全米脚本家組合(WGA)がストライキに突入して1週間が経った5月、組合交渉委員会のメンバーで映画『チャーリーズ・エンジェル』の脚本家であるジョン・オーガストは、「ノーラ・エフロン問題」が存在する独自のディストピアについて語った。それは人工知能(AI)が進化し、大ヒット間違いなしの脚本家の作風を模倣した感動的な作品をつくれるようになる世界だ。
AIによる“合成されたノーラ・エフロン”の実現は、まだありうるかもしれない。だが、WGAと全米映画テレビ製作者協会(AMPTP)の間で今週実現した合意は、その影響から脚本家を守るうえで一定の役割を果たすことになるだろう。
合意内容を簡単に説明すると、AIを脚本やトリートメント(ストーリーの要約)の執筆や修正に使用できないことが規定され、脚本家に与えられた資料がAIによって作成されたものである場合はスタジオ側がその事実を開示することを保証し、無断で脚本をAIの訓練に使用されないように脚本家を保護するものだ。また、脚本の作成者が自分自身のためにAIを使用できることを規定する条項も盛り込まれている。
多くの職種の人々が、生成AIに仕事を奪われることになるのではないかと恐れている。そんないま、今回WGAが結んだ合意は俳優のストライキが続くハリウッドだけでなく、全米そして世界中の産業界における先例になる可能性がある。
「今回の合意で、わたしたちはほかのどの組合もなしえなかったことをやってのけました」と、オーガストは語る。「AIの使用に強制力のある定義と制限を初めて設けました。これは脚本家の日常生活に大きな影響を与えるでしょう」
「困難な条件」での合意
脚本家や制作者たちのストライキは、開始から148日後の9月27日(米国時間)の午前に正式に終了した。WGA史上最長記録の154日まで、あと1週間足らずだった。
WGAの組合員11,500人が仕事を放棄した5月2日にもAIは大きな話題になったが、ストライキによる労働停止が続くにつれ、AIがすべての人の新たな同僚になるという迫りくる不安は増大した。作家からプログラマー、建築家に至るまで、誰もがテクノロジーが自分たちの生活や生計をどのように侵害するのかという実存的な問いに直面し始めたのだ。WGAの契約におけるAIに関する文言を巡る交渉の決着は、24日に暫定合意が発表される直前までもつれ込んだと報じられている。
今回は少なくとも書面上では、脚本家は困難な条件を勝ち取った。AIが脚本家を完全に置き換えることができないように“ガードレール”を設置するだけでなく、大規模言語モデル(LLM)や「ChatGPT」のようなツールによって書かれたものを、脚本家がオリジナル作品を制作するより安い報酬で、場合によっては知らないうちに脚色したり編集したりするよう依頼されるような、実際に起こりうる状況も抑制している(AI利用の透明性も保証された)。
オーガストはその点について、「わたしたちの報酬の危機であり、ロイヤリティの危機であり、わたしたちがこの業界に課せられた仕事を遂行する芸術的能力の危機です」と5月に語っている(AMPTPは当初はAIの使用について具体的な規定ではなく、「テクノロジーの進歩について話し合う年次会議」を提案していた)。
「ここでの重要な問題は、『AIが生成した素材を脚本家のクレジットや権利を損なう目的で使用できない』ということだと思います」と、エモリー大学教授で法律とAIを専門とするマシュー・サグは語っている。「脚本家にとっての大きな懸案事項は、スタジオがAIを使って番組で働く脚本家のクレジットや報酬を減らすことだと、わたしは常に理解していました。今回の合意は、その懸念に対処するものとみられ、多くの脚本家がワークフローを加速させるためにAIツールの使用を選択することになるという現実を認めたものです。この点で脚本家に現実的な選択肢を残したことは、WGAにとって大きな勝利でしょう」
この合意に難題がないわけではない。最大の問題はエンフォースメント(権利行使)なのだと、テネシー州のヴァンダービルト大学で知的財産権とAI法の教授を務めるダニエル・ジャーヴェイスは指摘する。
この問題の解決は、おそらく新たな先例になるだろう。今回の協定によって脚本家がスタジオに対して一定の影響力をもつことには、ジャーヴェイスは同意している。しかし、AI企業が米国に拠点を置くか否かにかかわらず、脚本家の作品をAIの学習に用いることは止められないもしれないという。
オーガストも同意見で、WGAは契約の限界について「正直である」必要があると語っている。「わたしたちは雇用主であるスタジオと契約を結びました」と、オーガストは言う。「わたしたちは大手AI企業とは契約関係にありません。ですから、これで戦いが終わったわけではありません」
また、AIが脚本の一部に関与した場合、それを明らかにする責任を誰が負うのかという問題もある。テキストにAIが生成した要素が含まれていることをスタジオ側は知らずに、ある脚本家から受け取った脚本を書き直しのために別の脚本家に渡したと主張できるだろう。「わたしは弁護士として、『これがどういうことを意味するのか? それをどうやって証明するのか? その責任は? そしてそれはどれだけ現実的なのか?』と熟考しています」
機械と人間が共に働く世界
今回のWGAの合意条件が暗に示唆する未来は、機械と人間が共に働く世界だ。アーティストの観点に立てば、この契約はAIを悪者扱いするものではなく、代わりにJ.R.R.トールキン風の風刺のために愉快な名前を生み出したり、将来的にはより洗練されたバージョンのAIツールとの本格的なコラボレーションをしたりと、継続的な実験の余地を残してある。
この柔軟なアプローチは、AIテクノロジーに対する一部のヒステリックな反応とは対照的だ。そのようなヒステリーには現在、反発が起こり始めている。
ハリウッド以外でも、今回の合意は多くの分野の労働者にとって先例となるものだ。つまり、破壊的技術の導入をコントロールするために闘うことは可能だし、闘うべきだということである。AMPTPと全米映画俳優組合(SAG-AFTRA)との協議が再開されれば、どのような前例がつくられるかはすぐに明らかになるだろう。交渉があとどのくらいで再開されるかは不明だが、SAG-AFTRAがその指針としてWGAが結んだ合意を参考にする可能性は高い。
それでも今回の合意は「断固たるスタート」にすぎないと、俳優で監督のアレックス・ウィンターは指摘したうえで、この契約では広範囲の保護が十分に得られないのではないかと懸念している。スタジオはAIの新たな用途に多大なリソースを投入しており、それが緩和される兆しはないとウィンターは語る。
WGAとの契約は「スタジオが正しい行動をとることに大きく信頼を置いた」ものであり、SAG-AFTRAが合意に至り、より多くの保護が提供されることになることをウィンターは期待しているという。「米国政府がこれまで巨大テック企業に自主的なAI規制の導入を認めているのと同様に、巨大テック企業に今回の合意が機能するとは思えません。残念ながらエンターテインメント業界でもうまく機能するとは思えません」
AIの使用を「拒否しない」という考え
俳優にはパブリシティ権(氏名・肖像などの権利)というかたちでより強力な保護が与えられているが、俳優の過去の演技を素材につくられる合成の“俳優”については、強い懸念が残っている(現時点でSAG-AFTRAはコメントの要請に応じていない)。
また、今回のWGAの交渉中に浮上した問題が、ゲーム制作会社やその他のテック企業で進行中の労働組合結成の取り組みに波及するかどうかという点も興味深い。SAG-AFTRAの組合員は9月25日にビデオゲームに携わる俳優のストライキを承認したが、ここでもAI問題が提起されている。
マサチューセッツ工科大学(MIT)のエコノミストであるサイモン・ジョンソンは、「AIに関してはWGAはほかの労働組合に先駆けて前を進んでおり、誰もが注目すべきです」と主張する。ジョンソンが共著者として最近発表したAIに関する政策メモで指摘しているように、労働者は経営側がこれらの技術を導入するまで待ってはいられないことが自動化の歴史からわかる。待てば労働者はとって代わられるのだ(産業革命期の「ラッダイト運動」とも似ている)。
「わたしたちはAIの使用を拒否しないことが正しい考え方だと思っています。AIは労働者によって、雇用者によって、可能な限り制御して利用できると主張すべきです」と、ジョンソンは言う。「それを実現するには、雇用主がAIを使ってできることに制約を設ける必要があります。実際この点では、脚本家は米国経済におけるほかの労働者に比べて、かなり強い立場にあると思います」
(WIRED US/Edit by Daisuke Takimoto)
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