『マトリックス』の5作目がつくられる。ただし、脚本と監督はウォシャウスキー姉妹ではない

『マトリックス』シリーズの5作目の脚本と監督を務めるのは、『オデッセイ』や『グッド・プレイス』を手がけたドリュー・ゴダードだという。“シミュレーションの未来”は大きく変わろうとしている。
映画『マトリックス』より。
映画『マトリックス』より。Ronald Siemoneit/Getty Images

「Saying the quiet part out loud(言ってはならないことを言う)」。なぜか、これこそがシリーズ映画『マトリックス』の根幹にあったメッセージだったように感じられる。シミュレーション理論、クールな弾丸回避、クールなサウンドトラックとともに、『マトリックス』シリーズはわたしたちを取り巻く見せかけや偽者を指摘しようとしてきた。悪の力はすべての人を懐柔しようとする。それを止めるには、それについて話さなければならない。だからこそ、姉のラナとともに最初のマトリックス3部作の脚本と監督を務めたリリー・ウォシャウスキーが、このシリーズがある意味トランスジェンダーの物語であることを認めたとき、多くの人が納得の表情を浮かべたのだ。

関連記事:シミュレーション仮説2022:もちろん、わたしたちはシミュレーションの中で生きている

ファンはもうずいぶん前から、そういうことなのではないかと噂していた。ウォシャウスキー姉妹が性転換を公表してからは、特にそうだった。そんななか、姉妹のひとりがその通りだと言ったのだ。

通常「Saying the quiet part out loud」は、秘密の動機をうっかり明かしてしまうことを意味する。『マトリックス』の場合、隠された(明かされた)目的は個人主義の重要さだ。「赤いカプセルか、青いカプセルか」の決断は、現実を受け入れるかどうかを意味する。数年前の『WIRED』の記事でも指摘されていたように、『マトリックス・リザレクションズ』は、観客のなかにある自己嫌悪とノスタルジアを映し出した。『マトリックス』を愛するには、自分の意図、そして不完全さを大声で叫ぶ状況も愛せなければならないのだ。

ドリュー・ゴダードは真面目すぎるのでは

だからこそ、わたしの頭からは、ある問いが離れなくなった。それは「なぜ、ドリュー・ゴダードがマトリックスの新作をつくるのか」というものだ。ゴダードを批判する気はないが、彼は真面目すぎる。あまりにも真面目だ。スパイスは少し物足りなかったとはいえ、『オデッセイ』を原作よりも素晴らしい作品に仕上げたし、『エイリアス』『クローバーフィールド』『LOST』『キャビン』など、ゴダードはミステリーをつくるのに長けている。しかし、彼の作品をエッジが効いていると評価することはできない。どれも大衆を喜ばせる作品だ。一方、『マトリックス』シリーズが誰かを喜ばせるためにつくられたことはない。だからこそ、おもしろいのだ。

ゴダード起用の理由について、ワーナー・ブラザーズのジェシー・アーマン社長は次のように説明している。スタジオへやってきたゴダードが、「誰もが信じられないと思うような斬新な方法でマトリックス・ワールドを継続するアイデア」を披露したからだと。ラナが製作総指揮を務めているので、ウォシャウスキーがまったく関与していないわけではない。とはいえ、そっとしておけばよかったシリーズを再開する動機が、どこにあるのかはわからない。

通常、この問いの答えは「金」なのだろうが、前回の『マトリックス』、つまり2021年の『マトリックス レザレクションズ』は、それほど大ヒットしたわけでもない。おそらく、この点を立て直す試みとして、ゴダードが選ばれたのだろう。ディスカバリーとの合併以来、ワーナー・ブラザースは確実にヒットする作品にばかり集中し、『バットガール』のような映画はお蔵入りさせてきた。『マトリックス』を大衆受けのよい作品に軌道修正するために、おそらくゴダードに“ネブカドネザル号の鍵”を手渡したのだろう。言ってはならないことをあえて言うと、映画から奇妙さを取り除き、興行収入を増やすチャンスだと、捉えたのだろう。はぁ。

“世界”を想像し直したときに起きること

わたしは『マトリックス』をリブートするというアイデアには、いつも反発してきた。たとえ、結果が予想外にうまくいっても、この点は変わらない。ウォシャウスキー姉妹の精神が反映されていないとしても、『マトリックス5』(『マトリックス・リブランド』だろうか)が素晴らしい作品になる可能性はある。しかし先日『The People’s Joker』を観たわたしは、誰もが知っている世界を、誰かが想像し直したときに起きることについて、考えずにはいられなくなった。スター監督のベラ・ドリューが手がけたこのパロディ映画は、以前のバットマン作品とはまったく違っていた。ジョーカーはヒーローで、ブルース・ウェインはメディア界の重鎮だった。そこには言うべきでない秘密がなかった。すべてが賑やかすぎた。今後のマトリックス・シリーズのテンプレートになるかもしれない。

(Originally published on wired.com, translated by Kei Hasegawa, LIBER, edited by Mamiko Nakano)

※『WIRED』による映画の関連記事はこちら


Related Articles
Wood blocks falling in a line like dominos against black background
DCコミックスに基づく映画『バットガール』が劇場でもストリーミングでも公開されず、完全なお蔵入りになることが判明した。制作したワーナー・ブラザース・ディスカバリーの決断の背景にあるのは、どうやら“節税”のようである。

雑誌『WIRED』日本版 VOL.52
「FASHION FUTURE AH!」は好評発売中!

ファッションとはつまり、服のことである。布が何からつくられるのかを知ることであり、拾ったペットボトルを糸にできる現実と、古着を繊維にする困難さについて考えることでもある。次の世代がいかに育まれるべきか、彼ら/彼女らに投げかけるべき言葉を真剣に語り合うことであり、クラフツマンシップを受け継ぐこと、モードと楽観性について洞察すること、そしてとびきりのクリエイティビティのもち主の言葉に耳を傾けることである。あるいは当然、テクノロジーが拡張する可能性を想像することでもあり、自らミシンを踏むことでもある──。およそ10年ぶりとなる『WIRED』のファッション特集。詳細はこちら