これらの作品は同じ中つ国が舞台となり、先に『指輪物語』が2001年に『ロード・オブ・ザ・リング』3部作として映画化され、2012年に前日譚である『ホビット』3部作も映画化された。

トールキンの作品に共通する中つ国には、ホビット、エルフ、ドワーフ、オーク、トロル、人間など、多くの種族が暮らしている。荒涼とした大地、緑が深い森のなか、雄大な滝、砂漠など、映画で描かれたその壮大な世界観に多くの人が魅せられたはずだ。

ガンダルフに率いられる旅の仲間たち

©️2021WBEI

この映画のロケーションのすべてが、ニュージーランド国内で撮影されていることをご存知だろうか。

例えばホビットたちが住む緑豊かな牧草地は、ワイカト地方の町・マタマタ。ナイフで切りつけたフロドが傷を癒した“裂け谷”はカイトケ公園、森の中でホビットたちが黒の乗手から身を隠すシーンが撮影されたのはマウント・ヴィクトリアだ。

監督のピーター・ジャクソンをはじめ、ニュージーランド出身者が多い本作。キャラクターの造形や背景セット、衣装などの世界観を生み出したのはニュージーランドの造形スタジオWētā Workshopだ。

Wētā Workshopの創設者で造形作家、映像プロデューサーのリチャード・テイラーは、『ロード・オブ・ザ・リング』や『ホビット』はもちろん、『第9地区』などのピーター・ジャクソン作品の多くにかかわり、アカデミーメイクアップ賞、視覚効果賞など、数々の賞を受賞した。『ロード・オブ・ザ・リング』の20周年を機に、リチャード・テイラーに、『ロード・オブ・ザ・リング』のクリエイティヴと世界観について訊いた。

リチャード・テイラー | RICHARD LESLIE TAYLOR
1965年、ニュージーランド生まれ。1989年『ミート・ザ・フィーブルズ』の制作でピーター・ジャクソンと知り合い、以後、2人の共同作業が始まる。1987年にWētā Workshopを設立。ピーター・ジャクソン映画全般にかかわり、『ブレインデッド』でシッチェス・カタロニア国際映画祭特殊効果賞(1992年)、ポルト国際映画祭特殊効果賞(1993年)を受賞。1993年にWETAデジタルを設立。『ロード・オブ・ザ・リング』では特撮、衣装制作、特殊メイク、小道具、ミニチュア制作を担当しアカデミーメイクアップ賞(2001年)、アカデミー視覚効果賞(2001年)、英国アカデミー賞メイクアップ&ヘア賞(2001年)を受賞した。写真はドワーフのギムリを演じるジョン・リス=デイヴィスに特殊メイクを施すリチャード・テイラー。


©Wētā Workshop

──『ロード・オブ・ザ・リング』の企画が始まったのは20年以上前になります。どのような経緯で、この作品に携わったのでしょうか。

当時のことを話し始めると、一日あっても足りないくらいです(笑)。映画の企画がスタートする段階で、ピーター・ジャクソン監督から直接話をいただきました。ピーターの話を聞いているときから、世界中にいるトールキンファンの期待の大きさをひしひしと感じていました。

みなさんも「映画はよかったけれど、原作のほうがいいよね」という感想を耳にしたことがあると思います。わたし自身も口にしたことがありますが、原作がある作品の映像化はどうしてもこういう感想が出てきてしまいます。それぞれの人が原作の文章から抱くイメージは違いますからね。

映像化にはどうしても予算という制限があります。さらに映画化となると、監督ひとりの想像力を具現化していくことで、監督の解釈の仕方に左右されることが大きい。それがほかの人の想像力に匹敵するかどうかにかかってきます。こうした大きな期待と限界があるなかで制作をするには『よいものをつくりたい』という強い決意が必要だと感じました。

当時、わたしたちはテレビ番組やニュージーランド国内だけで公開される映画のような小規模な仕事が多く、スケールが大きい映画の制作経験があるわけではない状況でした。自分たちがワクワクできるようなチャンスに恵まれていなかったんです。そういう状況でこの話をいただいて、リスクを背負う恐怖感はありましたが、このチャンスに賭けたいと思いました。

ニュージーランド南島で『ロード・オブ・ザ・リング』を撮影する映画スタッフ。

©️2021 WBEI

──当時、大規模な映画の制作経験が浅かったということですが、結果的に『ロード・オブ・ザ・リング』3部作ではリチャードさん自身も多くの部門でアカデミー賞を受賞し成功を収めました。そういう意味では、多くの人がイメージしたものに近いヴィジュアルをつくることができたということでしょうか。

わたしは監督でも脚本家でもないので、物語を左右するような何かを生み出すことはできません。しかし、わたしたちスタッフは世界中のファンが期待するような世界観を、実際に“息づいているような環境”としてみなさんの前につくり出すという使命がありました。ファンタジーであれ、SFであれ、監督や脚本家がつくりだした世界観に、小道具や武器や登場人物の造形などで付加価値を与え、より高い映像レヴェルにしていく役割です。

例えばエルフの耳を見たときに『あれはつくりもので人間の耳に糊付けしてできているものだな』と頭に浮かぶようなものではなく、「先のとがった耳をもつ種族が本当にいるんだ」と無意識に思えることが、「中つ国」が実際に存在するような環境をつくり出すために重要です。

©Wētā Workshop

──現実には絶対にないフィクションをリアルに感じさせるために、どのようなことに気をつけているのでしょうか。

日ごろからスタッフに「想像力を働かせてごらん」とよく言うのですが、例えば飛行機に乗り、中つ国にある空港に到着したとしたら、飛行機から降りたときにどんな世界が目の前に広がっているか。飛行機で東京やシドニーの空港に着くのと同じように、その空間に降り立ったときに広がる世界を考えてみるのです。

そこに行き交う人々、そこにいる人たちが着ている服、環境、雰囲気、世界すべてが物理的にそこに存在するように、「中つ国が確かにそこに存在している」という意識でプロジェクトに携わりましょう、とスタッフに話しています。

──撮影はニュージーランドの自然のなかで進められましたが、リチャードさんたちがつくられた造形が自然とマッチしていますね。

『ロード・オブ・ザ・リング』を製作する際、撮影の効率を考えると、それくらいの移動距離で自然に富んだロケーションに出合えるというのは重要なポイントでした。もちろん、世界中の地域も検討しました。日本も非常に多様性のあるいろいろな地形がありますよね。もしかしたら日本でも撮影ロケはできたかもしれません。

ニュージーランドの自然は多様です。トールキンが書いたシーンがパッと思い浮かべられるような大自然のロケーションが2時間程度のフライトで見つけられるアクセスのよさが、ニュージーランドの特徴だと思います。

マーガリンとイノヴェイション

──リアルな造形を生み出す「職人」のリチャードさんですが、急速な時代の変化のなかで、制作をするうえで変化を感じていることはありますか。

制作を始めて32年になりますが、もちろん32年前と同じ人間ということには変わりません。年齢を重ねて経験を積みましたけれど、情熱や熱意、クラフティングに対する想いは変わりませんし、楽しみながらやっていることも変わっていません。おそらくこれからも変わらないでしょう。

32年前はホテルのバイキング会場に飾る彫刻をつくる仕事をしていて、その仕事をする代わりに食事をさせてもらっていたんです。そのホテルではマーガリンで彫刻をしていました。ですからわたしの頭の中では、彫刻の材料にマーガリンを使うことは普通で、キャリアのスタートである映画の仕事では300体の彫刻をマーガリンでつくっていました。

──マーガリンで⁉︎

ニュージーランドは歴史的に若い国です。もともと英国領で、当時は貴重なものや新しものは英国から運んでこなければならない状況でした。

「クルマが壊れて針金が足りないけれど、英国に針金を注文して船便で届くまで半年待たないと届かない」というジョークがニュージーランドにあるくらいで、農場育ちのわたしがウェリントンの都市部に出てきたときは、身近にあるマーガリンを使って工夫しながら製作していました。

仕事をしていくうちに、徐々にほかの材料もあることを知り、海外から取り寄せました。でも、彫刻の素材にマーガリンを使ったことはイノヴェイションだと思っています。既存の材料を使うのではなく新規の材料を試してみることで、柔軟な発想ができ、新しい気づきがあるかもしれない。こういうことがイノヴェイションのひとつの過程になると思っていますから、ぜひいろいろな素材を試してみるのはいいと思いますね。

リチャード・テイラーと兵士たち。

© Wētā Workshop
テクノロジーと映画製作現場の変化

──CGIをはじめとした映像におけるテクノロジーは、映画のなかでも多く使用されるようになってきています。リチャードさんは実際に現場でどのようにテクノロジーの進化を感じていますか。

デジタル技術が進歩したことは、わたしたちのようなフィジカルなアセットを制作する分野にいる人々に確実に影響を及ぼしました。ですから、わたしたちの仕事がよりチャレンジングになったことは間違いありません。

2001年の『ロード・オブ・ザ・リング』では、いろいろなシーンの建築物や構造物などの背景のミニチュアを72セットつくりましたが、2012年の『ホビット』ではゼロになり、すべてデジタル制作に置き換わりました。そういう意味では、いままでわたしたちが専門性をもって取り組んでいた映像制作のエリアから、ほかのエリアへシフトしていかなければならないと感じています。

──どのようなエリアへのシフトチェンジになるのでしょうか。

ビジネスチャンスの変化という意味では、博物館やテーマパークといった物理的にその場所で体験できる部分に、わたしたちの高い技術力を生かせるのではないかと考えています。

──制作にテクノロジーを取り入れることもあるのでしょうか。

製造工程でも変化が起きています。2001年はすべてハンドメイドでしたが、現在はわたしたちがテレビや映画のためにつくりだすものの60%以上が何らかのかたちでロボットがかかわって生み出されたものです。一方で、非常に高度な技術をもつ職人はわたしたちの工房で仕事をし、よりハイエンドかつ高い技術を求められるハンドメイド製品のために技術を提供しています。

──日本でもアニメーションのフィギュアなど、緻密な造形物がつくられています。リチャードさんは日本のアニメーションなどは観られるのでしょうか。

もちろん! わたしたちは世界中のいろいろな文化や作品から影響を受けています。なかでも日本は歴史的にも手法的にもユニークな部分があります。映画、ポップカルチャーの部分でも日本は非常に独特なところがあり、デジタルアートのクリエイティヴィティに関して日本に注目しています。

個人的に、日本の造形作家の竹谷隆之さんのファンです。いまもスタジオの廊下の向こう側に彼の作品を3~4体は飾っています。『ゼイラム(ZËIЯAM)』も好きだし、塚本晋也監督のSF映画『鉄男 II BODY HAMMER』など、90年代の日本映画が大好きです。フィギュアは230体くらいもっていますが、そのうち100体くらいが日本のものですね。

ニュージーランドのWETAでオンラインでの取材に応じてくれたリチャードは、尊敬するという宮崎駿のフィギュアをインタヴュー中に画面越しに見せてくれた。

PHOTGRAPH : WIRED JAPAN

日本に行ったときは大好きな宮崎駿さんのジブリ美術館も見せていただきました。偉大な宮崎さんのご本人のフィギュアももっています。スタジオジブリのように『ロード・オブ・ザ・リング』のホビット村もテーマパークになっていますので、ぜひみなさんにもニュージーランドに来て体験していただきたいですね。