東アフリカのおそらく20万年前の草原で、わたしたちの祖先は産声をあげたといわれている。二足歩行で大陸をわたり歩き、文明と都市を築いて、ただいま再び自然へと退却しようとしている。
早足で振り返ると、なんだかホモ・サピエンスは壮大な回り道をして帰郷しただけのようにも思えてしまうが、もちろん違う。わたしたちには優れたツールがある。
例えば、鳥の声や風の音のわずかな差をもレコード可能な高性能のポータブルマイクがそれだ。ほかにも両手を自由にするベストや、環境への負荷を徹底的に抑えた電動のモビリティ。限りなく透明な花瓶は、植物の美しさそのものを際立たせてくれるだろう。
つまり、荒野や森を切り開くのではなく、その美しさや豊かさをより高解像度で体験し、拡張するためのプロダクト。自然への退却は、このようなツールとともにあるべきだ。
01. Vase of Solid Water
maker_Critiba item_Flower Vase
ずっしりと重たく、まるで水そのものが個体となる意志を固めたかのような、曇りのない美しさを宿している。高い純度のクリスタルから削り出した花器「SHALLOWS」は、福岡を拠点とするプロダクトデザイナー、坂下和長が主宰するクリチーバが手がけた。
なだらかなすり鉢状となった上部へ水を注ぐと、中央に空いた穴から満たされていき、やがて表面張力が生まれる。緻密に設計されたプロダクトであるのは間違いないが、プリミティブで一切の無駄がない形の向こう側に、人の気配や手触りすら後退していくようだ。あるいはかつての「もの派」の立体物のように、わたしたちに構造的な価値の転換を迫る、というのは言い過ぎだろうか。
いずれにしても野山の草花をあるがままに愛でるという意味では、これほど適したものはないかもしれない。あるいはもちろん、何かを飾らないときがあってもいいだろう。限りなく透明で、光は美しく屈折し、底のほうでは乱反射。どのような空間にあったとしても、水と光がつくり出す自然の現象そのものを観察することができるはずだ。サイズは高さ(60〜160mm)と直径(φ70〜150mm)がそれぞれ異なる4種類を展開する。
02. Recording Wild Harmony
maker_SHURE item_Portable Recording Kit
わたしたちが音を記録し再生できるようになったのは1877年のこと。トーマス・アルヴァ・エジソンの蓄音機だ。この19世紀に起きたイノベーションにより、音は時間と空間による拘束から解放された。そしていまでは手のひらの中へ。その手軽さを、自然の音を楽しむために生かしたい。もとよりスマートフォンにも録音機能が備わっているが、優れたマイクロフォンがあれば、その解像度は飛躍的に向上する。
シュアは指向性やバランス、ノイズ抑制などが用途ごとに精密にデザインされた、質の高いマイクロフォンで知られる米国の音響機器メーカー。長い歴史をもち、大統領演説からスタジオセッションの録音まで、さまざまな現場で信頼を築いてきた。
その「MV88 + VIDEO KIT」は、高性能のデジタル・ステレオマイクロフォンに加えて、ミニ三脚やクランプ、マウント、ケーブル類などがセットになったもの。さらに専用のアプリを使えば、細かな音質の調整と低圧縮の録音、編集やファイル共有までをワンストップで行なうことも可能だ。ちなみに坂本龍一もアルバム『async』のためのフィールドレコーディングで、このMV88(キット化する前のモデル)を使用していたとか。自然の中で追体験してみたい。
03. New Gen. French Tent
maker_EXØD item_Inflatable Tent
フランスのスタートアップ、エグゾッドが開発したテント「MONOLITH SHELTER」は、黒というアウトドアでは避けがちなカラーリングからもわかる通り、控えめに言ってもかなり挑戦的だ。フレームはDACポールなどではなくインフレータブル式。専用のポンプ(今後販売されるモデルに付属する)を使えば、15秒でセットは完了できるだろう。
さらにユニークなのは、強靭なカラビナ付きのナイロンベルトとカーボンポールが付属し、ハンモックのように吊り下げて使うこともできること。もちろんガイラインで固定して、地上に設置しても構わない。
フライシートは大雨にも対応しうる耐水性を備え、グランドシートは断熱性もある。さまざまな季節と地形で有用なシェルターになるだろう。木陰や岩陰に溶け込むように設置すれば、自然の景色を邪魔することもない。
04. Step for Earthing
maker_Earth Runners item_Earthing Sandals
2012年に米国・カリフォルニアで設立されたアースランナーズが目指しているのは、リワイルドされたライフスタイル。かつて人類がそうであったように、身体と地球とのつながりを取り戻すためのツールとして、ベアフットサンダルを開発してきた。
技術的な特徴は、丈夫なヴィブラムソールと、底面に埋め込まれた銅製のリベット。さらにそれに接続されたナイロン製のひも。ステンレススチールのステッチが施され、身体から地球への電子伝達を促すという。デザインはメキシコの先住民族、タラフマラ族(長距離走を得意とすることで知られる)のワラーチと呼ばれるサンダルから着想を得ている。
ハンドメイドの簡素なつくりをしているが、的確なサイズを選択すれば、フィット感は抜群。裸足の開放感と大地の感触を楽しみながら、森を歩き、トレイルを走れば、身体に眠る野性がきっと目覚めてくるはず。
05. Packing Delight
maker_Hender Scheme item_Earthing Sandals
2組のナイフとフォーク、3枚の皿、カップ、スプーン、オイルのためのジャグ、糖蜜のためのジャグ、ランプ。この合計12のツールは、ヘンリー・デイヴィッド・ソローがウォールデンの池のほとりで生活を切り開くためにリストアップしたもの。
いまから200年近く前のことではあるが、何か別のものに置き換えるのは難しいように思える。もちろん追加したいツールはあるけれど、文化的な暮らしを営むための最低限の道具はどうやらこれくらい。その分だけ森や池から調達する必要があるわけだが、言い換えれば、道具が少ないほど生活はより自然に開かれていくのだろう。
というわけで、リトリートの旅支度はミニマルを旨としたい。そして鞄は当然、軽くて丈夫なものに限る。エンダースキーマのボストンバッグはまさにそれだと思う。山歩きならバックパックのほうが便利かもしれないが、道具の出し入れはこちらのほうがしやすいし、ショルダーベルトも付いているので、両手を自由にしておくことも可能だ。
当然、容量は充分(ソローの12のツールも入るはず)あり、ボディのナイロン生地は軽さと強さが魅力。底面は革の端材とラテックス(天然ゴム)を混ぜ合わせたサステナブルな素材でさらに補強されている。なにしろ無駄なくシンプルで合理的なデザインが、これからのリトリートにふさわしい。
06. Wear a Tool Bag
maker_The North Face item_Mesh Vest
「人々は自分のかわりに働いてくれる道具ではなく、自分とともに働いてくれる新しい道具を必要としている」。オーストリアの思想家、イヴァン・イリイチの道具についての思考を引くまでもなく、自然の中でわたしたちは自らの手で道具(ハンドツール)とともに働くことになる。
ザ・ノース・フェイスの新しいメッシュベストは、そのようなときにかなり便利。というか着ていたほうがいい。まるでツールバッグを身に着けたかのような豊富な収納力があり、充分に両手の自由を確保することができる。加えて、メッシュを多く取り入れているので通気性がよく、ポケットや肩の部分には撥水性があるため、もし汗をかいたとしても道具が濡れてしまうのを避けられそうだ。それに、愛用する道具の重みを感じながら働くことは、イリイチが提唱した「コンヴィヴィアリティ(自立共生)」の重みをあらためて知る機会にもなるかもしれない。
ちなみにロングTシャツとパンツは、リサイクルポリエステルを使用し、UVカットや「With Relief」という虫よけの加工も施された機能的なアイテム。アウトドアアクティビティにふさわしいザ・ノース・フェイスの定番品だ。
07. Echoes of Nature Calling
maker_Deer Whistles item_Whistle
手仕事と自然の造形が、程よく調和したような美しさがある。まるでペンダントチャームのようにも見えるが、こちらはエゾシカの角笛。ひと息で心地よい音色が遠くまで響く。北海道出身で、現在も工房「ディアーホイッスルズ」を構える、山﨑哲平の作品だ。
素材となっているのは、当初は森に残されていた生え替わりで抜けた角。しかし現在は駆除された個体のものもある。かつては乱獲によって著しく数を減らしていたものの、保護対象となって以降は繁殖し、現在では農産物への被害も深刻化しているのだとか。エゾオオカミの絶滅や耕作放棄地の増加など、人間による生態系の破壊が影を落とす。
損なってしまった自然のバランスを回復するのは難しい。敬意と丁寧さと長い時間を必要とするだろう。人の手でエゾシカの角を美しい笛に変えていくのは、どこかそれに通じるところがあるのではないか。
08. Clean and Free Mobility
maker_CAKE item_Electric Bike
ついに日本にも上陸する。2016年にスウェーデンで設立された、プレミアムな電動バイクブランドのケイクのこと。2025年に生産工程におけるCO ²排出ゼロを掲げるなど、先進的な姿勢でも知られているが、なにしろプロダクトが素敵。北欧らしいシンプルさとぬくもりが行き届いたデザイン、静かでパワフルな走りは移動体験ごと更新してくれる。
日本で展開するのはブランドを代表する3モデルだ。サスペンションとトルクに優れた「カルク」(下)は、大自然のオフロードに最適。日常の移動によりフォーカスするなら、コンパクトで軽量な「マッカ」(上)も魅力的だ。そのほかに1,000通り以上のモジュールを組み合わせられる、汎用性の高さが魅力の「オッサ」もある。
ちなみにバッテリーの充電はいずれのモデルも家庭用のコンセントに対応する。つまり運転免許さえあれば実走はすぐに可能。
09. Cups of Wild Coffee
maker_Petromax / Teon item_Percolator / Double Wall Tumbler
あたりは朝霧に包まれている。川のせせらぎと薪がはぜる音を聞きながら、淹れたてのコーヒーをすするように一口。例えばそんなとき、間違いなく格別な味わいが楽しめる。
時間とそれなりのツール一式(携行性に優れたドリッパーやサーバー、細口のケトル、フィルターなどなど)をお持ちなら、いつも家で淹れるみたいに丁寧にドリップしてもいいかもしれない。しかしせっかく大自然の中にいて、焚き火のマナーも心得ているのだとしたら、パーコレーターを試してみるべきだ。フィルターを用いず、沸き上がる熱湯で抽出することで、豆の風味(雑味や油分も含む)をダイレクトに味わうことができる。つまりワイルドなコーヒータイムになる。
歴史的なランタンの名作で知られるドイツのペトロマックスには、丈夫なステンレス製のそれがある。サイズは2.1ℓか4.2ℓと大容量で、仲間と一緒にたっぷり楽しめるはずだ。おいしく淹れるコツは先に湯を沸かしてから、浅煎りの粗めに挽いた豆をセットし、火力を強くし過ぎないことだといわれている。
熱々のコーヒーができたらテオンのタンブラーへ。ステンレスの真空二重断熱構造になっているため、冷めにくいし、素手で持ってもやけどするようなこともない。表面のわずかな揺らぎはユニークかつ手なじみがよく、両手で抱えたくなるような優しいフォルムもいい。
10. Pants for Being Free
maker_Postalco item_Step Pants DC
自由なパンツが欲しい。都市でももちろん、舗装路もない自然の中でこそ、脚の動きを邪魔されたくない。無論、すでにいくつかの技術的なブレイクスルーはあった(股下にマチを追加して開脚をスムーズにしたり、生地のストレッチ性を向上させたり)。けれど、イノベーションはまだまだ可能だった。
ポスタルコの「ステップパンツDC」だ。素材は軽くて目の詰まったコットン生地。形崩れしにくいが、伸縮性はない。その代わりにというかそれが不要なのは、ウエストからのびる深くて長いタックのおかげ。直立しているときは美しいドレープを描き、そうでなければ脚の動きに合わせて折り込まれた生地が拡がるので、ストレスなく動かせる。
日本の袴から着想を得たという、デザイナーのマイク・エーブルソンの設計が、これまでにはない自由をパンツにもたらしたのだった。このほかにも、最大12cmも調整可能なサイドアジャスターやクッション入りのウエストベルトなど、ユニークで合理的なディテールがたくさんある。なのに印象はとても端正というのも、はっきり言ってすごい。
ちなみに定番の「フリーアームシャツ」も斜めに入ったプリーツと「スパイラルショルダー」という布のゆとりを生む設計により、腕を自由に動かせる。洗うほどにソフトになるオーガニックコットンフランネルの生地を使った、モダンなワークシャツなのだ。
(Edit by SATOSHI TAGUCHI)
※雑誌『WIRED』日本版VOL.48「RETREAT:未来への退却(リトリート)」から転載
雑誌『WIRED』日本版VOL.48
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