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12 Hz by Ron Jude: ロン・ジュードの“深い時間”を写す試み

『WIRED』最新号「RETREAT」特集において掲載した、写真家のロン・ジュードの写真集『12 Hz』。大自然にレンズを向けフォーカスを絞り、「ディープ・タイム」という人知を超えた長いながいタイムスケールをテーマにした作品群は、『WIRED』が考える「リトリート」の大きな柱を表している。誌面では掲載しきれなかったインタビューを増補し公開する。
12 Hz by Ron Jude ロン・ジュードの“深い時間”を写す試み
Obsidian ©︎Ron Jude

2020年に刊行された一冊の写真集がある。『12 Hz』。オレゴン州ユージーンを拠点とする写真家、ロン・ジュードが手がけたものだ。それまでは豊かなナラティブと端正な色彩で知られる作家であったはずなのに、このシリーズで写し出されたのは、モノクロームの荒野と剥き出しの自然のテクスチャー。作家として大きく舵を切った作品であることは、どうやら間違いがなかった。

具体的なモチーフは例えば、洞窟、岩山、溶岩、氷河、水。それらを真正面からフレームに捉え、豊かなモノクロームの諧調と精細なフォーカスで描き出す。これにより生まれた圧倒的な視覚的強度は、感情が入り込む隙間もないかのようだ。彼が未開の地で追い求め、写真に定着させようとしたものは何だったのか。そして自然や時間の感覚についてどのように考えるのか。訊きたいことはたくさんあった。

ロン・ジュード  |  RON JUDE  1965 年、ロサンゼルス生まれ。幼少期はアイダホ州の田舎で育った。88 年にボイシ州立大学でスタジオ アートの BFA を取得し、92 年にルイジアナ州立大学で MFA を取得。ファウンドフォト、風景、ポートレートなど、さまざまなアプローチを通じて、場所、記憶、物語の関係を探求してきた。その作品はジョージ・イーストマン・ハウス、ヒューストン美術館、サンフランシスコ近代美術館などに収蔵されており、2006年に『ALPINE STAR』を発表して以降、継続的に写真集を刊行し、主な作品には『LICK CREEK LINE』、『EXECTIVE MODEL』、『LAGO』、『VITREOUS CHINA』、『Nausea』などがある。『12 Hz』は英国の出版社MACKより刊行。

LAVA ROCK ©︎RON JUDE
CAVE ©︎RON JUDE
CAVE ©︎RON JUDE

── このプロジェクトに必要な風景や被写体は、どのようにして決めたのでしょうか?

Ron Jude(以下:RJ) 『12Hz』の初期の写真は、家族と暮らすオレゴンで、とても自然に撮り始めました。2015年にニューヨークから引っ越してきたのですが、ここで目にした地質現象にたちまち心を打たれたのです。

当初はただ周囲を探索していただけでしたが、やがてそれまで撮影してきた地形のイメージが、ひとつのプロジェクトに結晶していくように感じました。そしてその2年後に、このシリーズでグッゲンハイム・フェローシップを受賞し、アイスランド、ハワイ、ニューメキシコ、カリフォルニアへとプロジェクトを拡大できるようになりました。

つまり、いろいろな場所で撮影しようと考えたのは、オレゴンでこのプロジェクトが何かを把握できてからですね。こうしてプロジェクトが動き出すと、吹き出したばかりの溶岩流や鍾乳洞、氷河の融解といった、オレゴンにはない地質現象をさらに取り入れたくなったのです。

──  具体的な撮影地や固有名詞が明かされませんが、その意図を教えてください。

RJ マッピング可能な「場所」にイメージを縛り付けたくなかったので、意図的に言及しませんでした。確かに写真に描かれた様々な現象をリファレンスすることは、読者にとって有益かもしれません。しかし地図という枠組みは、どこか人類が抱えるややこしい性質や、領域をもつ衝動を思い起こさせるものです。

そしてそれらは、このプロジェクトの精神にとっては逆効果になると感じました。ナラティブという要素を完全に排除して、始まりも中間も終わりもない永久的な変化というコンセプトを強調するような方法で、人間ではない世界の写真を撮ろうとしたのです。

CAVE ©︎RN JUDE

──  なぜモノクロームを選択したのでしょうか。これまでのプロジェクトにはなかった方法です。撮影にデジタルカメラを使ったそうですが、それも関係していますか?

RJ モノクロームを選んだことについては、いくつか理由があります。わたしは1989年頃からカラーで撮影していたのですが、そろそろ自分の作品を根本から変えるべきときだと考えていましたし、大規模で象徴的な白黒のイメージを手掛けることは、その変化の一環でした。

しかしそれにも増して重要なのは、モノクロームでの表現にこそ、最も大きな衝撃が宿ると感じたことにあります。この作品を制作する最初の数ヶ月は、スケール、プリント用紙の種類、カラーとモノクロームの違いなど、あらゆることを試しました。何枚ものプリントの試作をつくり、何カ月もスタジオで一緒に生活しながら、どれが長く耐えられるかを見極めていったのです。

そしてモノクロームのプリントには、作品中の「ディープ・タイム」(註:18 世紀のスコットランドの地質学者、ジェームズ・ハットンが提唱した概念。堆積岩層に反映されるような人知を超えたタイムスケールを指す)というテーマの精神と呼応するような、何か本質的なものがあるように感じました。

確かに、デジタルキャプチャーの汎用性は作品づくりにおいて柔軟さをもたらしますが、それがこの決定と関係があったとは思えません。もしこのプロジェクトをフィルムで撮影していたら、おそらく最初の段階ではカラーとモノクロームの両方で撮影し、作品を見極めるプロセスとしていたでしょう。

──  『12Hz』というタイトルの由来を説明してください。

RJ 『12Hz』は人間の聴覚の最低閾値であり、これは人間の知覚の限界を示唆しています。作品の中心的なアイデアは、わたしたちが知覚できないさまざまなことが、周囲で起こっているのだという思考から生まれています。

実際に、このプロジェクトには、わたしの友人でありコラボレーターでもあるジョシュア・ボネッタが作曲した音の要素も含まれており、『12Hz』の美術館でのフルスケールのインスタレーションでは、ジョシュアの音響作品が加わります。 この作品はフィールドレコーディングと地震観測データを重ね合わせて加工したもので、20分間のループ再生中に可聴域に入ったり出たりする。文字通り、地球の地殻変動プレートが互いに削り合う音が聞こえてくるようです。音とイメージが思いがけないほどにお互いを活性化していきます。

LAVA ROCK ©︎RON JUDE
LAVA ROCK ©︎RON JUDE
GLACIER ©︎RON JUDE

──  写真集の編集について質問です。洞窟、崖、岩肌、滝、海などのイメージの後に、樹木のイメージのグループがあります。これはどのような意図でつくられたのでしょうか?

RJ オレゴンやハワイで撮影した海岸林の写真があったので、エピローグのような意味合いでこの写真集に組み込んでみました。この縫い付けられたブックレットの写真群は、岩や氷や水といった静的なテクスチャーがストイックに連続する本編の後に、有機的な生命との熱狂的で攻撃的で、ほとんど敵対的な出合いを提示する意図があります。この衝突のような出合いによって、見る者を認識可能なスケールの中に位置付け、すべての有機的生命に内在する支配欲と生存欲の間の微妙な境界線の存在を示唆してみようと考えたのです。

──  あなたはこれまで、物語性に富んだプロジェクトを数多く手がけてきました。しかし『12Hz』では物語や感情の流れ、あるいは人間の存在すら徹底的に排除しているように見えます。なぜですか?

RJ 1990年の『Nausea』に始まり、2015年の『Lago』で終わる、どこか自伝的な25年間の作品サイクルを終えたばかりでした。その時点でわたしの写真集の多くに見られる、ナラティブに根ざした構造や構文は、どこか古臭い方法のようにも感じられましたし、それによって疲れや束縛を感じるようになっていました。あるいはこうも言えるでしょう。そういったモードでの作業があまりにも快適だったので、自分の作品に変化を起こす必要があったのだと。

つまり物語性から抜け出すことは、モノクロームでの制作を選択したことと同じように、熟慮を重ねて計画的に行なったことでした。人間の存在を感じさせないという点も、意図的なものです。感傷的に理想化された風景描写に流されることなく、地球でのわたしたちの存在の短かさに言及し、イメージを空白にすることができるのか、わたしは試してみたかった。これが、この作品をつくる上での最大のチャレンジだったと思います。

GLACIER ©︎RON JUDE
GLACIER ©︎RON JUDE
CLIFF ©︎RON JUDE

──  自然や地球に流れる時間と、わたしたち人間や社会に流れる時間との違いを、私生活でも感じることがあったのでしょうか?

RJ 2016年6月、父が息を引き取るのを見届け、その瞬間に、自分自身の死と存在の有限性を痛感することになりました。さらに全国各地への転居や、その後の4年間の政治的な混乱も加わり、わたしはずいぶんと動揺していたのです。そこで自分の脈拍を再確認するためにも、人間の経験を超えた何かを探さなければならなかった。つまり、新しい道を見つける必要がありました。

──  一般的に写真は時間を静止させる芸術です。時間の流れを捉えるには不向きだとも思いますが、それが可能になると考えたのはなぜでしょう?

RJ その意味では、この作品は逆説的であることを自覚しています。 静止した写真を通して、目に見えないもの(この場合であれば時間ですが)を可視化するなどということは、まず不可能でしょう。そのために、暗闇に近いイメージや、異なる流速(水、氷、溶岩)の並置など、明確に説明するのではなく、それらを示唆するような視覚的な仕掛けを盛り込む必要がありました。わたしのすべての作品と同様に、『12Hz』は写真によって何が可能になるのかを試みる実験でもあるのです。

──  改めてお聞きしますが、あなたが住んでいるオレゴン州ユージーンの風景はどのようなものですか?

RJ 地質学的にとても多様な土地です。わたしが住んでいるエリアはウィラメット・バレーの南端に位置し、西に2時間ほど行くと海岸山脈の雨林があり太平洋に面しています。東へ2時間行くとカスケード山脈と高地砂漠があり、そこには数千年前の溶岩流や洞窟がたくさんあります。このプロジェクトを制作した最初の2年間は、この魅力的で多様な風景を探索することに明け暮れていました。

──  現代は「人新世」に属すると言われています。地球上のあらゆる土地が人類の影響を受けている可能性を示していますが、あなたはこの地質年代を実感していますか?

RJ 『12hz』の写真は、人類が地球に与えている影響を暗に示していると思います。その一方で、グランドスケールで見れば、この惑星はわたしたちや人類の愚かさに無関心であるという感覚も宿っているように感じるのです。

確かにわたしたちは生物種としてこの惑星に寄生しており、無数の生態系に悪影響を及ぼしている。しかし究極的に「ディープ・タイム」の視点から見れば、わたしたちは地球の歴史上のほんの一瞬の出来事に過ぎないのです。人類の影響力と無意味さの両方を同時に指摘することが可能かどうかは分かりませんが、こんなことを考えていました。

WATERFALL ©︎RON JUDE
WAVES ©︎RON JUDE

──  あなたの生活においては、時間をどのように感じていますか? わたしたちが特集をする「リトリート」の目的のひとつは、この作品ほどではないにしても、時間をスローダウンすることかもしれません。

RJ わたし自身、ますますそれが必要になってきたと感じます。時間が加速し、年を取るにつれて、自分の生活のなかに生じる絶え間ないノイズに対する解毒剤として、遠隔地を訪れることや孤立することに、ますます引かれていくようです。

どうやらわたしたちは、静止し、足元の地面に注意を払うことが、さまざまな理由から難しくなっているようにも感じます。特に、テクノロジーと経済成長への揺るぎない信頼、つまり「忙しいほどよい人間である」という考え方は、その一例です。わたしたちの唯一の希望はリトリートなのだとさえ思えてしまう。

もちろんわたしが「テクノロジーと豊かさが解決策ではなく、問題である」と言うとき、年老いたラッダイト[編註:19世紀初頭の英国で機械化に反対した熟練労働者の組織。技術革新反対者を指す。語源となったのは1779年に織機を破壊したとされる労働者Ned Ludd]のように受け取られることも充分に承知しています。ですが、わたしたちの生活をより効率的で快適なものにすればするほど、人間以外の世界から切り離されればされるほど、わたしたちは自ら課した実存の重荷に屈していくのです。

──  自然について語るとき、わたしたちは気候変動について考えざるを得ません。数十年後には、『12 Hz』の写真が、永遠に失われた何かの象徴とみなされるかもしれません。こうした可能性については、どのように考えますか?

RJ この作品をつくっている間は、それを弔辞として、あるいは消えゆくものの記録として考えていたわけではありません。『12Hz』の被写体へのアプローチの方法は、地球の巨大な形態と力とを直感的に体験してみようという試みに根ざしていたのですから。

しかしこれらは写真であり、作品となればそれ自身としての生命を宿すことも確かです。わたしの意図とは関係なく、歴史的背景が変わってしまえば、受け取られる意味も変わっていくことになることも理解しています。

例えば、2019年にアイスランドのブレイザメルクルヨークトル氷河の黒氷とその末端を撮影しましたが、その後、氷河は劇的に後退し、ほんの数年前とは見違えるような姿になりました。これは人間の過剰消費によって起きていることであり、悲劇的ですが避けられないことのようです。その意味では、まさに失われたものの象徴のひとつといえるでしょう。

WAVES ©︎RON JUDE

──  『12Hz』の制作を通じて、自然や地球、そこにある時間の流れに対するあなたの意識はどのように変化しましたか?

RJ 時間をかけて観察し、注意を向けていくだけでも、この惑星のメカニズムについて多くのことを学ぶことができます。そのなかで最も重要だったのは、人類が種としてちっぽけな存在であるということを痛感したことでしょう。

これはわたしたちが地球に影響を与えていない、という意味ではありません。極めて広大で複雑なシステムのほんの一部でしかないにもかかわらず、そのことについては無知であり、理解しがたい権利意識をもっている。少なくとも人類がいなくとも地球は大丈夫だ、というわたしの出した結論に、あるいは慰めを見出すこともできるかもしれません。

おそらく菌類か軟体動物であろう次の有機生命体が、この惑星のシステムの中でより調和のとれた生き方やかかわり方を見つけてくれることを願っています。

──  日本での展示の予定はありますか? 音響作品も含まれた形で『12Hz』を体験したい人が多いはずです。

RJ すぐに日本で作品を展示する予定はありませんが、機会があればぜひ参加したいと思っています。ありがとう。

WIND DUNE ©︎RON JUDE

(Edit by SATOSHI TAGUCHI)

※雑誌『WIRED』日本版VOL.48「RETREAT:未来への退却(リトリート)」から増補転載


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