ブルース・リーの超人的な「ワンインチパンチ」の秘密を、物理学に基づいて解き明かしてみた

武術の技は魔法のようにも見える。だが、ブルース・リーの超人的なワンインチパンチの秘密を、物理学の観点から解き明かしてみたらどうだろうか。
A black and white image of Bruce Lee with his fist in the foreground
Stanley Bielecki/Getty Images

武術には、どこか魔法のようなものが感じられる。武術を習得した人は物理学的に可能な領域を越え、超人的な力を手に入れたように思われるのだ。

ここでは、ブルース・リーが1964年の空手大会で披露して有名になった「ワンインチパンチ」に焦点を当ててみたい。相手からわずか1インチ(約2.54cm)の距離から拳で強力に突くという技だ(この動画この動画でその例を観られる)。

このパンチは一見して不可能であるように思われる。というのも、普通の人が誰かをパンチするなら、まず拳を十分に引いてから突くはずだからだ。これほど短い距離でパンチをすることは、しゃがむことなく高くジャンプするようなものである。

それでは、このワンインチパンチの仕組みを物理的に解明してみよう。

力と運動量について考える

この話題を出したのは正直なところ、物理学の概念において個人的に大好きなふたつの要素である「力と運動量」について解説するためだ。ふたつの物体が何らかのかたちで相互作用するとき、例えば互いに押し合ったりするときには、その相互作用は力としてモデル化できる(相互作用が生じるには、少なくともふたつの物体が必要だ)。

物体Aが物体Bを押すと、Bはそれと同じ大きさの力でAを押し返す。それを物理学で使う図で示すと、下記のようになる。

Courtesy of Rhett Allain

ここで重要な点として、力は相互作用がもつ数値であって、物体がもつ数値ではないことを覚えておいてほしい。

物体に力が加わると、その物体の運動量が変化する。運動量とは、物体の質量と速度をかけたものだ(静止している物体の運動量は0になる)。ある物体に複数の相互作用によって複数の力が加われば、その力の合計、つまり正味の力に従って物体の運動量が変化する。

ブルースのパンチについて解説を始める前に、このミニ物理講座でもうひとつ考えておくべき重要な点がある。それは「物体」が何で成り立っているかについてだ。

手短にいえば、物質はそれより小さな物質でできている。例えば、テニスボールをひとつの物体としてモデル化しようと思えば、それも可能だろう。しかし、テニスボールは実際にはひとつの物体ではない。

実際にはテニスボールは数多くのパーツによって成り立っており、それぞれのパーツは分子でできている。それぞれの分子は、原子でできている。テニスボールにひとつの力が加わっているという場合、実際には無数の原子の間に膨大な数の相互作用が発生しているということなのだ。

それほど多くの相互作用について考えたい人はいない。そこで物理学ではボールをひとつの物体として扱っており、ほとんどの場合それで問題ない。しかし、相互作用をモデル化する際に実際に何をしているのかほかの人にも確実に理解してもらうためには、「系」を定義しなければならない。

例えば簡素化するために、ボール自体のみからなる系を考えることにしてもいい。その場合は、そのボールの運動量と外部からの相互作用によってかかる力のみを考えればいいのであって、無数の原子間の相互作用は無視できる。ボールの繊維質の表面と内部にあるゴムの部分の間の相互作用を無視することさえ可能だ。

複数の物体によって構成される系について考えることもできる。テニスボールとサッカーボールがひもで結ばれている状況を想像してほしい。これらの両方のボールからなる系を考えたければ、外部からの相互作用によってかかる力のみを考えればいい。つまり、ひもから両ボールにかかる力は考えないというわけだ。

この系の運動量を考える際には、その全質量、つまりテニスボールとサッカーボールの質量の合計と、この系の重心の速度を使用する。サッカーボールのほうが質量が大きいので、重心はひもの上でテニスボールよりサッカーボールに近い点に存在することになる。

Courtesy of Rhett Allain

同様に、人間も物質でできており、人間にも重心がある。しかし、人間を物理学的に捉えようとすると、ときに煩雑となる。なぜなら、人間は形を変えられるからだ。つまり、腕や脚など、異なる部位を異なる場所にもっていける。

しかし、大雑把ではあるが、人が立っている場合の中心はへそと背骨の間のどこかにあると考えれば、おおむね正しい。人が座っている場合には、脚を曲げているので重心は少し胸に近くなる。

パンチする側と、される側の「系」を考える

どのようなパンチも、物理的に考えると複雑になりうる。そこで、ワンインチパンチを可能な限り簡単に捉えるために、パンチする1人とパンチされる1人からなる系を考えてみたい。ブルース・リーが武術家ジョー・ルイスをパンチする有名なエキシビションの映像があるので、それぞれブルースとジョーと呼ぶことにしよう。

この系なら、内部の相互作用による力をすべて無視できる。つまり、ワンインチパンチによる力を実際に考える必要はないということだ。同じ系の内部に属するふたつの物体(ブルースとジョー)の間の相互作用だから無視できる。

それでは、どのような力が残っているだろうか。実際のところ、残っている外部からの相互作用は、わずかふたつになる。

ひとつは、地球との相互作用から生まれる下向きの重力だ。もうひとつは、床と系の間の相互作用である。この床からの力には上向きのものもあれば、場合によっては摩擦による横向きのものもある。

それでは、この系の重心はどこに存在するだろうか。それには、ブルースとジョーの位置についての情報が必要になる。通常は2人は立った状態で開始し、パンチをする側がその拳を相手から1インチのところにもっていく。パンチの後、パンチをされた側はちょうどその後ろに準備されていた椅子に倒れ込む。

この動きを、パンチの前とパンチの後に分けて、棒人間で描いてみる。赤い点は重心を大まかに示したものだ。

Courtesy of Rhett Allain

ブルースとジョーを合わせた系の重心の運動を見てみよう。まず、重心は右に移動することがわかるだろう。重心は依然としてブルースとジョーの間にあるが、ジョーが右に移動しているので、それに従って重心も右に移動する。

次に、重心の高さが低くなっていることもわかる。なぜなら、ジョーが椅子に倒れ込んだからだ。つまり、ジョーの重心が下がったことで、系(ブルースとジョーを合わせたもの)の全体の高さも下がっている。

最後に、重心は右向きの速度を得ている。パンチの直後はジョーはまだ椅子と一緒に滑っているので、ジョーの位置も移動しているわけだ。

重心がこのように動くことを、外力だけでどのように説明できるだろうか。もちろん、重心が下に移動することについては、この系にかかる下向きの重力によって説明できる。それだけでなく、床からの上向きの力もあるが、実際のところその力は床を突き抜けて落下していくことを防いでいるだけだ。それでは、重心が右に動いてその速度を増すのは、どの力による作用だろうか。

その答えは摩擦だ。ブルースがワンインチパンチをする際に、床とブルースの足の裏との間で、右向きの摩擦力がかかる。この摩擦力が、重心を右に移動させるのだ。

ブルースがその有名なパンチを氷の上に立って繰り出したら、どうなるだろうか。摩擦による外力が存在しないことになる。もちろん、ジョーは依然としてパンチを受けて右に移動するが、ブルースも反動で左に移動し、重心は水平方向には移動しない(ジョーは倒れ込むので、依然として重心は下には移動する)。

パンチされる側だけの系について考える

登場する2人をまとめた系を考えることは、ばかげていると思われるかもしれない。だが、それを考えることで、全体の結果において摩擦力がかなり重要であることがわかる。

それでは、パンチされるジョー・ルイスの側だけの系を考えればどうなるだろうか。ジョーの重心の運動から、ジョーにかかっているさまざまな力について大まかな推測ができる。そう、ジョーを押す外力のひとつが、ブルース・リーのワンインチパンチなのだ。

ジョーが実際に倒れ込む様子をデータ化してみよう。使うのは、このパンチのまとめ動画に収録されている映像だ。

この白黒映像のこの部分でパンチを受けているのはジョー・ルイスだと推測しているが、そうでなくても問題ない。誰がパンチを受けても、特に何も変わらないからだ。なぜならパンチを受ける側は、能動的に何かをしているわけではないからである。

さて、「Tracker Video Analysis」を使って、各フレームにおけるジョーの位置に印をつけてみたい。そのデータに基づいて得られたのが、横軸に時間、縦軸にジョーの水平方向の位置をプロットした以下のグラフだ。

Courtesy of Rhett Allain

パンチの後、ジョーの水平方向の位置は、おおむね一定の割合で変化している。このため、直線の傾きから水平方向の速度を計算できる。この分析から、速度は1.19m/sと割り出された。質量が70kgだとすると(これは単に推測だ)、ジョーの運動量は83.3kg*m/sだけ変化したことになる(kg*m/sは運動量の単位だ)。

この数値は非常に有用である。この運動量の変化はブルースのパンチでジョーにかかった力に関連しているので、次のように表すことができる。

Courtesy of Rhett Allain

だが、接触時間は実際に判明しているわけではない。それでもご心配なく。映像からおおよそ推計してみよう。

映像では、ブルースの拳は相手に約3フレームにわたって接触している。この映像は毎秒25フレームなので、3フレームということは0.12秒となる。すると、衝撃力は平均694N、つまり156ポンド(約70.8kg)の物体にかかる重力と等しくなる。

これは成人を(とてもとても短い時間ではあるが)持ち上げられるだけの力ということだ。この力が驚異的に大きなものとは思わないが、だからといって自分にもできるといえるものでもない。

ブルース・リーの系について考える前に、このパンチについてもうひとつ重要な点に触れなければならない。それは、パンチされる側の後ろに椅子を置くのは、ある種のトリックということである。こうすることで、衝撃を実際より大げさに見せられるのだ。

パンチを受けた瞬間にジョーにかかる水平方向の力を描いてみよう。そうすれば、このトリックがどのように機能しているのか、おわかりいただけるはずだ(ふたつの垂直方向の力、つまり下向きにかかる重力と床が上向きに押す力は無視した)。

Courtesy of Rhett Allain

水平方向には、ふたつの力しかかかっていない。右向きにかかるパンチからの力(FB)と、それより弱く左向きにかかる摩擦力(Ff)だ。これらの力を合計すると右向きの力になることから、ジョーの運動量は右向きに増えていく。

ここで気づいていただきたいのだが、摩擦力はジョーの足の裏にかかるが、パンチはジョーの胸のあたりにぶつかっている。これらのふたつの力が体の別々の部分にかかっていることから、ジョーの体は重心を中心にして回転する。つまり、ジョーはつまづいて倒れるのだ。ありがたいことに、椅子がそれを受け止めてくれている。

もちろん、足を近くに揃えてまっすぐ立ってパンチを受けることも、倒れ込む原因になっている。ジョーが足を近くに揃えずにいたら、倒すことはより困難だろう。片足を下げていれば、床が下げた片足を上方向に押す力が、残りふたつの力による回転を抑えてくれるからだ。

ブルース・リーだけの系について考える

さて、最後まで残しておいた、お待ちかねの部分について考えよう。すでに推定した通り、ブルース・リーは約694Nの力でパンチしている。すでに説明した通り、この力がすごいというよりも、これほど短い距離でのパンチでこの力を出していることがすごいのだ。わずか1インチの距離のパンチなのだから。

これを、より一般的な距離からのパンチと比較しよう。ジョーがブルースに仕返ししようとした場合を考えてみたい。

ジョーのパンチも、その力は694N前後になると仮定して問題ないだろう。ところが、ジョーのパンチにおける拳は2.54cmではなく、0.5mの距離をかけて加速していく(この距離は自分で誰かをパンチするふりをして、自分の拳をどれだけ移動させなければならなかったかに基づいて推定した)。

ブルースとジョーのパンチについて、力と距離の比率を計算してみよう。ジョーの場合は1,388N/mとなるが、ブルースの場合は27,300N/mとなる。これは20倍近い数字だ。ブルースは超人的な力をもっているに違いない。

いや、本当にそうなのだろうか。実は裏にトリックがある。ブルースのワンインチパンチをよく見てみると、解き明かす鍵が浮かび上がってくる。

ブルースは単に拳を前に1インチ動かしているだけではない。パンチの前に、体全体を前に動かしているのだ(足を上げて前進しているわけではないが、体は確実に前に移動している)。そこでブルースの重心の位置を追跡して、横軸に時間、縦軸にブルースの水平方向の位置をプロットすると、以下のグラフのようになる。

Courtesy of Rhett Allain

お気づきの通り、この重心の運動のほとんどは、パンチの前に起きている。直線近似して傾きを計算すると、ブルースはパンチを準備するために、約0.36m/sの速度で前に動いているように思われる。

これは重要な点なのだろうか。もうひとつ計算してみよう。ブルースがこの速度で静止しているジョーに向かって動き、パンチすることなくぶつかったとする。ぶつかった後、ジョーはいくらかの速度で後ろによろめき、ブルースは静止する。

衝突による相互作用しかなければ、そしてブルースとジョーの質量が同じなら、ブルースが静止するので、ジョーは0.36m/sの速度で後ろによろめくことになる(ふたつのビリヤードボールが衝突して片方が静止した際にも、同じことが起きる。もう片方は同じ速度で運動し続けるのだ)。パンチありの場合ほどではなくても、ジョーには無視できない後ろ向きの速度が生じることになるというわけだ。

ブルースが体全体を動かしていることで、ブルースの体全体がいわば第2の「拳」となって相手をパンチしているかのような状況になる。この“第2の拳”は、とても速度が速いわけではないが、ブルースの体全体の質量をもっているので、かなりの運動量をもつことになる。

また、ブルースは体全体を動かすことで、実際にパンチされる側に触れることなく、パンチの全体の時間を長くしていることになる。これによってワンインチパンチは、単に拳を使うだけでなく、両脚を用いた体全体での相互作用になるのだ。

さて、ここまでの考察で、ワンインチパンチの物理学的な仕組みについて何が言えるだろうか。まず、相手が両足を近くに揃えて立っていれば、一般人がパンチをしたとしても相手はおそらく後ろに倒れ込むことになる。そしてブルースが実際にはより長い距離にわたって体全体を動かしていることから、実際には「ワンインチパンチ」ではない。

魔法でも何でもなく、重要なのは物理学であるということに納得していただけたのではないだろうか。それに練習とスキルも重要だ。ブルース・リーのパンチは、ものすごい音がしたものである。

結局のところ、このパンチが超人的なものであるかどうかは重要ではない。個人的には、このパンチを受ける側に回らなければ満足だ。

WIRED US/Edit by Daisuke Takimoto)

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